第二夜
翌日。学校の昼休み。いつものように屋上で昼食を済ませていると、陽平が話し掛けてくる。
「大翔。お前、昨日何処に行ってたんだよ?朝から聞いてもちっとも答えてくれねぇし」
「…ちょっとな」
「ちょっとな、じゃねぇって。俺一人で女の子達の相手は大変だったんだぜ?出店のオゴリだって全部俺が出したんだぞ?」
「ご苦労さん」
「おいっ!?それだけかよ!?」
「大変だったな」
「…もういいや」
軽く涙目になりながら、陽平は諦めたようだった。
「泣くな、友人A」
「その呼び方やめろっつの」
「…お前、名前なんだっけ?」
「…本気で傷付くからやめてくんない?」
こんな冗談を言いながらも、俺は昨日の夜の事を思い出していた。ケイと別れて家に帰ったはいいが、結局ほとんど眠れなかった。ケイの事を思い出す度に、すぐにでもあの場所に行きたくなる。こんな気持ちになるのは初めてだ。今まで色んな人と出会ったり話したりしたけど、こんなに頭から離れない人も、ずっと話していたいと思う人も、ケイが初めてだ。そんな事を考える俺の口からは、今までとは何かが違う溜め息がこぼれた。
「どうしたんだ大翔?」
「なんでもない。ちょっと考え事」
「…そっか」
なんだかんだで学校も終わり、放課後になった。俺は足早に学校から帰ると、すぐにあの川原に向かった。何も急ぐ理由は無いのに、俺は走っていた。何故だろう。早くケイに会いたい。会って話がしたい。そう思った。まだ太陽は沈んでいない。蛍だって出ていないはずだ。本当にケイが居るかもわからないのに、俺はただひたすらに走り続けていた。川原に到着すると、まだ明るいせいか、まだ蛍は出ていない。
「…やっぱり、早く来すぎたかな…」
荒くなった呼吸をゆっくりと整えて、昨日と同じ石の上に座り込む。小川を見つめて、蛍が出てくるのを待つ。まだ少し息苦しい。目を閉じてゆっくり深呼吸する。二回も三回も繰り返して、ようやく息も整ってきて落ち着く。ゆっくり目を開けると、目の前に人が立っている。
「こんばんは、ヒロトさん」
間違いない、ケイだ。また気配が無かったけど、また会えた。
「こんばんは。ちょっと早かったかな?」
「そうですね。蛍を観るには、まだちょっと空が明るいですから」
正直、目の前に現れた事よりも、また会えたという喜びの方が大きく感じる。不思議だ。どうして俺はこんなにケイの事を強く考えるのだろう。多分、今日ケイに会えなかったら、俺は二度とこの場所には来ていない。そう思えるほどに、ケイの存在が俺をこの場所に惹き付けている。
「ヒロトさん。もしよろしければ、あの子達が起きるまでお話ししませんか?」
「ああ、いいよ。じっと待ってても意味ないしな。何の話をする?」
「そうですね…では、蛍の話を」
本当に蛍が好きなんだな、この子は…。
「いいよ。ケイは蛍に詳しいのか?」
「はい。私、蛍が大好きですから。あ、ヒロトさん。隣に座ってもいいですか?」
しまった。気が付かなかった。
「あ、ごめん。立ったままじゃキツいよな。どうぞ座って」
「失礼します」
そう言ってゆっくりと石に腰掛けるケイ。ほんの一瞬だけど、微かに花の良い香りがした。シャンプーかリンスの匂いだろうか。すごく良い香りだ。
「良い匂いがするな。香水?」
「え?何か匂いますか?」
「多分、花の匂いだと思うけど。気のせいかな?」
「花?…ああ、わかりました。百合の花ですよ。香りが強いので染みついてるんだと思います」
「そうか。好きなのか、百合の花?」
