KARTE1-2 呪われた村
俺は砂漠を歩き続けた。
どういうわけか知らないが、確かに歩いていた。
弱り切った足腰をひきずりながら、一キロ近く歩いたのだ。
高低差と暑さと辛さを感じながら歩いたのだ。
やはりこれは夢なのか。酷い幻覚と妄想なのか。
なにが正しくて、なにが嘘なのか判断がつかない。
砂丘の上に立ったトシュナが前方を指さす。
オアシスを囲んだ場所に、原始的な集落が見えた。
集落は不自然なほど緑に包まれ、サッカーや野球をやるには最適といえるほどの芝が生い茂っていた。もちろんオアシスを少しでも離れれば砂漠である。
俺が目指す場所はあの村か。
砂丘を降りて、集落に着く。
小さな淡水の湖のまわりを、木々と家々が囲んでいる。
恐らく地下水が湧き出ていて、その周囲に植物と生き物が住み着いたんだろう。
少なくともここは日本じゃない。
アメリカでもない。中東アジアっぽさはある。
アフリカ……、は行ったことないからわからん。もしかしたらあるかもしれない。
家は全て岩を砕いて乗せ、隙間をワラや固めた土で埋めたものだった。指で壁をなぞってみると、ぱらぱらくずれた。質は酷い。ともかく現代じゃない。
屋根はワラと乾燥した竹造り。竹家とはさらにアフリカらしい。
電柱や配線がないどころか、水道すら見当たらない。
発見できた水道設備はでっかい水ガマぐらいだ。
舗装されていない地面は、歩くたびにぐじゅぐじゅっと泡を立てた。
前日に雨が降ったというよりは、排水設備がまったくできていないだけに見える。
そこにトシュナと同じ植物人間が生活していた。
みんなそのデカイ目玉で、俺を物珍しそうに睨んでいた。
「神様ですよ、ほら、本当に来たんですよ」
嬉しそうな様子で語るトシュナに、歪んだ瞳を向ける住人達。
どうも地域をあげて俺を歓迎しているわけではないらしい。
「あのお告げは間違いじゃなかったんです」
トシュナはにこにこしながら周囲に説明しだした。
どうもお告げというのは、村人全員にあったようだ。
『彼らにあなたの存在を知らしめたのは私です』
横をひたひたとついて歩くツリーが、自慢げに答える。
お前かよ。
『彼らに愛するドクターに捧げる困難を用意させるため、文化レベルが極めて浅はかな彼らの価値観にあった嘘を吐いたのです。……なんですかその目は。あぁ。嘘がお好みでなければ、これ以上嘘を吐くのをやめましょう。医者だから嘘がお好きかと思ったのですが、ドクターはまじめなのですね』
ツリーが真一文字に口を閉じ、小さな指先でなぞってチャックをした。
嘘くせえ。
まぁ本気で信じていたのはトシュナだけみたいだが。
酒と肉と踊りで歓迎されるもんだと思って、ほいほいついてきた俺がバカだった。
「ドクター。こちらです」
トシュナが一軒の家の前で立ち止まり、手を差し伸べる。
馬小屋に近いボロ小屋である。
どうやらここに呪いで苦しむ子供たちが隔離されているらしい。
「ここに入れって? なんかすげえ臭いだけど」
「他の土地からやってきた採薬師が、呪いの苦痛から開放される術を使っております」
「じゃあその採薬師にこの件は任せようじゃないか。な?」
正直いうと、俺は帰りたい気持ちでいっぱいだった。
見知らぬ土地、見知らぬ生物、敵対的な視線。
なにをとっても不安要素だらけである。
「ダメです! その薬師さまは、もう子供らは死ぬしかないとおっしゃってます」
トシュナの瞳がうるっと薄い涙につつまれた。
まぁ死なせたくない相手がいるんだろう。
俺は喉を鳴らして、きっぱり断るのを渋った。
泣かれる相手には弱い。
「しょうがないな。いいよ、困っている人は助ける主義なんだ、俺は」
俺はとりあえずこのいかがわしい建物にはいった。
あぁしかし最悪だ。
ひっでぇ臭いだ。
クソのひっついた真夏の公衆トイレに入った方がマシなほどである。
なんてたってこの建物、謎の香料が焚かれているらしく、それがくせぇのなんの。
お香だとかアロマセラピーっていうレベルじゃない。香水を点けすぎた女が電車の横の席に座ってきた気分だ。しかも両サイドに。誰が進んで入りたがるってんだこんなところ。
俺は腕を鼻に当てたまま、薄暗い建物の中に入った。
中には赤ん坊たちがベッドに並んで眠らされていた。もちろん赤ん坊っていっても、まるっきり白い肌なんだが。頭に葉が生えていないと、ますます白カブである。
臭いは中に進むほどひどくなっていく。
よく見りゃ小便垂れたまま子供が放置されてる。
臭いもそうだが、こんな衛生状況じゃなんの病気が発生しても知らないぞ。
「なんじゃ、お前は」
