KARTE3-5 欲求
――風呂から上がる。
散々いやらしいことだけを考え抜き、邪念を払った俺。
こうなればやることは決まっている。
「よし、さっそくだ。やってもらおうか」
「え、は、はい」
「ごはんつくってください!」
頭を下げる。
トシュナは「はぁ」とだけ返事して、台所に立ってくれた。
飯の作り方もだいぶ教え込んだ。
魚を捌く原理は一緒だし。焼き魚なんかはあまり教えなくても完璧にやってくれる。
さすがはできる主婦。焼き魚なんか学生時代でも滅多に食わなかったわ。
「うまい! うまいぞ!」
並べられたあじの開きに、醤油をかけて食う。
日本人は贅沢だなあ!
「き、機嫌、いいんですね」
「今の俺が不幸に見えるか」
俺は飯を胃袋にかき込んだ。
しかしトシュナはやはりよそよそしかった。
普段なら飯が美味いと褒めるものなら、ものすごく単純に喜んでくれるのに。
気になってよく観察してみると、どうも様子がおかしい。
言葉にはきもないし、呼吸もどこか変だ。
風邪でもうつされてしまったのだろうか。
なにか言いたげな様子だったのは体調のことか?
医者の手伝いをしているのに、風邪を引いたことに負い目を感じているのだろうか。
俺もよく「医者のくせに体調不良だなんて」と言われた覚えがある。
それに見た目も少し違っていた。
彼女の頭のてっぺんには、つむじならぬつぼみがある。さすが植物人間だ。
その頭のつぼみが、多少ながら開いているのである。体調不良が原因かどうかはわからないが、どこかおかしいのは間違いない。
もしかして咲くんだろうか。
水をかけたりすると咲くんだろうか。
俺は抑えていた研究意欲を溢れだたせてしまった。
もう我慢ならない。食欲よりも、性欲よりも、研究欲が抑えきれない。
トシュナのような人種もそうだが、あの虫やエイリアン、全部かっさばいて記録したい。
肺機能はどうなっているのか。循環器はどうなっているのか。消化器はどうなっているのか。脳みその大きさは? 脊椎の様子は?
考えるだけでも興味がわき出てくる。
「なぁ、ここって触ってもいいか? 頭のとこ」
俺は医者としての衝動抑えきれず、ついたずねてしまった。
「え、あ、はい。どうぞ」
でも了承されちゃったので、俺の手は止まらなくなった。
頭を触ってみる。
髪の毛は硬い。触感はやっぱり葉だ。
肌触りもつやつやした葉っぱそのもの。
力を入れれば横から引きちぎれそうだ。
やっぱり葉は動物性の毛なんだろうか。
それとも葉緑素がつまっていて、光合成をするんだろうか。
ならばなんのためにに。
もしかしてこの頭から脳に酸素が運ばれるんだろうか。
だとしたら凄い機能だぞ。俺にも欲しい。
肺や心臓に頼らず、脳に酸素を送れるだなんて画期的すぎる。
これなら心筋梗塞や脳梗塞といった重大疾患が起きても、脳にダメージが残りにくい。
ならば片麻痺などの神経障害や意識障害といった、重大な後遺症も残らず社会復帰ができる。
脳ほど酸欠に弱い箇所はない。
人間にとって脳よりも大切な部分はない。あっても心臓だけだろう。
うううむ、すごいぞ、これは人類の究極進化だ。
もしこんなことを俺たち人間にできたら、どんなに素晴らしいことか。
俺の病態ゲノムの研究分野とちょっと被ってる部分もあるし、非常に感心が持てる。病態ゲノムはいわゆる遺伝子解析が主だが、目的はより病気や障害に強い体を見つけることにある。トシュナはその目的を叶えている。
あぁ、他の医学者と一緒に語らいたい。
それからこのつぼみ。
これも興味深い。
髪をことまかに調べていると、ほんの少しずつつぼみが緩み始め、中から朱色の花びらが見え始めてきた。
おぉ、すごい。こりゃすごい。
頭頂部の花に触れてみる。
やはり植物の花びらだ。こっちはどんな機能があるんだろう。
「うぅむ」
俺は喉をうならせながら、花びらの開花を期待した。
期待が膨らむと、力がつい入り、腕の痙攣がまた始まった。
小刻みに振るえる指先が、綺麗な花びらを揺さぶる。
最終的に全開してくれた花は、まるで帽子のように大きく咲き開き、俺の鼻までその甘い香りを運んでくれた。
黄色いめしべが見える。
触感はやっぱり花のめしべだ。
花について詳しい訳じゃないが、人間的身体にいったいどんな利得があるのだろう。
くぅ。解剖したい。
解剖したぁい。解剖したいよぉ。死体一匹くれないかなぁ。
興味湧かせすぎだろ、この世界の生き物は。
「だ、だめです……っ!」
と、あまりに熱中しすぎた俺を、トシュナの張り詰めた声が止めた。
さすがに痛かったんただろうか。
「そ、そ、そ、これ以上はあの……っ!」
「いや、すまない、つい。ん、これは花の蜜か? ……どれ」
「や、あ、ゆ、指、入れちゃ……っ!」
「なんだ、痛か――」
「これ以上されたら、受粉しちゃいますぅ!」
顔を真っ赤にし、肩で息をするトシュナが倒れた。
なんだって、受粉だって?
