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菱川

 平林のダンボハウスを離れてから数分後、でこぼことした砂利道を歩いていると後方から優香の声が耳に届いた。


「二岡さん、どうして平林さんにあのようなことを尋ねたんですか?」


「はい?何のことですか」


 先行して前を進んでいた二岡が後ろを振り返ると優香が不可解な面持ちでその場に立ちつくしていた。


「雑誌なんかをどこから持ってきたんですか?って質問についてです。本当に単なる興味本位で聞いたわけではないんでしょう」


「うーん、でも興味本位っちゃあ興味本位ですよ。僕の想像が当たっているかどうか確認を取っただけです」


「想像とは?もしかして、あの雑誌などを持ってきたのが青川区のマンションからだってことを推理されていたんですか。どういった理論で?」


 優香の矢継ぎ早の問いに二岡は若干、当惑していた。「えーと」とつぶやきながら頭を掻く。


「僕が考えてたのは青川区のどこかのゴミ収集置き場ってところまでですよ。高層マンション云々については平林さんが喋ってくれるまではわかりませんでした」


「では青川区ってことがわかった理由は何なんでしょう?もちろん、返答したくないんでしたらノーコメントでも構いませんよ」


 そんな風に言われてはどうしても答えたくなってしまい、二岡は夏の空をあおぎながら少し湿っている唇を動かした。


「あの雑誌や新聞には幼い子が書いたとされる落書きがたくさんありました。つまり、それだけ子供が多く住宅しているゴミ置場から持ってきたと考えるのが自然でしょう?で、この近辺でそれに該当している区が青川ですから」


「ああ、確かにあそこはタンポポ幼稚園っていうマンモス園がありますからね。この前の年代別人口調査でも、園児の人数が大差を開いて他の区を上回っていたと知り合いの記者が言ってたのを思い出しました」


 優香は眉を寄せ合わせながらコクコクとうなずいた。そして、嫣然(えんぜん)

 した笑みを浮かべて「ごめんなさい、変な質問をしてしまって。でもどうしても聞きたかったので、つい」


 どうやら彼女は気になることがあると積極的に問いかけようとする傾向があるようだ。そう考えると先ほど、水野との邂逅(かいこう)の出来事を平林に尋ねたのも好奇心ゆえからか。ある意味、記者としては当たり前の行動かもしれない。


「そんな、わざわざ謝るようなことでもないですよ。それよりも早いところ、ここの森林地域を回りきっちゃいましょう。残りの三人にも会えるはずですから」


 二岡の言葉を最後に二人は再び捜索を始める。時おり、表札を眺めているとダンボハウス内にいるホームレスが怪訝そうな目つきでこちらを見てくるのが少し気まずかったが、基本的にあちらからは、にらみつけてくるだけで特に文句などは言ってこないので優香と二岡は軽く頭を下げて無礼を詫びる意思表示を示してからダンボハウスを後にした。その後、別にそういったルールを作ったわけではないのだが、自然と決めごとかのように二人はホームレスと目が合うたびに謝罪を表す動作を繰り返していった。


 そして、次に探していた人物のダンボハウスを発見出来たときには時刻は午後を回っていた。


「ええと、ひ、し、か、わ……さんですね、うん、間違いないはずです」


 優香が満足気に顔をたてにやる。二岡は細長タイプのダンボハウスに目を向けた。少し狭めの間口の上にHISHIKAWAとローマ字で彫られている木札が釘で打ちつけられている。優香の言う通り、ほぼ間違いなくここが菱川家(?)であろう。位置的にはーー雑木林エリアの中央地点といったところ、だろうか。もっともこの辺はあまり来たことがないのでこれはあくまで僕の頭の中にある、いい加減な地図での検討だが。


「そうですね。しかし、まぁタイミングが悪いですねぇ。また不在ですよ」


 二岡はため息混じりに落胆の声をあげた。そう。優香と二岡、二人ともに運がないのか、今現在ダンボハウス内に菱川は健在していなかった。つまり、留守である。強風が吹き、周りの雑草たちがゆらゆらと動いている。


「先ほどと同じく、トイレにでも行ってらっしゃるんですかね?」


 優香が長い黒髪を抑えながら二岡に質問する。


「いやーどうですかね。でもまぁ取り合えず、中に入ってみますか。さっきみたいになにかわかるかもしれませんし」


「また無断でダンボールハウスに入られるんですか?もしばれたら怒られませんかね」


 優香が不安そうな表情で首をかしげた。普通なら平林のときと同様に、ここに誰かが接近してくれば足音でわかるから大丈夫だろうと思いそうなものだが優香はそうは感じないようだった。案外、心配症な性格なのかもしれない。


「それじゃあ記者さん、僕が菱川さんのダンボハウス内にあるものを物色している間に辺りを見渡しておいてください。誰かがこの周辺に近づいてこられたら、すぐさま僕に教えるという算段でいきましょう」


