私は頑張って生き残る!
血液が飛び散るような描写があります。苦手な方は注意して下さい。
「なんなのよおおぉぉぉーーー!! これはあああぁぁーーーーーー!!!」
鏑木夕貴は、涙目でみっともなく喚きながら疾走していた。
夕貴の前には、同じように死に物狂いで走っている人々がいる。だが、誰もが皆、他人の事を気にかけている余裕はなかった。
夕貴は走りながら周囲を見回すと、突然左方に折れて人々の隙間を縫って道を逸れた。
人の群れから完全には外れず、けれどもすぐに離れられるような位置について再び走り出す。
だが、正直インドア派の夕貴はすぐに体力が尽きてしまい、仕方なくビルの陰になる場所で壁に身体を凭れかけて、周囲を警戒しながら息を整えた。
「ぜぇ、はぁ、ぜぇ、はぁ……」
運動不足の身体が悲鳴を上げていた。
心臓と肺が痛んで、胸をぎゅっと握り締めながらその痛みに耐える。
「はぁ、はぁ、きっつぅ……っは、はぁ、はぁ…………ったく、なんのドッキリよ、これは……」
もちろんドッキリなどではない事は分かっている。
それでもそれくらいの現実逃避をしなければやってられなかった。
夕貴が現実逃避を続けながら息を整え、再び走り出そうとしたその時――
地面が大きく揺れて目の前を走っていた人々がごっそりと欠けた。
その向こうでビルの4階に匹敵する高さを誇る犬のような物体が、嬉々として――表情が分かるわけではなく雰囲気でなんとなく――爪を振り回しているのが見えた。
夕貴の顔からさぁーっと血の気が引いていく。
それと同時に辺りに血の雨が降った。
思わず上を見上げると、犬もどきに引き裂かれた、人間であったはずの肉の塊が遅れて降って来る。
「ひっぎゃあぁぁぁーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」
付着した血で顔を真っ赤に染めながら、がむしゃらに走り出した夕貴は、しかし目の前の大きな犬もどきと上空の肉の塊にしか注意を払っていなかった。降って来る肉の塊を、ジグザグに走りながら避けつつ、犬もどきから全力で離れる。
だが、夕貴の上げた大声に反応したのか、はたまた動く物に反応したのかは分からないが、何故か犬もどきは夕貴をピンポイントに追いかけてきた。
それに気付いた夕貴は、再び涙目になりながら死ぬ気で走るのだが、先述の通り警戒の方向が限られていたためにぐにゃりとした物体を踏みつけて体勢を崩してしまった。
「あ」
間抜けな声を上げ、目と口を真ん丸に開いた夕貴の身体は、呆気なくぐらりと傾き、そのまま背後に倒れていく。それでも何とか留まろうと足掻いたせいか、夕貴は片足を地面近くに、もう片足を空高くに掲げながら倒れていった。
その最中、視界の中に黒い影が見える。ぼんやりとそれを眺め、次いで現れた青く澄み切った空をもぼんやりと眺めていたら強烈な衝撃が脳天を直撃した。
「ぐぎゃっ!!」
夕貴は痛む頭を抱えてごろごろと転げ回る。
だが、その時、頭のすぐ向こう側で微かな振動と共にズゥーンという音が止まった。
唐突に現実を思い出した夕貴は、地面とお見合いをしたまま青褪めるどころか白褪めて固まった。
「はっはっはっ」という犬のような息遣いが死角から聞こえてきて、ギギギと固まった首を無理矢理動かし、顔を上げると、予想よりも近くにあった犬もどきの瞳と視線が合う。しかも巨大な口ががばりと開き、馬鹿でかい舌がべろりと顔全体を一舐めした。
「ひぃぃぃっ!!」
犬もどきの生臭く生暖かい息に自分の死を予見して、恐怖のあまり再び固まる。正直固まっていなければ失禁しそうだ。まぁ、そんなことは乙女のプライドにかけて絶対に阻止するが。
夕貴が少々現実逃避している間に、犬もどきが再び大きく口を開いた。
彼女の頭が丸々その口の中に入ったその時――
「待て」
玲瓏とした低い声が静かに響いた。
「それを離せ」
その言葉で夕貴の視界が晴れる。
晴れた視界の先で犬もどきがおすわりをし、静かにこちらを見つめていた。
犬もどきは心なしか不満があるらしく――これまた表情が分かるわけではなく雰囲気でなんとなく――遠くに見える巨大な尻尾がぺしぺし――正確に言うとドゴッドゴッ――と地面を叩いている。
