第七夜
祝日の朝。目覚まし時計のアラームで俺は目を覚ました。精神的にキツいせいか、妙に身体が重い。一度溜め息をついて、ベッドから起き上がる。
「今日は佐倉の手伝いだったな。…準備して行くか」
服を着替えて朝食を済ませると、俺は家を出た。佐倉がバイトをしている花屋に到着すると、そこには佐倉と陽平の姿があった。
「お?きたきた」
「オっス、大翔!」
「おう。なんだ、陽平も来てたのか」
「まぁな!佐倉さんの頼みは断れないのさ!」
「あ、そう。…ところで佐倉。今日、そんなに配達多いのか?男が二人も要るって相当だろ?」
「ううん。そうでもないよ?ただ、量の割りに届け先が多いからね。一人で回ると時間掛かるから、是非とも二人に助けてもらおうと思ったの」
「なるほどね。けど、配達って俺達みたいな素人で大丈夫なのか?」
「大丈夫、大丈夫。ちゃんとお客様の名前とか書いたメモを渡すから。それに配達って言っても、お見舞い程度に考えれば大丈夫だから」
「お見舞い?病院なのか?」
「まぁ、いいから、いいから。さ、早く準備して行きましょ」
佐倉に促され、俺と陽平は配達の花をコンテナに積み込んだ。準備が完了すると、俺達は佐倉の案内するまま、その後に続いて歩いた。しばらく歩くと、俺達は目的地に到着した。
「此処って…病院…?」
そう。この病院は俺とケイが出会った、あの川原の近くにある総合病院だった。辺りを見渡すと、遠くに見覚えのある木々が生えているのがわかる。
「なぁ、もしかしてあの場所…」
「ん?…ああ、自然公園だろ?ほら、俺が前に言ってた場所だよ」
やはりそうだ。俺がケイと出会った場所だ。あの木々の中に小川が在って、川原が在るのか。自然公園を見つめて、しばらく立ち止まる。
「どうした?大翔?」
「…いや、なんでもない」
数秒、思い出に浸った後、俺は深呼吸してから病院に入る。中ではすでに佐倉が受け付けを済ませ、俺達が来るのを待っていた。
「あ、遅いじゃない!早くしないと、お客様待たせちゃうよ?」
「悪い。ちょっと考え事してた」
「もう!…じゃあ、コレ。配達先の部屋の番号と、お客様のお名前ね?」
佐倉からメモを受け取る。そこには部屋番号と人の名前が書いてある。
「一応、言っておくけど。部屋番号とお名前を必ず確認して、間違いの無いようにね?」
「わかった」
「了解!」
「じゃあ、私と秋野君は一階から回っていきましょう。江角君は、このお客様をお願い」
「このお客様って…メモに書いてる一人だけか?」
「そうよ?何か不満でも?」
「いや、そうじゃないけど。ただ、ちょっと簡単過ぎないか?」
「大丈夫。行けばわかるから。そのお客様。結構、手の掛かる人なの。だから江角君にお願いします」
「…なんか貧乏クジを引かされた気分なんだけど」
「つべこべ言わない。早く行く」
「…わかった」
佐倉は将来、良いお母さんになる。そう思った。とりあえず、佐倉や陽平と別れて、俺は佐倉の言う通りに配達の花束を持って病院内を歩く。メモを確認すると、部屋番号は三〇三号室となっている。
「三〇三号室って事は、三階…だよな?」
エレベーターを使って三階まで上がる。三階に到着すると、エレベーターの扉が開き、すぐ目の前にナースステーションが見えた。ふと通路に目を向けると、そこには心臓内科の文字が大きく見えた。
「すみません。三〇三号室って何処ですか?」
「三〇三号室ですね?そちらでしたら、通路を真っ直ぐ歩いて頂いて、突き当たった左側となっております」
「ありがとうございます」
ナースステーションで病室を尋ねた後、俺は看護婦の言う通りに通路を歩いた。
「突き当たった左側…あ、此処か…」
病室の前に着くと、メモを確認し、名前を確認する。