 その提案に優香は、相好(そうごう)を崩しながら賛同してくれた。二岡は頭をかがませながら室内(?)に進入すると、底面にA四サイズほどの白い紙が落ちているのをすぐに視認できた。しかもなにやら赤鉛筆の文字でなにかが記されている。なんだ?と思うよりも先に、右手が自然の内に紙を拾い上げていた。触ってみるとその材質が画用紙だということが理解出来た。そして、そこにはやたらと濃い大文字でこう書かれてあった。





 七月十三日


 今日はBADDEYです。なぜなら今日は運動会の

 日だからです。僕は運動オンチなので運動会が嫌いです

 はやく走れる人は英雄扱いで遅く走っている人はノロマ扱い

 六年間ずっと僕は後者の方でしたそしてこれからもノロマ扱いでしょう

 自分はそう言う人間なんです。これっばかりはどうしようもないんです

 まあ、それでも練習はしてみたけど才能がないのをすぐに自覚しました

 できる子とできない子の差が一番、顕著に現れる日。それが運動会

 でもそんな行事でもマシなところもあります。数ある地獄の競技の中に

 パン食い競争と言う運動と関係ないのがあるのです。でも運動会は嫌です。

 あめが降っていれば雨天中止もあり得たでしょうが今朝は晴天です。

 とり合えず登校する準備は出来ました。でも足が重い感じがします。

 にくむべき運動会。イライラが止まらない。

 いつもはこんな症状は起きないのに…くそ…どうして…

 ママに頼んで休ませてもらうか、いやママはそんなに甘い人じゃない。

 すぐにでも自殺しようか。そんな勇気があったらとっくにしてるか、ハハ…





 最初の数秒こそは頭上にハテナマークばかりが浮かんでいたが、わりとすぐにこの文章の真の意味を理解出来た。えらく、古典的な仕掛けをしてくる人だな。しかし……。


 二岡は紙を凝視しながらこう思った。失礼ながらあまりレベルの高くない暗号だなぁ。もうちょっとクオリティを上げれる時間的余裕はなかったのかなぁ……と、心の中でとは言え、あまり人様の悪口をたたくのは良くないな。


 二岡はそう反省すると、奥の片隅にもう一枚、折り畳んである紙があることがわかった。手に取って開けてみる。こっちの方は画用紙よりも柔らかい。どうやらノート用紙から破いた紙のようだった。二岡はそれを目にしてから数秒後、その用紙を折り直してからズボンのポケットに入れ、頭をかきながら円型のダンボハウスを出た。辺りをキョロキョロと見渡していた優香が一点にこちらを見つめてきた。


「あれ?ずいぶんとお早いですね。もう、なにか重要な手がかりをつかんだんですか?」


「手がかりも手がかり。モロ、行き場所を記してある紙を発見しましたよ」


 二岡はそう言いながら優香に例の暗号文章の紙を渡した。しばらくして、優香はひそひそ話でもするかのように小さな声で告げた。


「たて読みですか?」


「はい、よくわかりましたね。そうです。この文章は横に読むんじゃなくて、たてに読むんです」


「さすがにこれくらいは。正直言って、横読みだと文があまりにも不自然過ぎますし……。後『にくむべきは運動会」のところの一文がなんだかすごく唐突に思えてーー無理矢理入れた感が半端ない気がして。ついでに地獄とか顕著とか難しい漢字を使ってるのに相対して雨って文字がひらがな……」


 ずいぶんと饒舌(じょうぜつ)になっているな。二岡は片手を制して優香の語りを止めた。


「記者さん、待ってください。ええと、つまりたて読みだとこの文章はどう読めますか?」


 自分の喋りを止められ少し不服そうな表情を浮かべたがすぐに真顔に戻り優香は再び口を開いた。


「うーんと、今、日、は、六、自、ま、で、で、パ、あ、と、に、い、マ、すーー今日は六時までデパートにいます……で、良いんですよね?冒頭の七月十三日は今日の日付ですし、今菱川さんはデパートにいるってことですか」


「ええ、十中八九、そう変換するんだと思いますよ。しかし、何で自分の行き先をこんな暗号じみた書き方をしてここに置いていったのかは謎ですね」


「誰か、知り合いが訪ねてきたときの為に用意してたんじゃないですかね。昔の駅の伝言板みたいな感じで。このたて読みに関しての必然性はわかりませんけど」


 優香が苦笑気味につぶやいた。案外、あり得るかもしれない。二岡は一つ、大きな咳払いをした後、言った。


「そうですねーーでも、この人の話を聞くのは後回しにしましょうか。六時までにデパートに行けば会えるでしょうし」


 優香が二岡をねめつけながら小首をかしげてきた。


「って、どこのデパートだかわかっているんですか?一応、この近辺だと、亀山屋がありますけど」


 亀山屋とは埼玉県さいたま市に本社を置く百貨店である。日本のあちこちに十五店舗以上の直営店を展開しており全国的に有名なデパートだ。二岡は幼稚園のころGWの際に両親とともに連れて行ってもらったことがあるのを記憶の片隅に覚えている。もっとも、幼かったのでどのような店舗を回ったのかは忘れてしまっているのだが。それでも、店内にあった、レストランのオムライスがやたらと美味かったのだけはなぜか、鮮明に記憶に残っている。おそらく自分がタマゴ好きになったにはそれが要因だろうと二岡は思案している。


