KARTE1-3 私は医者です
「準備できました」
トシュナが小さな子供を抱えて、計三人、それぞれ地面に敷いたワラの上に寝かせた。
衛生状況が完璧とはいわないが、少なくとも糞尿まみれよりはマシだろう。
さてでは診察に入ろう。
『彼らの診察には、その粗末な端末を利用してください』
ツリーがスマフォを指さす。
言われた通り操作してみる。メニュー画面には、アイテム、ステータス、ショップなどのゲームとして見慣れた項目があり、スキルの項目には画像撮影診断もあった。
ますますゲームっぽい世界だ。
が、残念なことに放射線画像撮影は有料制であった。
金はなし。
アイテム欄はからっぽ。
ショップでなにかを売ることもできやしない。
「金はないのか。なにもできないぞ」
『金銭は彼らから物資を得て、換金してください。得る方法はドクター次第です。説得、交渉、窃盗、殺人、手段はさまざまです。ただし彼らは暴力的手段に対し、一様の抵抗を示すので注意してください。もし捕まった場合、彼らが文明的な裁判を行うとは限りませんよ』
結局診察料を上手く取れってことだな。
どこぞのゲームじゃ魔王を倒す勇者にも少々のゴールドと棍棒をくれるもんだが、貧相な村の子供を救う医者にはなにもくれないんだな。
しかたない。俺の知識だけで対処してみるか。
三人はどれも目の充血がひどかった。
他の大人達がこれほど真っ赤になっている様子もない。
充血は症状と見てまちがいないだろう。
「唇がやけに赤いな。ここの地方の人間はみんなそうなのか?」
「いえ。ここに入れられた子供たちだけです」
「う~ん。舌にもぶつぶつがあるな」
確かにトシュナを見る限りだと、この子供みたいな唇の赤さはない。
むしろ唇も真っ白けだ。
舌こそいくらかの赤みはあるのものの、こんなぶつぶつはない。
「この発疹は……、日焼けに弱い体質か? トシュナ、お前はどうだ」
「ほっしんとは?」
「ほら見えるだろ、この肌のブツブツだよ。これが体質によるものか、それとも病気のせいなのか」
しかし彼女に発疹などはなかった。
「ドクターは既にこの呪いがなんであるかご存じなのですか?」
「まぁだいたいの検討はつくんだが……」
俺の頭には一つの答えがあった。
乳幼児によく発症し、死亡する例もある。
症状も似ている。
そんな病気がある。
だが俺は結論を出せなかった。
詳しい検査をしなきゃ断定はできない。
それに人間の病気がこの人種に当てはまるかわからない。それは確かだ。
なにより答えが俺の咽から先に出てこないのは、感染被害を起こしている点にある。
俺の記憶の中にある犯人は、この子供らと極めて似た症状でありつつも、通常は感染被害を起こさない。
いや、それは衛生のきちんとした日本だから報告されないだけだろうか。これだけ衛生の概念のない場所なら、被害が増えるのかもしれない。兄弟で発症した例ってのもあるらしいから、一丸に感染しないとは言い切れないし。
けどこれほど強く感染するはずがない。
いや、世界が違うんだ。
似ている菌でも、感染力が強かったりするんじゃないか?
あぁ、そもそも菌なのか?