「魔力持ちか。いくら門の近くにいたとはいえ、この世界に存在しなかった魔力にこうも容易く適応するとはな。余の観測出来る範囲内には未だこの世界に魔力持ちの生き物は存在していない。とすれば、この世界の人間は余程適応力が高いのか、あるいは――」
そんな犬もどきを無視してこつこつと軍靴を鳴らして近づいてくる低い声の主。
足音が近づくたびに夕貴の頭の中で警鐘が鳴り響き、逃げなければと思うのに、恐怖に固まった身体はピクリとも動いてくれなかった。
現実逃避のように、コンクリートに罅を入れていく犬もどきの尻尾を眺める。
「この人間固有の特異体質か?」
かつんと音を立てて止まった気配に、「ひっ」と夕貴は瞳を見開く。
「いっ?」
何をされるんだ、と戦々恐々としていた夕貴は頭を片手でがしっと掴まれ、予想外の出来事に奇妙な声をあげた。
だが、次の瞬間――
「っつ、だだだだだ! い、痛いっ!! 痛いってばこの馬鹿!!」
強い力で頭を圧迫され、握りつぶされるかと思ったら、そのまま持ち上げられて向きを変えられる。夕貴は涙で歪んだ目の前の顔を睨みつけながら、耐えられない痛みに喚き散らした。
「頭持つな! 頭も首も痛いぃ! ていうか、首から下が千切れる!! 分離しちゃうから離せえぇぇ馬鹿馬鹿馬鹿ぁぁ!!」
自分の頭を掴んでいる手に両手で爪を立てながら、足をじたばたさせる。だが、びくともしない手に痛みと怒りが募っていく。
ところが、そいつは何を思ったのか突然ぱっと手を離した。
もちろん、咄嗟に反応できるはずもない夕貴は、受け身も取れずそのまま落下し、尻で着地した。
「いったぁ……」
涙目で自分のお尻を摩りながら呟いた夕貴は、ごしごしと服の袖で乱暴に涙を拭う。と、立ち上がり、キッと男を睨みつけた。
「ちょっと痛いじゃない! 女性の扱い方も知らないなんてこのへっぽこがっ!!」
「女性? へっぽこ?」
「っ! 馬鹿阿呆茄子南瓜!!」
「それは相手を貶める言葉か? 後半は違うものに聞こえるが?」
「あ、あんたが頭悪いから分かんないだけでしょ!」
「頭が悪い……? 初めて言われたな」
きょとんと首を傾げる男にムカついた夕貴は思いつくままに罵るが、さらりと流されてしまう。
思わず地団駄を踏んだ夕貴が、げしげしと憎々しげに地面を踏んでいると視界の端に男の足が見えた。夕貴の中に溜まりに溜まった理不尽な出来事に対する不満や鬱憤が、仕返しをしてしまえと呟く。
(えいっ!)
その思いに素直に身を任せて躊躇いなく足を下ろすと、何故か見事に男の足にヒットした。
避けられると思っていた夕貴は呆気なくヒットしたことに不審を覚えて、にじにじとその足を踏み躙りながらチラリと上目で男の様子を窺った。
「い、痛くないの?」
「躊躇なく踏んでおいて聞くことか?」
「うるさいわね!」
「痛い」
「は?」
「だから痛い」
表情を変えず、抑揚もなく告げられた言葉に、意味を図りかねて夕貴は間抜けな声を漏らした。
すると、聞こえなかったと思ったらしい。男は再び繰り返した。
どうやら聞き間違えではない確かな言葉を、しかし夕貴は信じられずもう一度確認する。
「……痛いの?」
「痛い」
「ならもっと分かりやすく痛そうにしなさいよ!!」
「どうやって?」
「へ? 顔を顰めるとか、今みたいに『痛い』って訴えるとか」
夕貴が理不尽に怒鳴るも男にはまったく通じないらしい。想定外の問い返しを受け、しどろもどろに答えているうちに、夕貴の頭に昇っていた血が徐々に戻り、冷静になってくる。
冷静になった夕貴は、まず男を観察する事から始めた。
漆黒の長髪に宝石のような紫眼、顔の造作は整い、モデルのようなスタイルの良い長身。身に纏っているのは黒衣の上下、剣帯には漆黒の長剣が収められ、ロングブーツの踵がこつんと小気味良い靴音を響かせていた。
絶世の美青年というおいしい物件のはずなのに怪しさ満点のせいでまったくときめかない、残念なイケメンだった。
「というか、そもそもあんた誰?」
夕貴は今更ながらに思い至った疑問を素直に問うた。
よくよく思い返せば完全に怪しい――というか危険人物ではないかと思い至る。
(犬もどき止めてたし。命令しただけで止まるって、もしかしてあの犬もどきの飼い主?)