「特別好きなわけではないのですが、香りが良いのでつい、ずっと傍に置いてしまうんです」
「なるほど。一番好きな花は?」
「一番ですか?季節で変わってきますけど、今だと紫陽花ですかね。色が沢山有って綺麗ですし」
紫陽花か。今度探して持ってこようかな。と、花の話は置いといて。
「あ、ごめん。蛍の話だったな」
「いえ、大丈夫です。むしろ私もお聞きしたいです。ヒロトさんの好きな花…」
「俺の好きな花か。…なんだろう、秋桜かな?沢山咲く花って、結構好きなんだ」
「あ、わかります。良いですよね、秋桜。私も大好きです」
嬉しそうに笑うケイ。その笑顔が俺の中の何かに火を灯す。俺への言葉じゃない。だけど、ケイの言った大好きという言葉が深く心に刺さる。まさか。いや、有り得ないだろ。まだ会って二度目だぞ。俺は・・・ケイに恋をしてしまったのか?もしかして、これが俗にいう一目惚れってやつなのか?そんなまさか・・・。
「ヒロトさん?どうかしました?」
「いや、なんでもない」
咄嗟に目を背ける。意識するとまともに顔が見れない。そんな俺の気持ちを知らないせいか、ケイは心配して俺の額に手を置く。
「本当に大丈夫ですか?熱があるみたいですけど?」
「だ、大丈夫だって。それより、何か話そう」
「…そうですか。あまり無理はしないでくださいね?」
そう言うとケイの手が額から離れていく。少し勿体ない気もするが、この場合は仕方ない。とにかく今は気持ちを落ち着かせよう。
「で、今日はどんな話をしてくれるんだ?」
「そうですね…。あ、これ知ってますか?蛍って、雄と雌で光る強さが違うんですよ?」
「そうなのか?じゃあ、光で性別がわかるのか」
「そうなんです。雄は発光体が全部光るから強い光を出すんですけど、雌は発光体の真ん中だけ光るので、雄に比べると光が弱いんです。なので、暗い夜でもお互いの光でお互いを見つけられるんですよ?」
「へぇー。じゃあ、どんなに離れていても大切な相手を探せるわけか。羨ましいな」
「本当ですね。切ないけどロマンチックですよね。私にもそんな人が居たらいいんですけど…」
ケイの言葉に、一瞬息が詰まる。
「…居ないのか、恋人…」
「ええ、まぁ。…私なんて誰にも好かれませんから。誰にも気付いてもらえませんし」
気付いてもらえない。ケイのその一言に、俺は違和感を感じた。でも、わかる事はあった。明らかにケイは何かを隠してる。そして、そのせいで悲しんでいる。
「大丈夫さ。ケイならきっと良い人が見つかるよ」
「…だといいですね。私、友達も居ないのでいつも一人きりでいるから、ネガティブになりやすくて」
「学校とか行ってるだろ?友達作るのなんて簡単だぞ?」
「学校は…ちょっと色々あって行ってません」
ケイの顔が曇る。
「あ、ごめん。俺、余計な事を言ったな。事情も知らないで変な事言ってごめん」
「いえ。ヒロトさんは私の事を心配して言ってくださったんです。余計でも変でもないです。私、すごく嬉しいです」
笑みを浮かべるケイ。けど、何故かその笑顔には今まで感じた輝きではなく、妙な何かを感じる。
「…俺じゃ駄目か?」
「え?」
何を言ってるんだ、俺。
「俺が君の…」
言葉が詰まる。あと一言が言いたい。ケイも俺の目を見つめてじっと待ってる。言え。言うんだ。あと一言。
「君の…友達に…とか」
・・・根性無いな、俺。呆れられてないか不安になってきた。
「…本当ですか?」
「…え?」
「今の言葉…。本当に私の友達になって頂けますか?」
ケイの目が俺を見つめる。とても悲しそうだけど、必死に何かを求める目。その目が全てを語っていた。