地域流行性を起こしているから、何らかの感染だという示唆は間違ってないと思うが。
医学は命をかけた謎解きだ。
俺は激しい原因救命欲求に襲われた。
利益も理屈もないのに、なぜだか解決してみたくなった。
なぜ俺の頭がこんな衝動に駆られるのか、この時はまだわからなかった。
今はただ、ひたすらに彼女を救いたかった。
理屈のない夢の中で、理屈のない行動をするかのごとく。
だから答えの確信が欲しかった。
「ところでこっちの子供だが……、硬性の浮腫がみれるな」
「硬性の浮腫とは?」
「ほらこの手、ぱんぱんに腫れてるだろ。押してもへこまない。例えばそうだな、歩き疲れた時に足がむくんでパンパンに腫れることってないか?」
「あ、あります」
「そん時は押すとへこむが、これはへこまない。蜂に刺されたみたいにな。それが硬性浮腫だ。あとそれからこっちは手足の皮がむけまくってる。これであんなクソまみれの場所にいたらなんの感染を起こすかわかったもんじゃないぞ」
俺は三人の子供をすみずみまで眺めた。
俺が今考えている答えは、ほぼ間違いない。
昔は突発死を起こす恐ろしい病気だったが、俺の現代医学にすりゃまず助かる病気といえる。
が、強烈な感染力が納得できない。
俺は決断できずにいた。
感染型として新定義すれば、治療法はわかる。薬は効くかどうかわからない。
しかしこのままだと、きっとこの子供らは死ぬ。
「あの、ドクター、この子供が」
俺が脳みそをフルに動かしていると、意識の外からトシュナの不安げな声が飛んできた。
見ると一歳児ぐらいの子供が胸膝位で振るえていた。(胸と膝が付く姿勢。この姿勢を取ると神経の圧迫が和らぐ)
俺は即座にスマフォを向けた。
患者のカルテが画面に出力される。
カルテに表示されたBP(血圧)が異様に減っている。
CKは2200と最悪の数値。(CKはクレアチンキナーゼといい、筋肉内にある酵素である。正常値はこの十分の一以下でよく、CKが異常に増えたということは、筋肉が破壊され、CKが外に放出てされているということでもある)
俺は飛びついて子供を拾った。
念のため、胸に耳を近づける。
心音が明らかに弱い。
予想でしかないが、きっと冠動脈障害から起きた急性心筋梗塞だ。
俺は子供を膝に置き、頭を逆さまにして、胸を指三本で押した。
乳幼児の心臓マッサージは手の平でやらない。
優しく、そして大人より早く、胸の厚さがぐっとくぼむまで押す。
恐らくこの子供は心筋(心臓の筋肉)の血管である冠動脈に障害を起こし、心筋が動かなくなる心筋梗塞に陥った。
正座をしすぎた足が動かなくなるように、血が通わなければ体は動かない。そして心臓を動かす心筋に血が通わず、心臓が動かなくなるのは生物として最悪である。
そう。壊れてCKを吐き出した筋肉というのは、最も壊れてはいけない心筋だった。
俺は何分間も心臓を押し続けた。
しかし治るあてはなかった。
酸素吸入が必要だが、そんな装置は存在しない。
例え買えたとしても、俺の所持金はゼロ。
それに冠動脈障害を治すことができなければ、例え酸素があっても、結局酸素は心臓に届かない。
絶望的である。
『すでに死亡しています。残念ながら、救助は不可能です』
あくまで冷静なツリーが、そう一言告げた。
すべからく事実であった。
俺はぎりっと奥歯を噛んで、指の動きを止めた。
「す、すまねえ……」
俺の口から、情けない一言が漏れ出てくる。
現実で人を一人死なせてしまった気分である。
重苦しい悲壮感が背中にのしかかってくる。
しかしだ。まだ子供は残っている。
「トシュナ。この子らを助けたいか」
俺は子供を置いて、顔を俯かせたままたずねた。
「は、はい。もちろんです」
「だったら村にある金目の物を集めてこい。それが治療代だ」
俺の沈んだ声を聞き、トシュナは大急ぎで家々を回り始めた。
こんな貧相な村に金目のものがあるとは思えないが、村中を探せば宝石もいくらかあるだろう。
しばらくしてトシュナは戻ってきた。
手のひらに米粒みたいな宝石を二,三個乗せて。
「こ、これしか、集まりませんでした……」
トシュナはめそめそ泣いていた。
必死こいて集めてきたが、しょせんは田舎村。
宝石なんかないのだろうか。
と思ったが、どうもそういうわけじゃないらしい。
俺の周囲で、ぐるっと肌の白いやつらが鋭い目でこっちを睨んでやがる。
どうも仲良くしましょうとかそういった類の視線じゃないのは確かだった。
「その男は大うそつきだ。村から金を騙し取ろうとしてるんだ!」
毛むくじゃらというか、全身コケだらけのような男が叫んだ。
