☆1
夜半に降り出した雪は眠るように横たわる一人の女の上へ、まるで薄衣を掛けたようにうっすらと積もった。
一面の白に反射した光が彼女の黒髪を照らしている。
音すらも包み込む静かな雪の中、一人の男が近づきそのまま彼女の脇に屈み込んだ。それに合わせ装身具が冷たい音をかすかに鳴らす。
男は剣をしまうと目を閉じたままの女の息を確認し、彼女を抱え上げた。青白い頬に血の気はないが、少なくとも生きている。急がなければ――。
力強く雪を踏みしめ、男は足早に来た道を戻っていった。
──といったプロローグで始まるゲームがあった。
雪に眠るように横たわっていた女性はそのゲームの主人公で、なんらかの原因で記憶を失っていた。
彼女の身分や名前をを示すものも何も持っておらず、たまたま彼女を見つけた男性がそのまま見捨てるわけにもいかないと暫くの間彼女の面倒を見る事となった。
そこから物語は進んでいく。
──ゲームの期間は三年間。
その間に様々なイベントをこなして、分かれていく分岐点によってエンディングが決まるという、マルチエンディングを採用した乙女ゲームである。
勿論乙女ゲームだから、攻略対象の男性はイケメンばかりで十人ほどいた。
隠しキャラを入れたらもう少し多かったかもしれない。
有名声優を起用し、原画も乙女ゲームでは有名な絵師さんを採用し、企画版権はメディアミックス戦略が上手い大手という、シナリオが相当残念なクソゲーだったとしてもある程度はヒットするだろうと簡単に予想が出来るものだった。
そうして世に出た作品は数多の乙女の想いを裏切らず、シナリオは秀逸でミリオンヒット。
キャラソンは当たり前、アニメ化もされ、少女雑誌にも連載され……と、流石な手腕で乙女のハートと財布を鷲掴みにしていた。
言うまでもなく、企画版権元の株価はかなりの高額をたたき出していた。
数多の乙女の力は凄いと、株価チャートを眺めながら思ったものだ。
勿論、その乙女の中に自分も含まれていたけれど。
少し脱線してしまったけれどもこのゲーム、発生するイベントによってストーリーの内容や攻略キャラの出現が変わってくる。
その中に乙女達から王道と言われている主軸ストーリーが幾つかある。
剣と魔法のファンタジーな世界観のこのゲーム。
やはりその世界観が十分に味わえるストーリーが人気が高く、中でも一番人気はアニメ化にもなった──『魔王討伐ストーリー』だ。
記憶を失った主人公が、自分の記憶探しと生きる糧を得る為に冒険者となった事から始まる。──因みに最初のストーリー分岐は主人公の職業選択からだったりする。
冒険者となった彼女は、突然に急増した魔に侵されて変貌していった獣達──魔獣を屠っていく事によって冒険者のランクが急激に上がっていった。
その上がり方があまりにも早かった為、自然と周囲の注目を浴びていく。
そんな彼女の話をたまたま耳にしたアーシャナル国──彼女が記憶を失ってから初めて目覚めた国──の上層部が、彼女を呼びだした事によって魔王討伐ストーリーが本格的に進んでいく。
戸惑いつつも呼び出しに応じた彼女は、そこで初めてここ最近増加した魔獣の原因が魔王にあるという事を知る。
上層部の人間が一介の冒険者である彼女にそのような重要機密を話したのは、魔王討伐の依頼をする為だった。
あまりにも大事な依頼内容に声を発する事が出来ない彼女。
でもここで自分が動かないと事態はより悪くなるだろうと決意をし、依頼を受理した。
勿論、彼女一人にすべてを任せるわけではなく、国からも精鋭を何人かつけての魔王討伐の旅となる。
そしてその旅に同行するメンバーが攻略対象で、旅の途中で色々とイベントを起こして攻略対象者との仲を深めて最終は魔王を倒し、ある一定の好感度を超えている攻略対象者とのエンディングを向かえて終わるというのが魔王討伐ストーリーなのだ。
ただ、魔王を倒して好感度をクリアすればハッピーエンドになるわけではない。
途中にある攻略キャラ達其々の個別キーを手に入れないとハッピーエンドを向かえる事は出来ないという、お手軽にハッピーエンドを見る事が出来ないのが特徴だったりする。
その分、ストーリーの長さも内容もかなり重厚でやり応えはかなりあるものの、周回するには少し気持ちによいしょがいるのがちょっと辛いところだ。