一人思案に暮れていた夕貴は男の声で我に返った。
「余はウルカディアマンテだ」
「名前を聞いたわけじゃないんだけど……」
「誰かと聞いた」
「まぁ、そうだけど……じゃあ、何者?」
「ウルカディアマンテ」
「違くて! えーっと、どういう生き物なのかって聞いてるの!」
言いたい事が伝わらず苛々してきた夕貴はどう言えばいいか分からず、やけっぱちのように叫んだ。
するときょとんとした魔王は微かに首を傾げて考えた。
「どういう? そうだな……こちらでは分からぬが、異界の人間共は余らを魔族と呼んでいたな」
「魔族……?」
「そして余は魔王と呼ばれていた」
「魔、王……? 魔王ってあの魔王?! まさかのラスボス登場?! 何それ?! マジ?? 何で??」
「そなたの言葉は時々よく分からぬ」
思わず興奮して夕貴がにじり寄りながら問い詰めると、魔王は弱冠頬を染めつつ眉を寄せた。そんな魔王の様子にきょとんとしながら、夕貴は今感じた事を直接ぶつけてみる。
「てゆうかさ、魔王って理性的なんだね。もっと荒ぶってんのかと思ってたよ。視界に入った生き物はすべて無に帰す、みたいな?」
「ふむ。強ち間違ってはおらぬな」
「いやいや。あたし生きてるから! めちゃくちゃ真面目に質問に答えてくれちゃってるから!」
肯定されるとは思わなかった言葉を肯定され、慌てた夕貴の方が何故か否定してしまう。手と首を勢いよく横にぶんぶんと振りまくった。
「それはそなただからだ。他の人間共は助けなかっただろう?」
「そういえば!!」
「今頃気付いたか」
魔王に冷静に指摘され、はっと目を瞠る夕貴に呆れたような声が届く。
だが、夕貴はそれどころではなかった。今、正に生きるか死ぬかの瀬戸際に立っている事に気付いてしまったのだ。
今更ながらに崖っぷちに立っている事を理解した夕貴は、ごくりと唾を飲む。
「……魔王よ、何故助けた?」
「何故口調が変わる? それに余は魔王という名ではない。名で呼べ」
あっさりと夕貴の質問を無視して拗ねたように言う魔王。
彼は美男子だが夕貴の中では残念なイケメンに認定されている。そのため、ちっとも可愛くないしときめかない。というか、夕貴としては魔王のその顔は果てしなくムカついた。
「そんな事はどうでもいいのよ! それより、あんた魔族に人襲わせてるじゃん! 何であたしだけ助けるのよ!!」
「どうでもよくないぞ? まぁ他の人間なぞはどうでもいいが、そなたは別だ」
「何であたしだけ別なのよ?」
「――――――だ」
「は?」
聞き間違えか? とも思ったが、聞き間違えではないらしい。どちらかと言うと夕貴としては聞き間違えあって欲しかったのだが。
どうやらこの魔王は頭が沸いているらしい。
完全に逝っちゃってる。
魔王曰く――
ふわりと舞ったスカートの中に見えた下着姿が綺麗だったそうだ。
つまりはパンチラ。
パンチラで一目惚れ。
正直、複雑だ。
生きてはいたいがちっとも嬉しくない。むしろなんか虚しい。
呆然とした夕貴に魔王は真剣な表情で言った。
「安心しろ。余と一緒にいれば危険はない」
「むしろお前が危険だボケぇぇーーーーー!!!!!」
夕貴の絶叫が轟いた。
それに倣うように犬もどきが「アオォーーン」と嬉しげに遠吠える。
そして夕貴の苦難の日々が始まった。
勢いのみで書いたノリ小説。
設定もプロットもなく、思いつくままにぐだぐだと書き綴ったものですがいかがでしたでしょう?
ライトに書いたものなので、ライトに読んで笑って頂ければ幸いです。
あ、良ければ感想下さい! 自分、とても喜びます!
では。