「三〇三号室の美空さん…だな。間違いない」
確認を終えると、俺は病室の扉をノックした。すると中から元気な女性の声が聞こえた。
「はーい?」
「あの、花屋の配達ですけど…」
「あ、しばらくお待ちください」
しばらく待った後、中から一人の看護婦が姿を現す。
「お待たせしました。中へどうぞ」
「あ、はい」
看護婦に促され、病室の中に入る。中は個室になっていて、とても広く、清潔感がある。病室の中で看護婦がベッドのシーツを直している。その最中。俺を気遣ってか、看護婦が親しげに話し掛けてくれる。
「すみませんねー?せっかく来て頂いたのに、この病室の患者さん。今、検査中で居ないんですよ。もうすぐ戻ってくると思いますんで、しばらく中で待っててくださいね?」
「はい。お気遣いなく」
辺りを見渡して適当な椅子に腰掛ける。すると、シーツを直し終えた看護婦が、俺の目の前に立ち、手を差し出す。
「お花。活けてきますので、お預かりしましょうか?」
「あ、すみません。お願いします」
花束を受け取ると、看護婦が嬉しそうに笑う。
「綺麗なお花。ほたるちゃんも喜ぶわ」
ほたる?美空ほたるっていうのか、この病室の人。まぁ、蛍祭りを観光に使ってるこの町じゃ、それほど珍しい名前でもないか。
「あの…お花屋さん?」
「はい?何か?」
「もしよろしければ、ほたるちゃんのお見舞いをして頂けませんか?」
「え…俺がですか?」
「はい。というのも、ほたるちゃん。小さい頃から身体が弱くて、ずっと入退院を繰り返してる可哀想な子なんです。そのせいでお友達も居なくて。なので、誰か一人でもお見舞いに来たとわかったら、すごく喜ぶと思うんです。ほんの少しでもいいので、お話し相手になってあげてもらえませんか?」
悲しそうな顔で語る看護婦。その姿に俺は断りを入れるわけにはいかず、了承する事にした。
「わかりました。俺でよければ」
「本当ですか!?ありがとうございます!では、よろしくお願いしますね?」
俺の返答に喜び、笑顔で病室を出ていく看護婦。一人で残った俺は、椅子から立ち上がり、窓際へと歩み寄る。窓から外を見つめ、佐倉の言葉を思い出す。
「…確かに…手の掛かる人みたいだな…」
窓の外には、あの自然公園が視界に入る。よく見ると、俺達が通う学校の通学路が見える。
「意外とよく見えるんだな…」
しばらく外を見ていると、病室の扉が開き、誰かが中に入ってくる。さっきの看護婦が花瓶に花を活けて持ってきたようだ。
「お花活けましたのでお持ちしました。もうすぐ来ると思いますので、もう少しだけ待っててくださいね?」
「はい。わかりました」
軽く言葉を交わすと、看護婦は再び病室を出ていく。その時。通路に出た看護婦が何かに気付き、扉を開けたまま誰かと話し始める。
「あら、ほたるちゃん!丁度良かったわ!今ね?ほたるちゃんにお見舞いが来てるのよ?」
話の感じから、部屋の主が戻ってきたのはわかるが、何を話しているのか、看護婦の声しか聞こえない。
「いつもの花屋さんみたいだけど、今日は男の人みたいよ?ほたるちゃん、抱っこでもしてもらったら?」
「もぉっ!やめてくださいよ!いつも、いつも子供扱いして!」
やっと聞こえた。女の子の声だ。
「ほら。花屋さんがお待ちだから、早く中に入って?」
「もぉ〜!」
丁度、扉で見えない所に居るのか。女の子の姿は見えない。けど、なんだか微笑ましい光景だ。そう思ってしまうと、つい笑いが出てしまう。失礼だなと思い、窓の外を見る。すると、女の子が怒った感じで病室へ入ってくる。
「次、言ったら叩きますからね!?…まったくもう!」
看護婦へ怒鳴ると、女の子は扉を強く閉める。・・・怖い、怖い。早く用事を済ませて帰ろう。