因みに魔王討伐ストーリーの攻略キャラは、アーシャナル国の第三王子、第二騎士団の副団長、魔術師団の第五隊の隊長と肩書も中々な者達である。
言うまでもなくイケメンです。
そして途中から攻略キャラは増えて行き、このストーリーでは七人を攻略する事が出来る。
攻略キャラは総勢で十人以上いるのに七人だけなのは、ストーリーによって全く登場しないキャラがいたりするからだ。
そこがまた他にはあまり見ない設定で、プレイヤーの反感を買うだろうなと予想していたけれど、思ったよりも反感は少なかったらしい。
やはり、最終的にシナリオが良ければある程度の事には目を瞑ってくれるという事だろう。
ここまで延々と乙女ゲームについて私が考えていたのは、理由がある。
それは、今私の目の前で、その魔王討伐ストーリーが始まるからだ。
そう、私はそうやらその乙女ゲームの世界に転生したらしい。
勿論、ヒロインなんかではなく、その他大勢のモブとして。
いや、モブとしての扱いはその他大勢で問題ないのだけれど、私の地位はその他大勢として区切るには些か問題がある……と、思う。
私が内心でそんな事をつらつらと考えている間にも話は進んでいく。
今、第一王子が現状を主人公へと説明しているところだ。
因みに私達がいるのはアーシャナル国の王都にある神殿の謁見の間。
部屋の広さは大人が余裕で百人程入れるぐらいの大きさである。
そこにいるのは、国の上層部───第一から第三王子に宰相、軍部統括将軍、近衛騎士団の第一から第三の団長副団長、神殿騎士団の団長副団長、魔術師団師長副師長と第一から第五隊までの隊長副隊長と神官長と副神官長と主人公、そして私。
ディスプレイ越しに見ていたイベントが目の前で行われている。
普通ならば興奮するような状況な筈なのに、冷めた気持ちしか感じない。
それは私が目の前の事に興味がないからだ。
思わずため息が一つ零れた。
それが聞こえたのだろう、隣にいる神官長が心配そうな表情で私を見る。
私は何でもないと無言で首を振った。
──疲れた。
もう自分の部屋に戻ってもいいだろうか。
別に私がここに居ようが居まいが関係ない筈だ。
それなのにどうして私が付き合わなければならないのだろうか?
それに先ほどからチラチラと主人公の彼女が私を見ている。彼女は私が気付いていないと思っているかもしれないけれど。
どうして私がここに居るのか疑問なのだろう。
まぁ、その疑問もよく分かる。私だって彼女の立場なら思っていただろうし。
「──と、まぁそういう状況なのだよ」
漸く第一王子の説明が終わったらしい。
これならあと少しで部屋に戻れる筈だ。
「分かりました! 私でよければ喜んでその依頼をお受けします!」
やけに前向きで元気な声が聞こえた。
その声にやはり、と思う。
「そうか。そのように快諾してもらえてこちらとしても大変助かる。勿論あなた一人に全てを任せずこちらからも精鋭を幾人か共として付けよう」
「ありがとうございます! ところで、質問をしてもよろしいでしょうか?」
「私で答えられるものならば」
「ありがとうございます。では、そちらの女性はどなたでしょうか?」
声と共に向けられた視線はかなりキツイもので、お前は一体何者だと彼女の髪と同じ黒色の瞳が雄弁に語っていた。
「彼女は……」
「アインリール殿下、私が代わりに」
「分かった」
第一王子の声を神官長が遮る。
私はどちらが言っても対して変わらないとは思うけれど、私は神殿に属する者だから神官長が説明した方がいいと思ったのだろう、きっと。
「こちらのお方は、星詠みの神子様──リサ様です」
「初めまして、冒険者様」
神官長の紹介に続いて軽く会釈をする。
彼女の名前は最初に聞いていたけれど、興味が全くなかったので名前を憶えていなかった。
少し悩んだ挙句無難に『冒険者』と言う事にしたのだけれど、私のその発言に、彼女の眉根が寄ったのが分かった。
間違いなく『冒険者』と言われた事が気に障ったのだろう。
「星詠みの神子、ですか……?」
そんな事、聞いた事がないと声音と表情で語る彼女。
「そうですね。あなた方には馴染みのないお方だとは思います。
星詠みの神子様は神々の声を私達、神殿の者や王族の皆様へお伝えする事が役目。市井の人には馴染みがないのは当然です」
神官長の言葉を聞いて、胡散臭い表情で私を見る彼女。
彼女は気が付いているのだろうか?
