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☆2

 私は、一人で真っ暗な場所に立っていた。

それが何時からか、どうして一人なのか、そんな疑問が湧いたけれど、特に不安も不都合も感じず、それどころか解放感を感じていた為にそれ以上深く考える事もせず、まぁいいやと思った。

それに真っ暗な場所だというのに全然怖くないし、それどころか安らぎを覚えてしまっている。

暇を潰すものもなにもない。ただ真っ暗な空間で揺蕩んでいるだけ。そんな状況でどれだけ過ごしたのか分からない。第一、時間の経過など気にも留めていなかった。

この場所には時間の経過等、関係ないものだと知っていたから。

 だから何もやる事なくて暇だなー、なんて思っても、何も考える事もなくボーっとしているのは楽で、全ての柵から解放されたという安堵感が途轍もなくあった。

でも、そんな状況に少し変化が見えだした。

遠くの方で誰かの呼び声が聞こえた気がしたのだ。

 誰もいないはずだよね? と、周りを見渡しても勿論誰か居る筈もなく。

やっぱり気のせい、幻聴かな? と思ったけれど、何度も何度もこちらが切なくなるぐらい、悲痛な声で呼ばれるものだからそれは気のせいではなく、間違いなく私を呼んでいる声だと思った。

 どうしてそう思ったのだろうか。もしかしたら違う人を呼んでいるのかもしれないのに。

その声が私のよく知っている人と似ていたから、そう思っただけかもしれない。

でも、それが誰だか思い出せず、悲痛すぎる声に申し訳ないなぁと思いながらも、それでも私は返事をする事もなくただボーっとしていた。

 今までと変わりなく、ただ揺蕩んでいるだけ。

そう思っていたのに──。


「あら、無視をしていても大丈夫なの?」


 突如やけにハッキリとした声が聞こえた。

今までのどこか遠くで、水の中から聞いている様な声ではなくしっかりとした、まるで耳元で言われていると思うぐらいの声が。

そして、私一人だと思っていた場所には気が付けば一人の女性が立っていたのだ。

 一体いつの間に……。とその女性を見てみると、何となく見覚えがあった。

思い出さなくてもいいという気持ちと、思い出した方がいいという相反する気持ち。

どうやら思い出した方がいいという思いの方が勝ったらしく、彼女が誰だか思い出した瞬間、彼女ならこの場所に突然現れてもおかしくないと、納得できるものだった。

 真っ黒でストレートな床まで着きそうに長い髪に、宵闇の瞳。その顔はまるで人形のように作られたように精巧で、一目見れば忘れる事はないだろうというぐらい綺麗だった。


「カグヤ……」

「どうしてここに、なんて愚問はしないのね」


 面白くないわね、なんて副音声が聞こえてくる。


「だって、月神のあなたなら簡単に来れるでしょ?」


 副音声など聞こえないと、私は事実のみを述べる。

 彼女は──『月神カグヤ』。

数多いる神々の中で私が一番馴染み深い神だった。


「それが面白くないのっ! どうして此処にっ! とか、一人で寂しかったっ! とか、言ってほしかったのに……。昔は可愛かったのに、どこでこんなに捻くれちゃったのかしら……」


 なんてこれ見よがしにため息まで吐かれた。

仕方がないので、彼女のご所望の言葉を口にする。


「どうしてここに来たの?」

「あまり来て欲しくなさそうに聞こえるわ」


 その通り、なんて言うわけにはいかない。


「月神カグヤ様は、お忙しいのでは?」

「もう。本当に可愛くないんだからっ!」


 このままでは拉致があかないと思った私は、話を進める事にした。


「それで? 本当になんで此処に来たの? まさかこんな掛け合いをしに来たわけじゃないでしょう?」

「ユミエール……」


 カグヤが悲しそうに呟いた名前、それは──。


「私はリサよ。星詠みの神子のリサ」


 星詠みの神子と呼ばれる前の私の名前。

 楽しく星々や妖精達とお話をし、カグヤ達を神様だと知らなかった、世界が輝いていた頃の──私の名前。


「……リサ、あなたの願いはもう少しで叶うわ。でも、それにはあと少しが足りないの」


 思ってもみなかったカグヤの言葉に、私は驚きの表情で彼女を見た。


「そんなっ! だって、彼女を討伐隊に指名すれば、魔獣の増加も止まって私の願いも叶うって言ったのカグヤ達じゃないっ!」


 激昂する私とは逆に淡々と話すカグヤ。


「ええ、確かに。この世界にあまり馴染んでいない魂が世界の歪みを起こしているから、その魂を持っている者自身に対処させれば魔獣の増加も収まるとは言ったわ。

 そしてユミエール、いえ、リサの願い。

 ──ラウルを魔王と覚醒させないという事も叶う、と……」

「だったら、どうしてあと少しなんてっ!」


 思わずカグヤに詰め寄りそうになるのをなんとか堪える。


「だから、リサ。あなたの力が必要なの。こんなところに一人でいないで戻りましょう?」

「えっ……」


 差し出された手に思わず、一歩下がる。

その手をとってはいけない。そんな気がした。


「逃げないで、リサ。世界は確かに醜く汚いかもしれない。それでも世界はそれだけではないとあなたは知っているでしょう? あなたを心配している者達の声が此処まで届いていたでしょう?