「すみません。なんだかお待たせしてしまったようで…」
「いえ、いいんですよ。大丈夫です」
振り返って女の子を見る。その瞬間。俺は自分の目を疑った。そこに立っていたのは・・・。
「…け…ケイ…?」
「…ヒロト…さん…?」
・・・間違いない。ケイだ。今、俺の目の前にはケイが居る。
「…本当に…ケイ…なのか…?…幻じゃ…ないよな?」
声が震える。まだ、自分の目の前の出来事を理解しきれない。
「…ヒロトさん…なんで此処に…」
不思議そうに俺を見つめるケイ。次の瞬間。俺はケイに駆け寄り抱き締めていた。
「ケイ…!…ケイ!ケイ!」
ケイの名前を呼びながら、俺は泣いていた。腕に力が入り、今までにないぐらい強くケイを抱き締める。
「ヒロトさん!…ちょっと…痛いです…!」
ケイの一言で、俺は咄嗟にケイから離れる。
「ご、ごめん。…俺、嬉しくてつい…」
「…もう。ちょっと慌て過ぎです。もっと優しくしてくれないと困ります…」
「そんな事言ったって仕方ないだろ!?あんな別れ方したら、誰だって…!」
感情に任せて大声を出す。その様子にケイは少し怖がっていた。
「…ごめんなさい…私…」
ケイの目に涙が浮かぶ。その姿を見た瞬間。俺は我に帰り、冷静さを取り戻す。
「あ…ごめん…。俺…そんなつもりは…」
「いえ。悪いのは私なんです。何も言わずに勝手に居なくなって。…私…最低ですね…」
涙を流すケイ。泣かすつもりなんてなかった。なのに俺は・・・。
「違う。ケイが悪いわけじゃない。ごめん。俺、つい感情的になって…。泣かせるつもりなんてなかったのに…」
俺が泣き出すと、ケイは優しく俺の頬に触れ、微笑みを浮かべる。
「…大丈夫。悪いのはヒロトさんじゃありません。ちゃんと話をしなかった私が悪いんです。なので、聞いてもらえますか?私の話。本当の私の事を…」
ケイの優しい声が、俺の心に響く。ずっと知りたかった本当の事。ケイの真実を。俺は深く頷き、ケイに微笑む。すると、ケイも同じように俺に微笑んだ。しばらく時間を措き、お互いに落ち着いてから話を始める。ケイは生まれてしばらくは元気で活発な子だったらしいが、ある時。胸の苦しみに襲われ検査したところ、その身体には先天性の心臓病があるとわかり、入退院を何度も繰り返した。その結果。中学校まではなんとか卒業したものの、高校に入学した後は病気のせいで何度も留年を繰り返し、最終的には自主退学というかたちで辞めてしまったそうだ。その病気は年を増す毎に悪化していき、今、その病気の進行度は危険な域に達しているらしい。早めに手術をすれば治ったかもしれないとの事だが、ケイにはそれが出来ない理由があった。手術の前日。両親が交通事故で他界し、精神的に追い詰められたケイは自閉症を発症。手術が出来るほどの体力も気力も出来なかったのだ。家族を失い、手術をして生きていく事を諦めたケイだったが、その心にある日。光を灯す存在が現れた。それが、毎年現れては消えていく蛍だった。たった一週間の命。だけど、その一週間を全力で生きて自らの生きた証を残す蛍を見て、ケイは思ったそうだ。
生きたい。生きてあの蛍の中を歩き、光に包まれたい。と。その願いを叶える為、ケイは何度も手術を繰り返しては今まで生き続けてきたらしい。そして最近はその甲斐もあってか、良い方向に回復をしているとの事だ。しかしもう一つ。ケイの身体が順調になっている理由があった。
「…え、俺?」
「はい。ヒロトさんのおかげです」
「どうして俺が?」
「最初は窓の外を見ていたら、偶然見かけただけだったんです。何も気にせず、ただ、格好良い人だなぁとしか思ってませんでした。でもあの日。私が偶然、あの川原に遊びに行ったら…」