私がその表情に気が付いているという事はこの場にいる他の人間も気が付いているという事を。
それとなく横へ視線を向けると、神殿騎士団の団長ギルベルトの手が帯剣している柄へと伸びている。それは副団長のヤールも一緒だった。
彼らの仕事は、神殿に勤めている者を守る事。
その中には私も含まれている。しかも私は『星詠みの神子』。
アーシャナル国に一人しかいない貴重な人材だけあって、何者よりも優先的に守るべき存在なのだ。
しかも、この二人。何故か私を盲信している。
彼らに対して特に何かをした記憶はないのだから、一体何があってそうなったのか本当に不思議だ。
「実は、あなたがここに居るのもリサ様のお話があったからなのです。最近の魔獣の増加を止めるにはあなたのお力を借りるのが一番良いと、神々が仰っていると」
「えっ!?」
予想もしていなかった言葉に驚きの声を上げる彼女。
それもそうだろう。彼女の中では最近の目まぐるしい活躍があったからこそこの場に呼ばれたと思っていたのだろうから。
それに、彼女を招く前に私の事を一言も話さずきっと『最近特に活躍している冒険者』なんてでも言ったのだろうし。
「ゲームでもアニメでもない展開……。どこかでノベライズ化されていたとか……? だから今までにないキャラがいるのかもしれない……」
ぼそりと周囲に聞き取れないぐらいの声量で彼女が呟いた。
周囲に聞こえないぐらいの声音だろうと、残念ながら私には聞こえる。
だって私は──星詠みの神子だから。
「例えあなたの活躍が目を見張る程凄くても、それだけの理由でこちらへは呼びませんよ。それはあなたが一番ご存知では?」
淡々と告げる神官長の問いかけに彼女は分からないと首を振る。
「あなたが冒険者になった理由は『記憶を探す為』だそうですね。雪の中に倒れていた理由も、雪の中から助けられる以前の記憶も全くない。
そのような素性が不明の方がどれ程の活躍や功績を上げたとしてもここに招く事はなかったでしょう」
「えっ……? だって……」
「あなたがここに呼ばれた理由はただ一つ。星詠み様があなたを指名したからです」
「そういう設定……? ならやはり彼女はただのモブ……?」
小声でぶつぶつと言っている彼女に怪訝な表情を浮かべる神官長。
私の指名がなければ、絶対この場には呼ばなかったという蔑みの光がその目には浮かんでいた。
どうやら印象があまりよろしくないらしい。
残念な事にそれは神官長だけに限った事ではなく、この場にいる全員のようだった。
この様子では、これから先の彼女の恋は容易くいかないだろう。
さてさて、どうしようか。
とりあえずさっさと話を切り上げて、私はそろそろ自分の部屋へと戻りたい。
神官長はこれ以上話すつもりはないようだし、騎士団や魔術師団の方々は立場上発言を求められない限り話すことはしないだろう。
そうなると、殿下方か宰相、将軍なんだけれど……。
そのつもりは全くなさそう。と、なるとやはり私しかいないのか……。
なんで私……。
彼らの話では彼女を此処に呼ぶ事が私の願いにも繋がるという話だったから彼女を指名したのに。
それなのに、こんな面倒くさい事になるなんて思いもしなかった。
どうやって話を切り上げる方向性にもっていこうかと考えようとした時に、突如大きな音を立てて謁見の間の扉が開いた。
すかさず動いたのは騎士団の人達で、私や殿下方を守る為に私達の前へ出る。その手にはそれぞれの剣を掴んで。
魔術師団の人達も魔術を構成し、防御壁を張った。
そんな緊迫した状況で乱入者は誰だと見れば、そこには白銀の狼が一匹とその後ろには狼と同じ色をした白銀の髪に紅い瞳の青年がいた。
「ラウル……?」
その青年も白銀の狼も私のよく知っている者達で、思わず安堵のため息が出た。
「あ、あのすみませんっ! 何度お止めしてもエウリーカ様が、リサ様の傍へ行くのだと仰って……。それでもなんとかもう少しお待ち頂けるようにお願いしたのですが、行き成り走りだされてしまい……」
この場がどれ程大事な話をしているのか知っているラウルは顔面蒼白だ。
対して白銀の狼──エウリーカは微塵も気にしていなかった。
『我は今回の話を認めないとカグヤ達には言っていたのだがな、勝手に話を進めおった』
不機嫌に言いながらもゆったりとした動作で私の傍まで来る。
ラウルは着いていくべきか迷ったものの、立場の事を考えたのだろう。結局その場にいる事にしたようだ。
「狼が喋った……?」
状況についていけてない彼女がポツリと呟いた言葉に、神殿関係者達の雰囲気が一気に剣呑になる。
それはそうだろうけれど、彼女の気持ちも分からなくもない私は内心で苦笑を浮かべた。
