幽霊
「ほら、あそこだよ」
集団の先頭を行くのは真弓佐奈である。白地に花柄のワンピースを着ていて、黒く長い髪に麦藁帽子を乗せている。佐奈の指差す先には古ぼけた屋敷が聳え立っていた。肝試しにはもってこいの古さと、囲うようにして生える木々の影とで、人に避けられる理由も分かりそうなものである。
佐奈は右手の地図と道を何度も見比べると、突然走り出した。坂の頂上まで一気に駆け上ると、満足そうに屋敷を眺めた。瞳を爛々と輝かせて、ほぅとため息をつく。
「あぁ……どんな不思議体験があるのかしら……」
紅潮させた頬に手をつく様は、異様なものがあった。十数秒そうして屋敷に見入っていたが、後続がなかなか来ないことに気づくと振り返り大きく手を振った。後続の一人が手を振って返し、少し足を速めた。
「ほらほら、早く! 里山君遅い!」
佐奈がせかすと、里山晃は猛然と駆け上がってきた。
晃は坂の頂上に至ると、両手をひざに当て、ゆっくりと息を吐き出した。背中の竜の絵が大きく動く。これだけ強い日差しだというのに帽子を忘れてきてしまい、何故だかターバンのように巻いているタオルをといて、汗を拭きつつ顔を上げると、
「真弓、元気だなぁ」
「当たり前でしょう。待ちきれないもの」
佐奈は屈託のない笑顔を浮かべる。背中の中ほどまである髪の毛がふわりと揺れた。
「お、いい表情」
そう言うが早いか、カメラを構えて素早くシャッターを下ろした。いきなりの撮影に、構えていなかった佐奈は頬を膨らませる。
「もう、なんでいきなり撮るの? 変な顔してたかもしれないのに! ちょっと、見せて」
「佐奈。そんなこと、どうでもいいでしょう?」
台本を読むかのような抑揚のない口調で割って入ったのは、遅れてやってきた凪渚だ。ポニーテールをつば広帽子の隙間から出して、ランニングに短パンとかなりラフな格好をしている。
「どうでも良くないの。女の子だもん」
「はいはい。男女で悪うございました。でもね、そんなこと本当にどうでもいいの。ほら、あれ」
渚は肩越しに親指を立てて、今来た道を見るよう促す。渚の示す方向を見ると、よたよたと歩く中年男性がいた。われらが顧問、笹原総志郎である。足元がふらついているような気もしたが、いまさら暑い日差しの中に出るのも嫌で、門の前の影でしばらく待った。
「お、お前らなぁ、少しは手伝おうとか思わんのか。妙に重いぞ、これ」
合流すると、崩れるようにして座り込んだ。渚が水筒のお茶を差し出すと、喉を鳴らして飲む。
「先生遅い」
「そうそう。俺ら自分の茶、飲めないじゃん」
佐奈たちは顧問の運んで来た荷物からそれぞれ水筒を取り出す。
「だったら自分で持って行け」
「何よ、ジャンケンで負けたのは先生でしょう?」
「ま、どうでもいいことでしょう。ほら早く、中へ」
渚は旅行かばんを持ち直すと、不毛な口争いを繰り広げる三人を残して、敷地内へと踏み入った。
改めて屋敷を見る。いかにも、な場所である。背の高い木が高い塀に沿うように植えられているから日当たりがあまり良くはなく、ひんやりとした風が通る。かろうじて日の当たる場所を中心に雑草が生えていた。建物自体は、というと、遠くから見たとおりやはり古いし蔦が這っているが、なかなかしっかりとした造りのようで崩れる心配はなさそうだ。中はまだ見ていないが外の様子から見ると埃の絨毯が敷き詰められているに違いない。
「凪、どうしたんだ」
「……別に。少し、違和感があるなぁ、と思ってただけ。漠然と、だけど」
「う〜ん。あ、セミじゃないか。こんだけ木があるのに、妙に静かだし」
渚の表情がわずかに変化を見せる。さきほどから感じていた違和感というのは、これのことだったか。
「まぁ、それよりも。恒例の記念撮影といきましょうや。ほら、並んで」
「さっき撮ってたじゃない」
「それはそれ、これはこれ。ほら、真弓も早く」
「何でよ。さっき撮ったでしょ。私の変な顔」
「まぁ、そう言うなって。お前がいないと意味ないんだからさ。ね? 我らがアイドル、真弓佐奈様」
そう言われるとまんざらでもないのか、佐奈は仕方ないわねぇとか何とか言いながら、麦藁帽子を取って髪を手櫛で梳かす。ちゃっかり中央部に並ぶと両手を後ろで組んで顔を少し傾ける。渚がちらりと横目で見た。
「は――い、撮りま――す」
晃はカメラをセットすると急いで佐奈と顧問の横に割り込む。佐奈は乱暴に押されて決して愉快ではなかったが、カメラの手前笑顔を崩しはしなかった。
フラッシュが二度たかれる。晃が動いたのを合図にあたりの緊張が解けた。
「あ、目瞑っちまったかも」
「大丈夫でしょ。間隔開けて二回撮ったし。ほら、行くよ」
渚は荷物を抱えてさっさと中へ入っていってしまった。佐奈が手ぶらで渚を追いかけようとすると、笹原が腕をつかんで引き止める。にっこりと微笑むと、佐奈の荷物を無言で押し付けた。佐奈は一瞬明らかに嫌そうな顔をしたが、しぶしぶ自分の荷物を肩にかける。
笹原が佐奈を見張るような形で入っていくのを見送ると、晃は一人満足げにカメラの画面を見た。佐奈が一人で写っている絵。麦藁帽子の少女の周りを影と光が入り乱れ、いかにも夏という一種芸術的な写真である。
こういうときにデジタルだと使い勝手が良い。
「やっぱ真弓様は違うね。……よく撮れてるよ」
一人つぶやくとカメラをいじって画面を変える。さきほどの集合写真だ。
画面左からうつむき加減の渚、すまし顔の佐奈、両手でピースサインをしている晃、そしてうっかり目を瞑ってしまった顧問の笹原。写っているのは、四人だけである。
――本来ならば。
「こうでなくちゃ、合宿の意味ないもんな」
晃はいたずらな笑みを浮かべると、先に中へ入った女子二名にせかされて、急いで屋敷へと踏み入った。