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医者の俺は異世界で聖書(スマフォ)を片手に神と呼ばれる。  作者: Dr_バレンタイン
2章 『人の行いのうち、人に健康を施すことより神に近い行いはない』
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KARTE2-4 歪み始める現実

 俺は調子のいい時間を狙って、診察に当たる日々を過ごした。

 三十時間連続勤務の病院では、客はレジ打ちをするかのごとく流さなくてはいけない。自由に休憩が取れるスタイルは、俺にとってありがたかった。

「腹が痛い? あんたみたいな患者、多いみたいだね」

 この日、若い男が患者としてやってきた。

 もちろん彼も肌が真っ白だ。

 筋肉質で、いかにも健康的である。

 そんな男がぎゅるぎゅる鳴る腹に悩まされていた。

 歳のせいではないだろうし、重大な疾患で免疫力が落ちただけならば、被害者は彼一人のはず。しかしこの地方には、こんな患者が結構多かった。

 となれば、外部的要因、つまり食物か水質汚染が原因とである可能性が高い。

 クリプトスポリジウム症みたいなものだろうか。(世界的に有名な水系感染症)

 俺は環境技術屋でないにしろ、ある程度の環境的知識はある。

 まずはどんな物を口にしているのか調べれば、ある程度の原因がわかるだろう。

 この世界にあまり衛生の概念はないはずだ。

 なら基礎的な改善をするだけで、ずいぶんと良くなると思う。

 なんてたかを括っていたら、本物は想像以上に酷かった。

 後日、俺は彼らの生活環境を細かく調べ上げた。

 集落の中心にあるオアシス。

 左右に広がる熱帯雨林と茶色い竹。

 綺麗な砂の中に存在する、どこかの球場クラスほど広いコーヒーの沼、もとい湖。ジャングル探検隊のテレビ番組でこんな川をワニやら猿が泳いでいるのを見たことがある。

 彼らはこれを生活用水、つまり飲み水にしていた。

 洗濯もするし、入浴もするし、口もゆすぐ。

 最悪なのは畜産農夫である。

 家畜はヤギみたいな形をした、こぶつきの小動物だった。

 毛は皮膚病を冒した犬みたいにボサボサで少々見苦しい。

 その家畜の手段が、水をがぼがぼ飲み、ぶりぶりその場に糞をまき散らしていた。つまり家畜がついでに糞尿もするような水を、ここの住民は腹に入れていたのである。

 こんな光景、聖なるガンジス川ぐらいでしか見られない。

 そりゃ腹も痛くなるわ。

 しかも日本こそ山と海が近いから水がすぐに流れてくれるものの、ここは参ったことに水が滞留する。ようするに汚れが外に流れ出にくい土地になっているのである。

 自然による自己浄化機能が薄ければ、衛生は悪くなるいっぽうだ。

「ドクター。どうなされたんですか」

 すると聞き慣れた声が俺を呼んだ。

 俺は声の方向に目を向けたと同時に、目を背けた。

「あぁトシュナ、な、なにしてんだ……?」

 トシュナは川に浸かっていた。

 しかも、わりと団体で。

 若い野菜人の女子会である。

「入浴です。いつもこうしないと、体が乾いてしまって。暑いですし」

 体が乾くってどんな生物だ。

 水分が過剰に必要なのは、やはり植物もどきだからだろうか。カッパみたいだ。

 確かに周囲を見ると、そこら中で誰かが水に体を沈めている。

 暑さ対策にはこれが一番なんだろう。熱射病予防にもいいかもしれない。

「わ、わるい、邪魔したな……」

 俺は背を向けたまま謝った。

 顔は人間じゃない。動物の裸を見たってなんとも思わないさ。

 だかね、やっぱり肌こそ白いものの、体は完璧に人間なんだ。

 ウエストはすっとしまって、お尻は少し下付にたるみを持っている。

 ぼんっと出た胸は、後ろから見ても姿を確認できるほど大きい。よく形がいいとか、適度な美と表現する場合もあるが、この大きさはもはや下品。しかして圧巻。

 しぼられた筋肉から放たれるスマートかつ芸術的な鋭いパンチではなく、参議院衆議院の議決を数の有利さだけで押し通すような、下品でありつつ揺るぎない体当たりである。

 それをなんの躊躇もなく水に浮かべているんだから困る。

 おまけに、それが数体おられる。もちろんここの住民は裸なんてなんとも思わないらしいからいいんだろうけど。

「は……、はら、腹が痛いって患者が多くてね。調査しててね」

 俺は目を細めながら、本来の目的を語った。

 女の裸なら何度か見た。ただし死んだ形で。

 生身の相手だと、俺は情けなかった。おかげで声は変に上擦っていた。

 鎖国的な島国日本人ほど、文化の違いに弱い国はない。

「ドクター仕事ねっしーん。熱くないの?」

 軽い声と共に、俺の体が引っ張られる。

 名前も知らない女性が、俺の服を引っ張っていた。

 くるんと外ハネした葉髪をした女性である。

「いや俺は……」

「暑いうちは、水につかってさっぱりしたほうがいいよ」

