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医者の俺は異世界で聖書(スマフォ)を片手に神と呼ばれる。  作者: Dr_バレンタイン
2章 『人の行いのうち、人に健康を施すことより神に近い行いはない』
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KARTE2-5 槍害

 ようやく体を洗い終え、衣服を整えた俺は、湖に戻った。

 水辺のそばに座り込んで、トシュナと顔を会わせながら話をする。

 他の面々は胸にくっつけた白いメロンを浮かばせながら、暢気に半身浴を続けていた。

「少なくともこの水に触れてる間、みんなの腹は治らないね」

「ですがこの水がないと」

「最低限飲む水は綺麗じゃなくちゃいけない。家畜の糞尿が混ざるなんて最悪だ。できれば飲み水だけでもろ過を義務づけるかしないと。別に水が湧いてる場所はないのか。なるべく透明な水だ。どこかにないか?」

「他の湧き水の場所でしたら私が案内します」

 よし。なら行こう。

 先に立ち上がった俺は、親切のつもりで手を差し伸べた。

 するとトシュナはその手に軽く驚いて、明らかに身を一歩引いた。

 キモい男から手を出されて困ったというように。

 いいさ。しょせんは馴れないことをしたまでだ。

 ぎこちなくて、どこかキモかったんだろう。

 変に振るえてるし。

 トシュナの気持ちはわかる。

「あ、すいません。いえ、自分であがれますので」

 トシュナは足を上げ、湖から自力で身を乗り上げさせた。

 すまんな、どうせ俺はキモいんだ。自覚はしてるよ。

 もやもやした気持ちを抑えながら、俺はトシュナを連れて砂丘を登った。

 俺はトシュナに衛生の概念と、煮沸を含めた、ろ過の有効性を説いてやった。

 水因の腹痛なんてものは、基本的な約束を守っていれば、まず治るものである。

「びょうげんきん……? というのはなんでしょう?」

「そうだな。えっと。目に見えない虫だと思え。目に見えないほど小さい虫だ」

「虫ですか」

「そうだ、虫だ。この足下にある砂粒なんかより、もっと小さい虫だ。病原菌はいたるところにいる。特に汚い物の中にいる」

「汚いものとはどんなものですか?」

「汚いってのは……、いろんなわけわかんないもんが混ざったものだ」

 話が進まない。俺は四苦八苦しながら説明を続けた。

 やはり文化の違いという壁に日本人は弱い。

 日本人相手ならば、知識も食事も宗教も価値観も全て一緒で、黙ってたって十分なコミュニケーションが取れる。しかし土地が違えば、食べる物が違う。宗教が違う。学力知識が違う。俺は異文化と上手く付き合う訓練をしてこなかった。

 だから俺もトシュナの説得には相当苦労させられた。

 向こうは興味津々に話しかけてくるから、黙って流すわけにもいかない。

 そんな微妙な距離感を保ちながら砂丘を歩くと、どうにかこうにか質の良さそうな水を探し当てた。試しに少量だけ口に含んでみたが、味に違和感はない。

 しかしその湧き水は五平方メートル程度の水たまりである。集落からも遠く、この距離を水がめ持って歩くのはかなりしんどいだろう。

 しかし飲むとすれば明らかにこちらの水である。

「はぁ。いやしかし暑いな。少し休憩しよう」

 俺は湧き水で顔を洗って、その場に腰を落とした。

 この場で眼鏡を取ってもいいが、結局この地点から再開するのも面倒である。

 それに――。

「腕が振るえてますが」

「ん? あぁこれ。気にするなよ。大した病気じゃない」

 俺の体調もあった。

「ドクターでも治せないのですか?」

「治せたらいいんだけどね。抑えても止まんないんだ」

 トシュナに振るえた手を差し出してみる。

 すると、トシュナはまた一瞬身を引いてしまった。

「いや、すまない。別に驚かせるつもりは」

 急いで手を引っ込める。

 きっと手を差し出すことになんらかの抵抗を持つ文化があるんだろう。

 俺はそれほど暑くない炎天下の元、気まずさに包まれた。

 もしかして俺は嫌われているのか?

