KARTE4-1 私は医者ではありません
まるで長年やめていた医者仕事を取り戻すがごとく、俺は走り続けた。
付き添ってくれるトシュナは常に勉強熱心だった。
教えること全てに感心を持ち、輝く瞳を向けてくる。
俺も学部一年のころはこんなだったかなぁ。
街灯なんて便利なものは存在しないから、暗くなる前に用事を済ませるしかない。
しかしトシュナは役に立った。
特に外科処置の面で。
なにせ俺にとって外科は専門外だし、指先を使う作業は不安である。
試しにトシュナに現代的機械縫合をやらせようと、持針器とアドソン(外科用ピンセット)を与えてみるた。
当然ながらヘタっぴだし、俺だって内科医だから高度な外科処置なんて教えられないが、それでもトシュナは必至になって皮膚縫合を学んでいた。
医者のいない街だから、患者は内科診療だけでは収らない。
時には痛々しい外傷を負って、俺の所に駆け込んでくるやつもいる。
「そうだ。上手いぞ。最後にそこに糸を通して」
今日も腕を切ったエイリアン相手に機械縫合をやらせていた。
へたっぴの糸通しは血をじゅるじゅると吹き出させ、なんともグロテスクだった。麻酔をやらなきゃぶん殴られていた所である。
最後に包帯を巻いて、治療完了。
患者は別れ際まで痛みを堪えていた。あくまで止血だけの治療である。
「さあお夕飯にしましょう。血を見てるとお腹が空きますよね」
笑顔で提案するトシュナの言葉は非常に頼もしかった。男が狩猟して、女が料理するような生活をしていれば、動物一頭を解体するぐらい慣れたものなんだろう。
街は夜になっていた。
今日は星が出ていて、うっすらだけど周囲が見える。
街の中心部の道路に出店屋台が集まっていた。
はじめのうちは気がつかなかったが、良く見ると夜でも店がやっているのだ。
せっかくだから食わない手はないだろう。
周囲には食欲をわかす臭いが立ちこめていた。
脂ののった肉の焼ける臭いは格別だ。
医者になるためには、血を見た後だろうが、内臓を見た後だろうが、メシが喉を通らないんじゃ医者にはなれない。
むしろステーキを食おうとしてナイフを持った瞬間、あ、これさっき人間の皮膚切った作業に似てる……、なんて思い出して爆笑できなければならないのだ。
どう考えても喉に通るほうがおかしいんだが。
「ここにしましょう」
屋台のそばに置かれた樽椅子に座って食事をする。
食べた野菜とか肉をごっちゃ煮したスープのようなものだった。
あずき色のとろっとしたスープ。味はコンソメ風味。
たぶん日本でいうならシチューかカレーだろう。
まず臭いがいい。
そして十分加熱されている。衛生面での評価は大切だ。
「あんたドクターかい」
すると屋台のオヤジが俺に声をかけてきた。
トカゲ男が、頭に頭巾をかぶっている。
どこの世界の料理人にも帽子は欠かせないのか。
もちろん俺はオヤジを知らない。しかし向こうは俺を知っているようである。
「俺の弟があんたの世話になったってね。いや助かったよ。ろくに金も払えなかったのに、ちゃんと診てくれただなんて。これは礼といっちゃなんだが」
オヤジはウォッカのような飲み物を俺たちの前に置いた。
明らかにアルコール臭がする。
酒は飲まないようにしているんだが、こう目の前に出されるとなると。しかも感謝の気持ちで出されてしまうと、飲まないわけにもいかないよ。
俺はついクイっと酒をあおった。
「水みたいな酒だな」
しかし悲しいかな、酒造技術はさっぱりなもんで、酒は全く発酵していなかった。これじゃ消毒薬を飲んだほうがまだ酔いが回る。
「いけるじゃないか。ほらもっとどうだい」
自動的に酒が追加された。
酒は軽くしか飲まないと決めていたが、これほど薄いと水のように飲めてしまう。
「今日の患者さん、目が見えるようになりましたね」
メシを食いながら、トシュナが話かけてくる。
こうして長いカンファレンスが始まるのである。
「すごいです。さすがはドクター。目の光を取り戻すだなんて」
「あれは一過性単眼失明だ。一時的に脳の一部に血がいかなくて、視力がなくなっただけだからな。ステロイドで血管を治してやればどうにかなる」
「ステロイドとは?」
「炎症を治す薬っていうか、表面をキレイに治すもんだな。ぼこぼこに歪んで血の通いが悪くなった血管を治すんだ」
「頭の痛みもなりましたね」
「虚血性の頭痛だな。急に立ち上がって頭が痛くなることがあるだろ。あれは血が下に押しつけられてるから、脳に血が足りてないっていう警報の痛みなんだ。つまり同じように血管の炎症で血が通わなければ頭が痛くなる。治せば元に戻るってわけよ」
「では足の悪い患者も、すぐ良くなりますでしょうか」
「あっちはダメだな。足腰に異常はなかったし。となれば神経異常になる可能性が高い。バビンスキー反応があっただろ。もし頭頂葉部の髄膜内腫瘍だったら……。脳みそをベロッと出さないと治らないな」
「はぁ。ばび……? 腫瘍? どういう意味でしょう」
「頭頂葉って頭のてっぺんでな、下半身の感覚が詰まってるんだよ。そこにデキモノができて、脳を押し殺してる。だから足腰が動かない。神経に異常が出ると、足の裏が反り返るバビンスキー反応が現われる。単純なロジックだ。現に始め地図描かせてみただろ? 覚えてるか」
「家の場所を描かせましたね。正直なにを書いてるのかさっぱりでした」
「ありゃ頭頂葉部の処理機能が低下してることを意味するんだ。CTでもしなけりゃ詳しくわからないけど」
医学の話を始めると終わり見えなくなる。
知らず知らずと飲み過ぎてしまった俺は胃をさすった。
酒は気分が良くなる。好きだ。
しかし酔いが冷めたあとの苦痛を考えるとあまり飲みたくない。
飲みたくないんだが、体が求めてしまう。
頭がふらふらしてきた。
ぼーっと前を見ると、時折壁が動画になる。
さっき飲んだ薬が効いてきた。
薬を飲んだ後に酒を飲むって、もし俺が医者なら絶対にやらない愚行である。