「砂で汚れた体も綺麗になるし」

「いいのよ、ほっとけば。男なんて、五日に一度、お風呂に入ってくれればいいほうなんだから。うちの旦那なんか、もう二週間もそのまんまで。言っても聞かないんだから」

「うちもうちも。男ってどうして風呂嫌いなのかしらね」

 互いが旦那の愚痴を言い合う。

 こういう会話はどこの世界に行っても好まれる会話なんだな。

 ちなみに俺はどうかというと、旦那達に賛成である。

 風呂嫌いというのは賛成しかねるが、この湖に浸かって、体が綺麗になるとは思えない。むしろ体に傷でもあったら、なにかの感染症を起こしかねない汚さだ。

 だから暑さしのぎに入れと言われても入りたくない。

「ドクターも入ってみなよ」

 しかし理想的な体型をした若い女性達が、一緒にお風呂に入りましょなんて言ってきたらどうする。当然やつらは人じゃない。別の生物だ。理性を失ってはいけない。

 これは罠だ。落ちた所で衛生的にも人間的にもなんの特もない。

「ツリーよ、聞いてるか」

『はい。全て聞いてます』

 姿はしないが、ヒロインの声だけが返ってきた。

「彼らの調査のため、俺はこの湖を調べる必要がある」

『しかし不衛生極まりない水であるというのは明らかですよ』

「これは罠だ。だが罠とわかっていても、ひっかかってしまいたい罠もある」

 俺はズボンと上着を脱いで、パンツとシャツ一つで湖に入った。

 俺の理性は弱かった。

「う、ぬ、ぬるい! 不自然にぬるい!」

 水質は想像以上に酷かった。

 あまりにもぬるくて不快な水温。

 足の裏に、にゅぐぅっと伝わってくる不快なヘドロの感触。

 浮かんだドロが、肌にまとわりついてくる不快なねばりけ。

 近づいて見ると、白い糸ミミズのような不快な生物が、ぴんぴんと水面を泳いでいる。

 何一つとってもいいものがない、この総合的不快感!

 医者として、いや人間として何一つ受け入れられない!

「いやぁぁあ……。だ、だれか……、おとこのひと呼んでぇ……」

 湖という沼に浸かった俺の喉から自然と出てきた台詞である。

 やはり罠だった。おっぱいにひかっかった男の末路である。

 自分が潔癖症だとは思わないが、この酷さは誰しもが絶句するだろう。

 ただ、本当にやっかいな問題は、もっと他の場所あったのである。

 俺の気づかない場所に。

 ひっそりと。

 ――不快な入浴から逃げだした俺は、一旦自宅に戻ってシャワーを浴びた。

 排水溝には茶色い水が滴り、毛の間にからみついたぬめりはいつまでも取れなかった。

 変に体を強ばらせたおかげか、気がつくと腕がガタガタと振るえていた。

 腕が自分のものではない感覚だ。

 昔わずらったしょっぱい病気が未だに尾を引いている。

 まるで腕が一本どこかに飛んでいってしまったかのようである。

 見てみればわかる。

 実際に俺の右腕はふるえ、左腕は消えていた。

 肘から先が、すーっと消えて……。

「え……?」

 シャワーを浴びながら、俺は息を止めた。

 血走った目玉をぐりっと飛び出させる。

 大事な物を忘れた時に流れる冷や汗が場どばっと出た。試験日に学生書を忘れたとか、メシを食ってサイフを忘れたとか、運転中、警察に呼び止められた時に免許書を忘れた事を気づいたような気まずさである。

 しかし俺の左腕は、なんど見ても存在していなかった。

 肘から先が消えている。

 んなばかな。

 指先を動かす感覚はあるものの、そもそも腕が存在していない。

 幻覚にしては妙にリアルで、妙に違和感がない。

 鮮明な夢のようだった。

 いよいよ脳みそが崩れ始めたのか。

 しかし蛇口から流れ落ちる水道に左手をかざしてみたものの、水の流れはなににも阻害されず、いつまでも真っ直ぐ落ちていた。

 本来は左手が邪魔をし、水滴をびちゃびちゃとはね飛ばすはずである。

 静寂かつ狭すぎるバスルームで、俺は動けずにいた。

 今までの人生経験を総動員しても、この異常事態に対処できない。

 投与していた薬の量が多すぎて、俺の脳に深いダメージを残したていたのか?

 いや、幻覚ならいい。

 もし本当に腕が無くなっていたとしたら……。

「いっでぇ!」

 俺は左手が存在している感覚で、拳を握り、風呂桶のふちを叩いた。

 すると小指の基節骨に鋭い痛みが走った。

 思わず左手を抱きかかえると、そこには確かにいつも通りの左手があった。

 なんだ。痛みで正気に戻ったのか?

 古いテレビか俺は。

 なんにせよ、戻ったのなら別にかまわないが。

 やっぱりたちの悪い幻覚だったか。

 最近変に体を動かしたもんだから、睡眠が正しくとれずにいる。不眠症と薬のコンボは、簡単に現実を歪めてくる。見えないものが見えて、聞こえないものが聞こえてくるのだ。

 今後も起きるようなら、それこそ薬を一旦やめないとな。

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