「…そこに俺が居た?」
「…はい。本当はあの時、黙って立ち去ろうと思いました。でも、ヒロトさんが寂しそうに蛍を観ている姿を見たら、なんだか耐えられなくて。勇気を出して声を掛けました。もしかすると、この人も私と同じように生きる事に何か不安があるんじゃないか。そう思って…」
「…すごいな、ケイは。なんでもお見通しだったのか」
「本当は、最初の一回だけと思いました。深く関わったら、辛いだけだからって。でも、気が付いたらいつの間にかあの川原に行ってて、またヒロトさんに会って、友達になるって言われて。…もう、無理だなって思いました。私、ヒロトさんに恋してるんだってわかりました」
「そうか。…変だな。俺もあの時、同じ事を考えてたよ。ケイに初めて会った瞬間、まるで雷に打たれたみたいだったよ」
「…私、本当の事を言おうって、何度も思ったんです。でも、ヒロトさんに優しくされればされるほど、その優しさに甘えてしまって何も言えなくなりました。いえ、それ以前に怖かったんです。本当の事を言えばヒロトさんに嫌われてしまう。病気の身体だと知ったら、気持ち悪がってもう相手にしてもらえないんじゃないか。そう思うと、どうしても言えませんでした…」
「…だから、時々暗い顔をしていたのか。申し訳ないって思ってたから。俺に別れを告げずに居なくなったのも、わざと嫌われるようにしていたんだな」
「…よくわかりましたね」
「…俺も似たようなもんだからな」
「そうなんですか?」
「うん。俺はさ、人付き合いが下手くそで、友達と言える人間は陽平ぐらいのもんだ。よく人の気持ちも考えずに、傷付く事を平気で言ったり、人の親切も邪魔に思ってたりした。そんな俺だから、誰かと関わったら、その人が不快になるだろうとか、俺の事を迷惑な奴だと思うだろうとか考えてた。だから、初めてケイと会った時、俺を心配するケイの言葉にわざと噛み付いたんだ。近付いてほしくなくて、傷付けたくなくて、わざと嫌われようとした。でも、ケイは嫌うどころか、蛍で例え話をしてまで気付かせてくれた。俺がやってる事が間違ってる事に。だから俺はケイを見捨てたくなかった。毎日でも会いに行きたくなった。俺もあの日、ケイに恋をしたから…」
「…同じだったんですね、私達。考えてる事も、やってきた事も。表現の仕方が違うだけで、二人揃って同じ事をしていただけなんですね」
「ああ、そうだな。こうやって話をして初めて知れた。そして改めて思った。やっぱり俺はケイが好きだ。全てを知った今も、俺は変わらずケイが好きだ」
「私もです。ヒロトさんに会えて、本当に良かった。私、ヒロトさんと出会ってから、身体の調子が良いって言われるんです。看護婦さんにヒロトさんの事を話したら、恋をしたら誰だって強く、元気になれるんだよって言われました。ヒロトさんは私の命を繋いでくれる希望の人です。ヒロトさんのおかげで、私は決心が出来ましたから」
「決心?何の?」
「私。明日、最後の手術をします。成功する確率は低いけど、成功すればもう、命の危険は無くなるっていう手術です」
「え…それじゃあ…」
「本当は、一人で頑張ろうって思ってました。女の子として、やり残した事も無くなりましたから。生きても死んでも、悔いの残らないように沢山の思い出も出来ましたから。でも、最後にもう一度だけ、ヒロトさんに会いたいなって思ってましたから、良かったです」
「やめろよ。そんな言い方、まるで死ぬつもりみたいじゃないか」