「も、もうしわけありません。あの、平気ですから」

 とはいうものの、いかにも歯になにかつっかかった口調である。

 俺はなんとかコミュニケーションを図った。

 今後のためにも、彼らの価値観を理解せねばなるまい。

「トシュナは……、えっと。仕事とかなにかしてんの」

「畑仕事です」

「なにを育ててる」

「アナプトという野菜です。表面が緑色で、中はみずみずしく甘い果実のようなものです。大きさはそうですね、人の頭ぐらいありますよ」

 俺の頭に浮かんだのはスイカかメロンだった。

 エジプトなんかはスイカの世界的名産地だし、気候的には相性いいのかな。

「農家はいいよな。あぁ。農家をやろうかな、俺も。人に縛られないし」

「どうしてそのようなことを。ドクターには、医術があるじゃないですか。野菜作りだなんてダメですよ。素晴しい力を無駄にしてはいけません」

 トシュナのやたらでかい瞳が、力強く俺を見つめる。

「野菜作りだって大切だろ。やりがいだってあるんじゃないのか」

「……ヤリガイってなんですか?」

 キョトンとした返事をなげられ、俺もキョトンとした。

「ほら、楽しいとか。充実とか。将来はこうなりたいっていう夢っていうか」

「私は……、ヤリガイって考えたことがないです……」

「そ、そうか」

「もしヤリガイというものを持ったら、私もドクターみたいになれるでしょうか」

「俺みたいになっちゃ困る。夢や希望は持った方が良い。希望のない人生はだめだ。毎日が暗くて、明日なにをしていいかわからない。人にとって一番の苦痛だ」

 ――例えば今の俺みたいな人生さ。

 と、本来は言葉の尻にくっつけるべきだったが、俺の口はそこまで動かなかった。

 トシュナが俯いてしばし考えているような表情を作った。

 経験者の言葉は、トシュナの胸に深く響いたらしい。

「ヤリガイ。私も……、探してみます」

「あぁ、見つけられるといいな」

「ドクターはどうやってヤリガイをみつけたんですか」

「な、なに。俺がか? う~ん。人を助けるのがヤリガイなのかな」

「人を助けるのは楽しいんでしょうか。どうしてそう思ったんですか」

 俺はあごをさすりながら、脳みその奥をほじくった。

 ――医者をやる理由。

「俺には……、まぁ大事な家族がいたんだよ、昔名」

 きっかけは小学六年生の時だった。

 俺は犬を飼っていた。大型のハスキー犬。何年も一緒にいた家族だ。

 彼は三尖弁閉鎖不全による心肺機能の低下と酸欠で、常に息苦しい思いをしていた。肺水腫の咳は通常の咳とは違い、非常に痛々しい。

 でも俺は苦しんでいる家族を見ながら、なんにもできなかった。

 ぜぇぜぇしている姿。なんとかしてやりたい。でもなんにもできなかった。

 辛いんだよなぁ、ほんと。泣けてくるんだ。出会った時からの思い出が全部浮かび上がってきたりして、息が詰まる。詰まるけど、その解消方法は一切無い。

 なぜ家に来たのかとか、家に来て幸せだったのかとかいろいろ考える。胸を撫でるだけの自分に、もう少しなにかできないかとも思ってしまう。

 あっさり死ぬなら覚悟はいらない。

 死ぬ運命であったり、死ぬ間際の家族のケアは、本人にしかわからないほど辛い。

 やがて彼は弱りに弱って死んでいった。

「救ってやりたいって思うのは、俺が辛いからだ。目の前で最愛の者が死を前にして苦しんでる。いっそ殺してやるほうが親切に思えてくる。胸がしめつけられ、容赦なく気持ち悪い。それが永遠と続く。わかるだろ、辛さが」

「はい」

 トシュナも経験者だったな。

「じいちゃんが死んだ時もそうだ。あれは寿命だから仕方ないんだが。でも縦隔腫瘍でおやじが死んだ時、俺は決意したんだ。もうこんな思いをしたくないってね。俺が医者を続ける理由は単純。苦しんで困ってる人を助けたいから。それに尽きる。正義の味方は悪を倒せても、病気やがんを倒すことはできないからな。だから医者なんだ。……青臭いと思うか?」

「いえ、素晴らしいです」

「ばかな話しちまった」

 俺は首筋に垂れる汗を腕で拭った。

 持ち帰った水は、まず腹を抱えた男に見せてやった。

 こういった水を飲んでいれば、すぐに腹も治るだろうと。

 さすがに我が家の水道一本で住民全員の生活用水をまかなうわけにはいかんし。

 これで一つの面倒は去った。

 だがやっぱり来た。どでかい面倒が。

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