「前もそうだった。村を救うために金を出せって言って、帰ってこなかったやつがいる。きっとお前もその同類だろ!」
「まともな医者なんていないんだよ!」
次々に声が上がる。
「見てみろ、腕が振るえてるぞ」
誰かが指摘する。
確かに俺の腕は振るえていた。
『ドクターの身体数値が優れません。彼らはドクターの体調の変化を嗅ぎ取っています。危険だと感じたら、常にステータス画面で自己の状態を確認してください』
ツリーが俺の前をつかつかと歩きながら、淡々とアドバイスをする。
スマフォのステータスを見てみると、俺の健康状態が不安定になっていた。
脈拍もくるっている。
俺は拳を握り、腕の振るえを抑えようとした。
でも震えは止まらない。
これはなにも嘘で動揺して、体が振るえているわけじゃない。
単なる自律神経失調の持病だ。おかげで俺の腕は医者として使い物にならないが、俺の診断まで狂っていない。
「出て行け! お前なんかこの村にいらんわ!」
一人がぬかるんだ土を握って、俺にドロをぶつけてきた。
しかし俺は冷静だった。気を落ち着かせていた
経験不足でも俺は医者だ。なにがあろうと、どんな場所だろうと、命を救う使命だけは忘れちゃいけない。
「悪いがな、俺はこの子供の命を救えるぜ」
俺はぼそりと、そして自信を含めて呟いた。
「どうしてそう言い切れる」
「だって俺は医者だもの。医者は困ってる人を救うのが仕事なんだ」
俺はドロをはらわず、できるだけ冷静さを努めた。
腕の震えはまだ収まらない。
金を要求したのは、薬を買うためである。
保険なしで薬を大量に買うには金がかかる。
人数分用意するには、こんな米粒みたいな宝石じゃ話にならない。
「俺はトシュナの体を触ったときに確信した。骨の形。臓器の位置。体の構造。そしてなにより心臓の鼓動、音、速さ。全て俺と同じだ。だから病気なら治せると思って、この話を引き受けたんだ。無理ならとっくに諦めてる」
「そ、そうなんですか……? あれにはそんな意味が……」
混乱しきっていたトシュナが、涙を止めて俺を覗き込んだ。
「これは呪いでもなんでもねえよ。ちゃんとした病気だ。症状からしてKDだ。正式名称は小児急性熱性皮膚粘膜リンパ節症候群、通称カワサキ病。俺の国の医者が名付けた病気だからな、俺も良く知ってんのさ。だから治療に必要なのは呪文でも大麻の煙でも、クソまみれのベッドでもない。免疫グロブリンとアスピリン、それから清潔なベッドだ。これには金がかかる。だから協力してほしかったんだが……」
俺は嘘を吐いた。
病気が本当にカワサキ病かどうかはまだわからない。
まず拡大感染という時点で、超疑わしい。
これで確信してしまったら、真っ当な医者は笑うだろう。
症状とこの年齢層からそれっぽいと思っただけだ。
しかしこの場面で、たぶん、とか、おそらく、なんて言葉は使えない。信用させるためにも、俺はなんでも知ってる、さぁ任せろって見栄と嘘を張らないと。
俺はしばらく黙った。
だが誰一人俺の言葉に耳を傾けるやつはいなかった。
「まぁ信用されねえんじゃしょうがねえな。残念だがトシュナ、お前の期待には答えられないみたいだ。お前がよければ、選んだ子供だけ救ってやってもいいけどよ」
「あ、あの、選ぶだなんて……」
「おい娘ぇ! その男を信用してはならんぞ!」
いつの間にか混じっていた、雑巾みたいなロバ婆が叫ぶ。
確かに見ず知らずの男に金をあずけるなんて、賢いとはいえない。
でも、この場で子供を助けられるのは俺だけなんだ。
どうするかはトシュナ、お前に任せるしかない。
俺を信用するか、それともこのババアを信用するか。
「わ、私は……」
トシュナの唇がうすく開いた。
「私は、ドクターを信じます」
「娘ぇ!」
ばばあが大声で叫び、喉からつばを飛ばしたが、もうトシュナは俺以外見ていなかった。
「お願いです。この子を助けてください……。なんでも差し上げます。ですから助けてください……」
トシュナは表に出された一人の男の子をかかげた。
泣きじゃくるトシュナは、あまりにも必死だった。
おかしいと思っても、ダメかもしれないと思っていても、なにか希望を持ちたいんだ。俺はそこにつけ込んで、金をだまし取ろうとか、からかってやろうなんて気持ちはない。
「お願いします……。この子を救ってください……。私の子供を、どうか……」
「よしわかった。俺に任せろ、必ずお前の子供をだな……。私の子供だって?」
「はい。私の子供です。この宝石は母から婚約の時に受け継いだものです。ですがこの子の命が助かるのならば惜しくはありません」
「あぁ。とにかく助けてやるぜ。あんたの子供をな」