「違います!死ぬ気なんてありません!…でも、明日の手術は本当に大変みたいで、正直に言うと死ぬ格率の方が高いです。でも、私は頑張ります。頑張るから絶対に死にません。それに、あと一回で無事に生きる事が出来るなら、私はその可能性に賭けたいです。結果がどうなるかなんて、私にはわかりません。だから敢えて、私はさよならは言いません。さよならを言ってしまうと帰ってこれないから。でも、さよならを言わなかったら、ただいまって言ってヒロトさんの所に帰れる。そう信じてます」
「…ケイ…」
「ヒロトさん…。…もし私が生きて帰って、ただいまって言ったら、おかえりって…言ってくれますか?」
「…当たり前だろ。俺がおかえりを言わないで、他に誰が言うんだよ?」
「…良かった」
お互いに見つめ合う。すると何故かわからないが、二人同時に笑いが込み上げてくる。もしかしたら今日が最後かもしれない。そう思いながらも、俺は笑っていた。全てを知った安心感からか。いや、それよりも大きな不安を消す為の笑いかもしれない。でも、それでもいい。今はただ、ケイとの二人きりの時間を過ごしたい。そう思った。しばらくすると、俺達の笑いは止まり、また見つめ合っていた。ベッドに座るケイ。その隣に座り、ケイの肩を抱き寄せる。するとケイが俺の手を握り、指を絡ませる。
「…ヒロトさんの手、温かい…。…久しぶりです…」
「久しぶりって。会わなかったのは昨日一日だけだろ?」
「たった一日でも、蛍なら十年分くらいですよ?」
「蛍で例えるなっつの」
「えへへ。いいじゃないですか。それだけ大事な一日だったって事ですよ」
「…まぁな」
ケイの言う通り、俺にとっても昨日一日はとても長く、苦しかった。本当に十年振りに会ったような気持ちだ。でも逆に、今のこの数秒が永遠よりも永く感じる。俺は今、改めて幸せだと思った。その幸せを噛み締めていると、ケイが擦り寄り、俺の耳元で小さく囁く。
「ヒロトさん…。ベッドありますけど、どうします…?」
「どうするって…何を?」
「何をって…。しませんか?…エッチ…」
俺は思わずケイを見る。ケイは優しく微笑み、甘えた声を出して俺に寄り掛かってくる。
「…しませんか?」
「な、何言ってるんだ!?此処、病院だぞ!?」
「大丈夫ですよ、個室ですから。それに、もう今日は夜まで看護婦さんも来ません。…だから、ね?」
誘惑に負けそうになる。いや、駄目だ!負けるな俺・・・!
「だ、駄目だ。ここじゃ出来ない。ちゃんと元気になってから…」
その時。ケイに引っ張られ、俺はベッドに引き倒される。ベッドに横になる俺に跨がり、ケイが怪しい笑みを浮かべる。
「ちょっ…!?ケイ…!?」
「うふふふ…!覚悟はいいですね、ヒロトさん…!!」
「わぁーっ!!」
次の瞬間。何かの音と共に激しい光が二、三回点滅する。
「…な、なんだ!?」
驚く俺。その姿を見て、ケイが腹を抱えて笑い出す。ケイが笑い始めると、物陰から見覚えのある人物達が姿を現す。
「ドッキリ〜!大っ成っ功ーっ!」
「はーい!江角君のびっくり顔、いただきました〜!」
「…佐倉…と、陽平…?」
二人をよく見ると、佐倉の手にはカメラがある。今の光はカメラのフラッシュだったのか。・・・って事は。
「お前等…まさか…」
「江角君…。…あの驚き方はないわ。うん」
「…意外と純だな、大翔」
全てを理解した瞬間。俺は全身から力が抜けた。おかしいと思ったんだよ。ケイがあんな風に言ってくるわけないじゃないか。完全に嵌められた。大きく溜め息をつくと、心配した佐倉が声を掛けてくる。
「あれ?江角君、大丈夫?結構、ショックだったりした?」
「…いや、むしろ安心した。ドッキリじゃない時の方が恐ろしいわ」
「そっか、そっか。じゃあ、本番始まってから出てくれば良かったね?」
「…ひっぱたくぞ」
俺が答えると佐倉は笑った。みんなが笑っていると、なんだか俺も可笑しくなってくる。その時。俺はふと、ある事に気付く。