「ええ、多分その亀山屋だと思いますよ。それ以外のデパートだと徒歩で一時間

 以上はかかりますし」


「うーん、でも、必ずしも最寄りのデパートだとは限らないんじゃ……他のデパートにあって、亀山屋にないものをあるだろうし」


 ああ、そうか……この人はホームレスじゃないから……と、二岡は再び、先ほどと同じつぶやきを心の中でした。


「記者さん、おそらく菱川さんはデパートに買い物目当てで行っているわけではないと思いますよ」


「え?それじゃあ……」


「そもそも、デパートなんて基本的に高額なものしか、売っていないんですよ。そんなものホームレスが購入出来るわけないじゃないですか」


 若干、語気を強めて二岡は言った。お金を節制しなければならないホームレスだからこそ気づけるのかもしれないデパートで販売している売りものの高さ。ホームレスじゃないにしろ、例えば貧しい人にとっては法外的な価格に思えるのだ。二岡もこの半年でそう感じるようになっている。なってしまっている。


「はぁ、ではどのような理由でデパートに行かれたんだとお思いですか?」


「おそらくーー暇つぶしか、試食目的でしょう」


 二岡の返答に優香は唖然とした様子だった。目に困惑の色を浮かばせながら「え、そんな理由ですか?」と二岡の顔を一点に見つめてきた。昨日から思っていたことだがーー彼女は虹彩部分と瞳が大きい。何というか小動物みたいだ。


「そう考えるのが一番妥当かと。多分、菱川さんは僕と同じく、今日一日仕事が入ってない日なんですよ」


「うーん、そうなのかな?」


 優香が首を右ななめ下にやった。やはりと言うべきか、あまり納得していないようだ。二岡は強い咳き込みをしながら言った。


「もう一度、暗号をよく読んでみてくださいよ。『今日は六時までデパートにいます』ーー六時までですよ?今、午後の一時ですよ。いくら何でも購入目的で来た人が五時間もデパートでたむろするとは思えないんですよ。ゆえにそれ以外の理由でデパートに行ったと推察してみたんですけど……」


 後半になるに連れ、二岡の声はますますしゃがれていった。優香が慌てふためいたようすで声をかけてきた。


「二岡さん。あまり喋らないほうが……三好さんのところに戻って一緒に休まれたほうが良いと思いますけど」


「いえ……平気です。心配してくださってありがとうございます。でも、まだ火野さんと氷川さんを探し出せてませんから、それまでは頑張りたいと思いますよ」


 二岡は右手で胸をつかみ、左手で口を抑えていると、優香が優しげな眼差しをこちらに向けながら口を開いた。


「二岡さん、良い人ですね。ご自身がネックレスを奪われたわけでもないのに、他人のためにそこまで頑張れるってすごいと思います」


 それはあなたもでしょう。そう口にしようと思ったがすぐにその言葉をのみこんだ。その理由は《この人の場合は自分のためでもあるからだ》と二岡は考えていたからである。


 おそらくではあるが、彼女の目的は三好への好感度を上げることだと思われる。彼にたいして、インタビューの許可を取るためにはそれなりの信頼を得なければ出来ないと判断したんだろう。だから、こうして水野の行方の手がかりを懸命に探っている。仮にその結果、ネックレスが見つけられなかったとしても、もしかしたらその頑張りに、少なからずも感銘を受けるかもしれない。それに乗じて取材をさせてくださいと懇願すればOKを出す可能性が高まると優香は踏んでいる。画用紙を元ある位置に戻しながらそう思った。


「そんな立派な人間じゃありませんよ、僕は。ただのしがないホームレスです」


 二岡はかわりにそう答え、続けて「まあ、今、説明した通り、六時まで菱川さんは帰宅されないと思われるのでここは後回しにした方が賢明かと」


「わかりました。では残りの二人を探しましょうか。ええと、火野さんと氷川さんでしたよね」


 優香は、また優しげな眼差しをすると、すぐに先に進もうと前方を闊歩し始めた。二岡は「あ、ちょっと待ってくださいよぉ」と声をあげながら優香の後を追った。さっきまで自分が前にたって歩いていたのが今は逆になっている。この周辺には草木や木立が点在しておりそれが邪魔で、一緒に並んで歩くと、どうしても、狭っ苦しくなってしまうのだ。だから、たて一列にならないといけない。二岡は大きな嘆息をつきながら小声で言った。


「ずっと一人だったから気づかなかったけど、このエリア、団体で行動するとなると不便だなぁ」


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