奥の明かりにつれられて進むと、そこには小さなばあさんがいた。
俺の腰ほどしか伸長がなくて、顔なんか乾かしたボロ雑巾よりしわくちゃだ。
ぎょろっとした目は、馬みたいに横付き。耳は長く垂れ下がり、まるでロバみたいである。しかしトシュナよりはいくらか人間らしさもある。今更驚きやしない。
どうやらこいつが採薬師らしい。
「俺はトシュナって子につれらてきた。あんたがここのボスか?」
「わしは神聖なる術を使う、神の使いじゃ」
正面向かって喋るボロ雑巾ババアを目の当たりにした時、俺は驚いた。
やつは口でなく、喉で喋っていたのだ。
ロバの口腔部は、くっちゃくっちゃと動物的に動き、言葉を発しない。
言葉は少々膨れた喉が横に開き、そこが人間の口のように働いて音を出している。良く見ると喉に舌まで存在している。気持ち悪いったらありゃしない。
「ここの子供らはみな悪魔の呪いにかけられ、血の涙を流しておる。いまや死を迎えるばかり。お前にやれることなどありはせん」
「血の涙ねえ」
俺はばあさんの喉をひとまず横に置いた。
ためしに赤ん坊の一人を見てみると、確かに目が赤くなっていた。
眼球結膜の充血である。
血管の一本一本が肉眼で数えられるぐらいに充血している。
「だからワシは、せめて苦痛から逃れられるように薬草を与えておる」
ばあさんは乾燥した緑色の粉薬を持っていた。
俺がこれの原料はなにかと尋ねると、ゴルフボール大の植物が出てきた。
砂漠地帯よろしく、サボテンの身みたいである。
小さなミニカボチャにトゲがくっついているような。
しかしなにか薬の本で見た覚えがあるぞ。
俺はそのサボテンをまじまじと見た。
う~ん。なんだったっけかな。
『物語で主役が困ったとき、必ず助けるヒロインがいるべきだと思いませんか?』
頭を抱えていると、ツリーが小さく手を振った。
『ヒロインは主役の人生を、よりダイナミックに魅力的にしてくれるでしょう。そしてドクターの人生において、ヒロインは私です』
口元だけにんまりとしていやがる。
『もし私があなたにとって重要なヒロイン、かつ、人生においてのパートナーだと認めれば、効果的な情報を出しましょう』
重要なヒロインがパートナーに情報の駆け引きをするなよ。
と怒るわけもなく、俺は極めて大人な態度を取った。
「あぁわかったわかった。ツリーは俺にとって大切だよ」
『ポケットに忍んでいる粗末な端末をお取りください』
俺は言われるがまま、右手を突っ込み、中に入っていたスマフォを取り出した。
『カメラを向けると、対象の関連情報がわかります』
なんだって? それは……、おもしろそうだな。
やはりゲームなのか。
嘘の妄想の世界なのか。
俺はさっそくサボテンもどきにカメラを向けた。
こうやって情報を仕入れて、ゲームを有利に進めていくんだな。
「なんじゃ。なにをしておる」
「いや、きにすんな。――あぁ、ひとつ聞いていいか。もしかしてこれを儀式かなにかの時に使って、神のお告げを聞いたりするのか?」
「そうじゃ。さすがにそのぐらいはお主も知っておるか」
現物を手に取ってみる。
正体がわかったと同時に俺は小屋を飛び出た。
そろそろこの臭いに付き合うのも限界があった。
「どうですか。ドクター、なにかわかりましたか」
咳き込む俺を、トシュナが心配そうにながめている。
俺はサボテンをトシュナに見せた。
「ペヨーテだな、この薬は」
「ペヨーテですか? それはどのようなものなんでしょう」
「複数のアルカロイドを含んでいて、主成分はメスカリン。フェネチラミン系の幻覚剤だ。効果は薄いけどね。ようは体を治すんじゃなくて、体をもっとイカれさせて、痛みや苦しみを紛らわせてるだけなんよ」
幻覚剤とは恐ろしい響きだが、医者としてあのばあさんの弁護をしよう。
幻覚剤ってものも、古くは医療道具の一部だった。
昔は麻酔なんてものがなかったから、大麻で手術の苦痛を抑えるようにしていた歴史がある。現に太古の手術記録がある国は、大麻の生産地でもあった。
大麻は昔の医学の発展に役立つ薬だった。
それに麻酔も、そもそも麻薬の類だ。
だからこんな文明のなにもないような場所じゃ有効な薬なんだろうが――。
「あんなんじゃ患者は死ぬぞ。おい、何人かここに出してきてくれ。診察しよう」
俺はトシュナに指示を出した。
確かにこの世界の医療じゃ幻覚剤が有効かもしれない。
だけどな、俺は現代医療の医者だ。
パッと見ただけだが、あれは呪いじゃない。生理反応だ。
もし体内が人間と似た構造ならば、なんらかの疾患による反応だ。
あんなまじないもどきの医術なんかぶっとばしてやる。