「そういえば、なんでお前等が此処に居るんだ?」
「なんでって、ケイちゃんの見舞いに決まってるじゃねぇか」
「いや、そうじゃなくて…」
俺が陽平に事情を聞こうとした時、佐倉がケイに話し掛ける。
「どう、ケイちゃん。今日のお花も綺麗でしょ?」
「はい!いつもありがとうございます!」
・・・今日のお花?・・・いつもありがとう?・・・まさか・・・。
「もしかして…二人共、知り合いだったのか…?」
「あれ?言ってなかったっけ?知り合いってわけじゃないけど、昔から花の配達に来てたから顔見知りではあるよ?」
「…初耳なんだけど」
「ありゃ?ごめーん、忘れてたみたい」
「…なんだそりゃ…」
呆れた。それと同時に今までの事が脳裏に浮かぶ。・・・なるほど。だからケイは、佐倉に後の事を託したのか。そりゃそうだな。予め知り合いじゃないと、信頼して任せられないよな。
「ヒロトさん、どうしました?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
「まぁ、まぁ。怒らないでよ、少年」
「誰が少年だ。…まったく」
俺の姿を見て、みんなが声を揃えて笑う。みんなが楽しそうにしている姿を見て、俺も心が穏やかになった。それから俺達は、面会時間の終わりまで話し続けた。その話の中でわかった事が二つ有った。一つ目は、ケイと佐倉の関係。中学時代から花屋でバイトをしていた佐倉は、ほぼ毎日のようにこの病院に花の配達に来ていたらしく、その時からケイの姿を見掛けていたらしい。話をする機会もなく、顔を合わせれば挨拶をする程度の中だったらしいが、あの日。俺とケイが蛍祭りに行った時に、初めて互いの素性を知ったそうだ。偶然が産み出した奇跡と言うべきなのだろうか。確かに今になって思えば、祭りに行った時も、俺の家で鉢合わせた時も、随分と親しくなるのが早いと思ってはいたが、まさかそんな繋がりが有るとは思いもしなかった。そしてもう一つわかった事。それは以前、陽平が話題にしたあの話の真実だった。
「えぇーっ!?ケイちゃんって、二十歳なの!?」
「ええ…まぁ…」
「意外よね?私も知った時はびっくりしちゃった」
「隠すつもりは無かったんですけど、若く見られた方が嬉しいかな…なんて…」
「…で、ケイの年齢がどうして幽霊事件と関係あるんだよ?」
「実はですね…」
陽平が以前話題にした話。そう、陽平が話をしていた幽霊とは、まさにケイの事だったのだ。元々、俺達が通う高校の生徒だったケイだが、病気のせいで出席日数が足りず、何度も留年を繰り返した。その結果。知り合いが登校する時間帯に外出すら出来なくなり、夜遅くに学校の周りや自然公園を歩き回っていたそうだ。それがいつ頃からか、黒髪の少女の幽霊が蛍の光と共に出没するらしいという噂が流れ始めた。事実ケイは、蛍が出る時季になると医者に外出許可をもらっては外出していたらしい。
「じゃあ…あの時、もう会えなくなるって言ってたのは…」
「はい。外出許可はあくまで事前申請なので、蛍が出る一週間だけの予定だったんです。あの日は六日目で、ヒロトさんとエッチした日が最終日だったんです」
「そうだったのか。俺、外泊許可をもらったって聞いたから、てっきり親にもらったとばかり思ってたよ」
「ちゃんと言いませんでしたからね。仕方ないですよ」
「まぁな。まぁ、別に気にしてないけどさ」
その時。何かに気付いた陽平が俺達の会話に割って入る。
「ちょっ、ちょっと待った!ケイちゃん今、大翔とエッチしたって言った…?」
・・・しまった。気付かなかった・・・。
「はい、しましたよ?それが何か?」
そして何故ケイは動じない!?