「あなたは大概失礼な方ですね。神獣であらせられるエウリーカ様に対してその様な言葉を言うとは……」
「神獣……?」
なんだそれはと言いたいのだろう。
神獣──神に仕える獣。神の声を聞く人間を神子と言うなら、神の声を聞く獣を神獣と言う。
神獣は人の言葉をしゃべるし、魔術も使える。それに長生きだ。
それだけで十分崇拝対象になるが、エウリーカはその神獣の頂点に立ち、神々に一番近いと位置づけされている存在だ。
なので扱いはそこら辺りにいる神獣どころではないのだけれど、彼女は全く知らないようだった。
もう少しこの世界に目を向けていてくれたら気が付いた筈なのにと思うと、残念でしょうがない。
『羽虫がなんと喋ろうとも我には雑音としか聞こえぬよ』
完全に蔑んでいるエウリーカの発言に彼女の顔が怒りの為か、一気に赤くなる。
『そんな事より、リサ大丈夫か?』
彼女の存在を無視して問いかけるエウリーカの声には心配な色が含まれていた。
「ふふふ。ありがとう。特に問題ないわよ?」
『ならば良い。さて、人間達よ。我はリサに用があるのでな、この場を辞させて頂く。問題はないであろう?』
途中で乱入してきてこちらの都合などお構いなし。
それが出来る立場と知っているから余計に性質が悪いというか……。
まぁ、この場に全く興味のない私にとっては助かる事なので文句を言うつもりはないけれどね。
「エウリーカ様……」
この場の空気を読んだのかラウルの声音に少し非難の色が見えたけれど、エウリーカも私も気付かない振りをした。
『さてラウル、戻るぞ。リサも行こう』
はい、と続く筈の私の声は彼女の声によって消された。
「ラウル……?」
どうやらエウリーカにかなり意識をとられていた様で、他に人がいた事に気付かなかったらしい彼女の瞳がラウルを捉えると、驚愕のあまりなのかこれでもかと言うほど目を見開いていた。
「っ!? お、お前は魔王っ!? なんでこんなところに……。だから、だからなのねっ!」
何か一人で納得し、嬉々とした表情を浮かべる彼女に私は瞬時に察した。
あ、これ駄目なやつだ。
それからの自分の行動を私は褒めてやりたい。
彼女がニヤリと笑った瞬間に私は駆け出した。
そして状況がよく分かっていないラウルを抱きしめる。
「死ねぇぇぇっ!」
私がラウルを抱き込んだと同時に彼女は叫び声をあげ魔術を解き放った。──ラウルに向かって。
その魔術はまっすぐにラウルの元に、ラウルを腕の中に抱き込んでいる私に向かってくる。
瞬間、辺りを覆いつくさんばかりの光と爆音と共に背中に何とも形容しがたい激痛が走った。
思わず出そうになる悲鳴をなんとか堪える。
そして遅れてやってきたのは、背中自体が燃えているのではないかと思うほどの熱と、何かを喪失していると分かる寒気。
「リサさま……?」
何が起こっているのか分からず、茫然と呟いたラウルに私はニコリと微笑んだ。
「ラウル、どこか、痛い、ところは……ない?」
あまりの激痛に意識が何度も飛びそうになるのを必死に押しとどめながら言葉を紡ぐ。
「あっ、俺は……!? リサ様っ!?」
漸く状況が分かったのか、酷く狼狽しているラウルの顔に私は手をそっと添えた。
よかった、この手には血が付いていなくて。そんな事をぼんやりと思いつつ、ラウルをじっと見る。
どうやらこれ以上意識を保つのは難しいみたい。
ラウルの素敵な顔が、紅く煌めく綺麗な瞳がハッキリと見えない。
まるで霞がかかっているかのように殆ど見えなくなっている。
それでもなんとかこれだけはと、最後の力を振り絞った。
「ねぇ……ラウル。私は、あなたを、照らす、星に……なれた、かし、ら……」
言葉を終えると共に最後の力も尽きたのだろう、急激に私の意識は闇に呑まれていった。
今までの静寂はなりを潜めて、周囲には怒号が鳴り響いている。
行き成りの出来事に膠着していた騎士達は素早く彼女を拘束し、魔術師達は神子の命を繋ぎ止めようと回復魔術を幾重にも展開する。
錯乱したような彼女の言葉に、耳を貸す者は誰もおらず。それどころか憎々しげに彼女を見る者ばかりだった。
白銀の神獣エウリーカは、その総動に自分は関係ないと窓へと向かって歩き出す。
そしてラウルに抱えられたリサを暫くの間じっと見た後、窓の外へと視線を移した。
その目は赤く燃え上がっており、溢れんばかりの怒気を空を睨みつける事で抑えているかの様に見えた。
『これがお前達の望みなのか』
感情が全く入っていないエウリーカの呟きを拾う者は誰もいなかった。
ただ、空だけがこれが答えだというかのようにしんしんと雪を降らせていく。
その雪は段々と積もっていき、アーシャナル国の冬の訪れを意味していた。
読んでいただいてありがとうございます。