 心の底からあなたを心配していないと、その声はここまで届かないのよ。本当は分かっているのよね? みんなあなたが起きるのを待っているのよ。

 勿論、星詠みの神子としてのあなたではなく、リサあなた自身を……」


 カグヤは微笑みを浮かべて私を見ていた。その目には慈愛の光が宿っている。

カグヤが言っていた事は多分本当なのだろう。


 私は、星詠みの神子となって、世界の醜さや汚さを知った。

神殿の中は外からの想像とはかけ離れていて、そこは清廉でも、荘厳でもなかった。

勿論、全員がそうではないと知っているし、私は直接的には被害を被ってはいない。

それは私が唯一の星詠みの神子だから。そうでなければ私も人の欲に巻き込まれて溺れていた事だろう。

自分に被害がないからと言っても、人の際限のない欲望や、醜さから世界に対して興味を失っていくのは止められなかった。

 表面上は何も変わっていない。でも心は段々と冷えていき、それに比例するかのように世界は徐々に色を失っていった。


 目に映るのはただの白黒の世界──。


そんな私を心配してか、エウリーカは常に私の傍にいてくれた。

言葉にして言われたわけではないけれど、エウリーカの私を見る眼差しで、雰囲気で分かった。

 世界は、人は、醜く汚いばかりではないと私に思い出させるように。

そんな時に私はラウルと出会った。

 白銀の髪に紅い瞳の少年。──白黒の世界が常だったのに、何故かそこだけが、彼だけが色付いていた。


 モノクロの私の世界に突如現れた色。それが私にとってどのような意味を持つのかは分からなかった。

でも感覚で分かった事もある。彼が将来──『魔王』と言われる者になるという事は。

 どうしてそんな事が分かるのか、それに『魔王』って一体何なの?

そう疑問に思った瞬間、膨大な記憶がどこからともなく溢れだしてきた。

 今までその記憶は一体どこにあったのかというぐらいの記憶が。

そして突然溢れだした記憶に呼応するかのように、激しい頭痛が私を苛む。

あまりの痛さにこのまま倒れた方が良いとは分かっていたけれど、彼をそのままにしておくわけには行かなかったから──どうしてそう思ったのか、その時は分からなかったけれど──私はラウルの保護を言い付けて、彼が保護されたのを確認したと同時に意識を失った。

 それから三日後、私の意識は戻った。


傍にはエウリーカと、そして──ラウルがいた。


 ラウルはどうして自分が此処に、私に保護されたのか分からず困惑している様子だった。

表情には一切出ていなかったけれど、彼の雰囲気で、その視線で十分に分かった。

それに、それは彼に限る事ではなく誰もが、きっと私以外のみんなの気持ちだと分かっているから。

何せ理由をみんなに告げる事なく保護だけを命じたその後、当の本人の私が倒れてしまったのだから。

 私の視線がラウルから離れない事に気付いたエウリーカが説明をしてくれた。


『とりあえず、我の傍仕えという事にしておる。何せ保護を命じたその本人が三日も目が覚めなかったのでな』


 若干嫌味を盛り込まれた説明だったけども、それは心配をかけた私が悪いと素直に聞く事にした。


「三日も、寝ていたの……?」

『ああ。人間の治癒術士が頑張っておったが目覚める気配が全くなかったのでな。仕方なくあやつらに尋ねたら、内部魔力の暴走が原因だから五日もすれば勝手に目覚めると事もなく言いおったわ。

 相変わらずあやつらは……』


 やばい。このままじゃエウリーカの愚痴が始まってしまうっ!