「…くっ!まさか、大翔に先を越されるとは…!」
「いや、そこまで落ち込む事じゃないだろ」
「いや、落ち込んでるのは事実だが、俺は大翔を見直したよ。これで大翔も一人前の男だな!」
「お前に言われても嬉しくない」
そんな冗談を言いながらも、俺は今までの事を振り返り、その真実を知った事で不思議と心が安らいでいた。今まで心に引っ掛かっていた何かが取れた事で、気持ちもスッキリしていた。そして面会時間も終わりに近づき、帰る時がきた。俺は最後に、ケイと二人きりで話がしたかったから、佐倉と陽平を先に帰らせた。特に大事な用はない。でも、明日の事を考えると不安も残っていた。
「ケイ。明日の手術は何時からなんだ?」
「明日は朝早いですよ。多分、ヒロトさんが学校に行ってる間はずっと、手術です。長時間になるって言われましたから」
「そうか。なら、学校休んで応援に来るよ。ずっと近くで、ケイの事を応援する」
「気持ちは嬉しいのですが、それは駄目です。ヒロトさんは学校に行ってください」
「どうしてだ?恋人の手術の日だぞ?傍に居たいのは当たり前じゃないか」
「ヒロトさんの気持ちはわかります。でも、明日の手術は私一人で頑張りたいんです。その事はサクラさんにも話してますから、ヒロトさんが来ようとしても止めてくれます」
「どうしてそこまで一人がいいんだ?誰かが傍に居た方が心強いだろ?」
「はい。それはもちろんです。ヒロトさんが傍に居てくれたら、絶対頑張れます。でも、もしその応援に応えられなかったら、一番辛いのは私じゃなく、ヒロトさんです。ヒロトさんは優しいから、なんでも自分の責任にして追い込んでしまう。だから、ヒロトさんにだけは来てほしくありません」
「…ケイ」
「それに。さっきも言いましたけど、私はさよならではなくて、ただいまを言いたいんです。傍に居てすぐ、手術の結果がわかったら、ただいまを言えないじゃないですか」
「じゃあ、俺はどうしたらいいんだ?俺はケイの力になりたい。ケイを助けたい。俺は何をしたらいい?」
「今まで通り学校に行ってください。そこでお友達を沢山作って、そして卒業してください。私が出来なかった事を、ヒロトさんが叶えてください。そしていつか。私が帰ってきた時に、その話を聞かせてください」
「…必ず帰ってくるんだな?」
「はい。約束します。私は必ず、ヒロトさんの所に帰ってきます」
「…わかった。俺も約束する。明日からケイの所には一切、来ない。ケイが帰ってきた時に、おかえりって言う為に」
「はい。嘘ついたら蛍食べさせますからね?」
「わかってる。でも、約束守ったら、俺の言う事をなんでも聞けよ?」
「もちろんです。なんでもしてあげますよ?だって私。ヒロトさんよりお姉さんですから」
「頼りないお姉さんだな」
「あ、ひどい」
そう言うと、俺達は声を合わせて笑った。互いに約束を交わし、また会える日を誓い合う。
「それじゃあ、そろそろ帰るよ」
「はい。学校、頑張ってください」
「うん。ケイも、明日の手術頑張ってな」
「もちろんです。約束ですからね」
互いに笑顔を見せ、見つめ合う。最後にキスを交わすと、俺は病室を出る為に扉に歩き出す。扉に手を掛けた時。ケイが俺を呼び止める。
「ヒロトさん」
「…どうした?」
「…好きですよ。これからもずっと、大好きです…」
「…俺も好きだよ。ケイの事、ずっと好きでいる」
言葉を交わすと、ケイは笑顔で手を振る。さよならや、またねも無い。無言の別れだ。その理由がわかっていた俺も、同じように手を振って病室を出る。病室の扉を閉じた時。俺の目には涙が溢れた。けど、俺はすぐに涙を拭いて病院から立ち去った。言葉に出来ない感情が込み上げてくる。だが、俺は自分に言い聞かせるように、ケイとの約束を何度も思い出していた。次に会った時に、胸を張って会えるように約束を果たそう。そう思った。季節は六月下旬。町ではもう蛍祭りも終わり、蛍も飛ばなくなっていた。・・・翌日。俺はケイの手術が成功する事を願いながら、いつもの生活に戻った。数日。数週間。数ヵ月。俺はケイとの再開を願って、ただ待ち続けた。ケイがただいまと言って帰ってくる日を、ただひたすらに待ち続けた。そして、ケイと約束を交わしてから、既に七年の月日が経とうとしていた・・・。