俺はただ……。
「ありがとうございます……。ほんとうに、ありがとうございます。どうか、どうか、うちの子を助けてください……」
子供の命を亡くす母親の姿なんか見たくないだけだ。
自分の子供のために高価な宝石だけでなく、自分の命も差し出そうとした女性。
出会ったときにあれだけ必死だったのは、自分の子供を助けたかったからなんだ。
子を思う母親の気持ちに答えてやらなきゃ俺は医者じゃないよ。
この世界じゃ、俺は神なんだ。
救ってやらなきゃ、面白くないってもんだ。
「ちょっと待ってな。おいツリー、どうするんだ」
『ショップ画面の売却を選択してください』
俺はスマフォを取り出し、メニュー画面のショップを選んでみた。
アイテムを売る。を洗選択。
恐らく今手に入れた宝石が換金アイテムになるんだろう。
『指定の枠の中に、売却するアイテムを入れてください』
空中に四角い赤枠が現われる。一辺三〇センチほどの箱を形取った赤枠だ。
俺はそこに手を突っ込んだ。
やがて握っていた宝石の感覚が消え、代わりにステータス画面にある所持金が三百ドルほど増えた。
後はショップで必要な薬と医療器具を買ってと。
アイテムは名前検索で指定できた。ググってアマゾンで買っている気分である。
実際に一つドレッシング材を買ってみる。ドレッシング材とは、バンドエイドのような傷を保護する存在だと想像してくれれば間違いない。
所持金が減り、アイテム欄にドレッシング材が増える。
今度はドレッシング材をスマフォから外へはじくようにドラッグすると、手元にすとんとドレッシング材が現れた。
うむ。なかなか面白いじゃないか。
「まずアスピリンだ。キシロカインもアイテム欄に欲しいな」
アスピリンは血を固まらせない作用で、血管が詰まるのを防いでくれる。
キシロカインは抗不整脈効果のある麻酔薬である。
小児の扱いというのは非常に難しいが、俺にはスマフォがあった。
投薬用の注射をすると、自動的にカルテにVライン(vein-line 静脈路のこと)とカルテに書き記してくれる。
便利なもんだなぁ。
医者の書類作業を省いてくれるってのは、本当にありがたいよ。
で、静脈へ薬を流し込んでやったおかげもあって、苦しんでいた子供は一気に平常を取り戻した。(一般的に静脈注射は経口摂取(飲み薬)の十倍強く効く)
「まぁ。こんな所でクエストクリアってとこかな」
楽しい音楽も鳴らず、特別なメッセージもなかったが。
「ありがとうございます……。ありがとうございます……」
しかしだからこそ、医者として心から感謝される心地よさに浸れる。
「ありがとうございます……」
泣きながら何度も感謝するトシュナが、俺の腕を握ってきた。
嘘でも悪くはない気分だね。
『素晴らしい。ドクターはいたずらに用意された不明瞭な問題を、無事解決しました。期待以上です。初めてお会いした時、私はピンと来ていました。あなたは常に冷静さを保ち、生物学的問題を解決する才能がある。そして、女性の胸部を執拗にもみほぐすことにも十分な才能があると。結果、そのどちらをも私の目の前でやってのけたのです』
「そーかい。そりゃよかった。で、俺は帰れるのかな」
『もちろん。さぁ、眼鏡を取ってください。そうすれば、ドクターは普段の暗く湿った部屋に戻っているでしょう』
俺は言われるがままにサングラスを取った。
薄暗い砂漠の世界が、一瞬にしてさらなる暗さを得ていく。
周囲の光景が見知らぬ砂漠の土地が、暗闇に消えていった。
そして俺は、いつもの狭く汚い部屋の中にいた。
万年床の布団に横たわり、黒く染みた天井を眺めている。
『ドクター。あなたは大変な事をしましたね』
そんなぼーっとした意識の中で、ツリーの声がした。
「なんだ、なにをしたってんだ?」
『はぁ……。(深く苦しそうなため息で) わかりました、次は気をつけてください。あまり好ましい状態ではありませんから』
自称ヒロインが、愛想を尽かした様子で去っていく。
ドアも開けずに、玄関をすり抜けて。
俺は安アパートの我が家に戻っていた。
風の音や土の臭いもなくなり、静かでカビ臭い部屋の臭いだけがする。
面白い世界だった。だが現実の俺は、なにもない男だ。
あるのは安いアパートと、汚い寝床に、流しに放置されっぱなしの食器、それからドロのついたシャツと、袖から先が日焼けした肌……。
それから……。
「ここはドクターのお住まいなのですか?」
トシュナ。
「――は?」
全力で状況を判断しようとした俺は、全力でその一言の口から漏らした。
それ以外に出る言葉無かった。
テストはまだ終わっていない。
これからが始まりなのだ。