愚痴りだすと長いのよね……。副神官長の説法と言う名のお説教の方が短く感じてしまうぐらいの長さって、拷問よね。しかも本人には悪気が全くないから注意も出来ないし……。

でも、目覚めて最初がエウリーカの愚痴と言うのもさすがに嫌だなあ。


「エウリーカ。とりあえず、お水頂戴」


 エウリーカの愚痴を止める為に、水を求めた。そうすれば意識は私に向くから、愚痴も止まる。

それに、実際喉が渇いていたから、不審にも思われなかったと思う。


『ん? 水、水か……。ラウルよ、リサを起こして水をやってくれぬか』

「……ぼ、ぼく、が、です、か……?」

『当り前であろう。獣である我では水差しを持つ事は出来ぬし、リサを起こす事も出来ぬわ』

「で、でも……」

『なに、噛みつきはせんよ』


 何気に扱いが酷いと思います。私、これでも病み上がりですけど?

思わず抗議の視線を向ければ、ニヤリと笑うエウリーカ。

その表情でなるほど、と納得は出来たけれどでも狼の顔で笑うのはちょっと、怖いと思うよ?

 エウリーカの意図する事が分かったなら、私は後押しするだけ。


「エウリーカ……。お水……」

『ラウル。何をグズグズしておる。早く飲ませてやれ』

「あ……、で、でも……」

『それともラウルはこのままリサが干乾びてしまえばいいと思っておるのか? まあこのまま水を与えねばそのうち死に至るだろうが、それがお前の望みだと言うのならばそれもよかろう』


 なんていう事をと内心で思いながらも表に出す事はなく、エウリーカの言葉により重みを与える為、私は敢えて微笑んだ。

──限りなく、儚げに見えるように。


「……っ」


 エウリーカは静かに後ろへと下がった。

きっとラウルの次の行動が分かっていたのだろう。

 ラウルはビクビクとしながら私のベッドまで近寄って来ると、一旦立ち止まった。


「ほ、星詠み様……。御身に触れても、だ、大丈夫、でしょうか……」

「ふふふ。何か、大げさ、ね。あなたに、触れて、もらわないと、私は、起き上がれ、ないのよ?」


 あなたと私は同じ『人』なのだからと続けようとしてその言葉を飲み込んだ。

この言葉は今の彼に告げたとしても全く意味がなく、それどころかきっと逆効果だから。

 人として扱われず家畜同然いや、家畜以下の扱いを今まで受けてきたラウルにとってその言葉は『そうですね』と素直に納得できるものではないだろう。


──奴隷という制度があるこの世界で、その奴隷という身分に落とされ尚且つその中で最低の、人の尊厳すらも容易く粉々と打ち砕く扱いを受けてきたラウルにとって。


 死なない様に生きていくのが精一杯だったと、後に魔王となったラウルは語った。

 彼は人を憎み、それでも信じていた。その生活の中でもほんの少しの幸せを見つける事が出来たから。

それは、普通の人からしてみれば何でもない事。

でも、その一握の砂のような幸せを嘲笑うかのように粉々に砕かれた。

そこで魔王は──ラウルは分かったのだと、だから俺は魔王になったのだと。

 この想いは、お前らにはきっと生涯分かる事はないだろう。

当たり前のように陽の光を浴び、月の光に照らされているお前達には。

 貫かれた場所から粒子となり消えていく躰で嗤ったラウルの顔は、私には泣きそうに見えて。

だから消えるほんの少し前に聞こえた呟きは、きっと彼の本心ではないのだろうかと。


──『多くは望んでいなかった。夜空に輝く星の一つでも俺を照らしてくれていたのなら、俺は……』


 彼の全てが粒子となり消えた後でも、その言葉だけはずっと私の中に残っていた。

 画面の向こうの世界、ゲームとしてのシナリオだと分かっている。現実ではない、絵空事だ。

それでも最後の彼の声が、言葉がずっとずっと耳に残っていた。

何度周回しても、彼を、魔王を、ラウルを救うルートは見付からなかった。

ゲームのシナリオとして存在していないのだろう。

もしかしたら後日、ファンディスクとして彼の救済はあるかもしれない。

 でもそれは、私が求めているものじゃない。

私は彼にあんな表情をしてほしくないから、彼がその様な状況に陥る前に助けたい。

だから、あの結末があってこその救済など、私は救済と認めない。


「星詠み様……?」


 ラウルの戸惑うような声で、深く思考へと入り込んでいた事に気が付いた。


「あっ。ごめんなさいね……」

『まだ本調子ではないのだろう。水を飲み終わったら、寝むるがよい』

「そうね……」


 これから沢山考えなくてはいけな事があるから、エウリーカの言葉は助かった。

もう二、三日ぐらいはこの状態でいられるはず。

その間に、ラウルの救済計画を考えよう。

今度こそ助けてみせる。


──ゲームの世界のあなたを助ける事は出来なかった。でも、この世界のあなた、ラウルを私は絶対魔王にさせない。

 きっとその為に、私はこの世界へと生まれたのだから。

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