「…もちろん。俺でよければ、喜んでケイの友達になるよ」
そう告げた瞬間。ケイの目から涙がこぼれ落ちる。大粒の涙を流して泣き出すケイ。俺はどうしていいかわからず、パニックになってしまう。とにかくハンカチを手渡し、ケイをなだめる。
「大丈夫かケイ?どうしたんだ?」
心配する俺の声を聞いて、ケイが泣き止む。突然の事で驚いたけど、俺はケイが泣く理由が一つしか思いつかなかった。
「ごめんなケイ。俺なんかが友達じゃ嫌だよな」
申し訳ない気持ちで一杯になる。調子に乗りすぎた…。
「…違うんです…」
「え?」
「…私、すごく嬉しいです。私なんかと友達になってくれるなんて、今まで誰にも言われた事なくて…。だから、すごく嬉しいです。ヒロトさんがよければ私…友達になりたいです」
一生懸命に言葉を紡ぐケイ。その顔は、若干の不安があるのか、少し暗い。けど、俺はケイの手を握り締め、その目を見つめる。それに驚いたのか、ケイはきょとんとした顔で俺を見つめ返す。
「俺の方こそ、俺なんかでよければ友達になりたい。俺じゃ駄目かな?」
「そんな事ありません。私の方こそ、ヒロトさんとお友達になれたらとても嬉しいです。私なんかでいいんですか?」
「もちろん。俺はケイと友達になりたい」
単純な言葉。何の捻りも無い言葉だけど、これが今の俺に出せる、最大限の表現。俺の言葉を聞いたケイが、満面の笑みを浮かべる。その笑顔には、俺が好きなあの輝きがあった。その時。辺りで小さな光が飛び交う。
「ヒロトさん、見てください。蛍ですよ」
「本当だ。いつの間にか日が落ちてたんだな」
俺とケイを包み込むかのように周りを綺麗に飛び回る蛍。
「綺麗ですね…。今日の蛍はいつもの何倍も綺麗に見えます。まるでお祝いをしてくれてるみたいです…」
「お祝い?どうして?」
「実は私、ヒロトさんが初めてのお友達なんです。だからきっと、みんながお祝いしてくれてるんだと思います。友達が出来て良かったねって」
「そうか。でも、それはちょっと違うよ」
「どうしてですか?」
「だって、俺は二番目だから。最初の友達は、アイツ等だろ?」
そう言って空を舞う蛍を指差す。その指先を見つめ、ケイが優しく笑う。
「…はい。あの子達もヒロトさんも。私の大切なお友達です」
ケイが笑う。その笑顔を見ていると、俺も嬉しくなる。すると突然、ケイが俺の手を引っ張って小川へと走り出す。
「ちょっ!?ケイ!?どうしたんだ、いきなり!?」
「ヒロトさん!みんなで一緒に遊びましょう!ほら、早く早く!」
そう言うとケイはどんどん俺を引っ張る。
「わ、わかったから、引っ張るなって!?」
蛍が舞う光の中を駆け回り、俺とケイは夢中になって遊んだ。蛍の光に照らされたケイは、まるで妖精ようだった。・・・どれほどの時間が過ぎただろう。俺もケイも息が切れるまで遊び続けた。やがて、俺も帰らなければいけなくなり、また別れの時が来た。帰る直前、ケイが不安そうに口を開く。
「また会えますよね?」
「当たり前だろ?また明日も来るよ。」
「絶対ですよ?約束です!」
「もちろん。約束する」
ケイと約束を交わす。するとケイは嬉しそうに笑った。名残惜しい気持ちを押さえながら、俺はケイに別れを告げて帰路に着いた。寝る前に明日の事を考える。明日は午前中だけ学校だし、午後から買い物に行こう。ケイに何かプレゼントをしようかな。何を買おうか考えている内に、俺はねむっていた。薄れ行く意識の中で俺は思った。・・・ケイの夢が観れるといいな・・・。