「夫にもこんなことされたことないのに。あぁ、ごめんなさいあなた。でも逆らえないの。こんなに激しく、それでいて優しくいじられちゃ……っ!」
「お、おい、ちょっと待て。なんだ。一体なにを言ってるんだ」
「え、これから私を抱かれるのでは?」
俺は目玉が飛び出しそうだった。
「な、一体どうしてそうなるんだっ!?」
「だってこんなに大金を渡されたから、私はそういうことをするんだなって……。それに私は買うっていったから。じょ、女性として買われたのかと……」
「ちがうちがうちがう。大金って、体を売る金額じゃないだろ」
「あのような量、何人かの女性を一晩買えます」
「じゃあトシュナにとってその金額は?」
「夫の給料三ヶ月分です」
俺は地方格差なんてものを考えていなかった。日本人ゆえに格差という感覚をそもそも持ち合わせていなかったのだ。
トシュナの村で手に入る金と、ダーコの貿易を担う街で手に入る金は違う。都会にとっちゃある程度の小遣いでも、農村集落にとっては大金なんて話は良くある。
それに文明度が低いほど、売春の金も安いはずだ。
食料や衣服よりも、女性のほうが安い時代なのかもしれない。
だからこんな金握らされて体触られたら、勘違いするのも無理はない。
「すまない。そんなつもりはなかったんだ。医者としてな、お前がどういう体の構造してるのか興味がついわいちゃって。だって珍しいんだもん。えへっ」
「ではこのお金は」
「それはほんとうにトシュナの労働にあわせて出したお金だ。……ところでなんだ、また興味本位で聞くんだが、受粉ってつまり子供を宿すことだろ。お前らのその、営みってどうやるんだ? 動物的にやらないんだろ。……いや、女性になに聞いているんだ俺は」
俺は懲りなかった。
珍しくってしょうがない。興味がわいてしょうがない。
「あの……、こう、頭を合わせてですね……、それでよければ種ができて、あとは栄養のある土に入れて、お水をあげながら」
「ほほぅ! なるほど!」
俺の興味心は今にも暴れ出しそうだった。
これでも研究員の端くれである。
「つまりトシュナは有胎盤類や有袋類を脱却した種族なんだな!」
これは凄い。
俺は常々母体で子を育てる意味はあるのかと考えていた。
母体にとっては重荷になるし、妊娠中毒なんてしゃれにならん問題を抱えたり、大量出血したり、はたまた母体ごと死んでしまったり。なんて話はごく当たり前にある。
今の人間にとって、敵に襲われる危険性なんて皆無だ。
ならばタマゴのように外で育てれば、少なくとも母親の負担や危険性はなくなるんじゃないかと思っていた。それが今ここで実現されている。
しかもだ、これなら短期間で多くの子孫を残すことも可能になる。
しかもしかもだ、羊水みたいな胎水がなければ加齢に影響されないため、高齢出産になろうとも安心して産めるかもしれない。
種をより沢山残せるのは、動物学的に見ても優位であること間違いなし。
すごいぞ! おぉすごいぞ!
考えるたびに合理性が光る!
まさしく人類の超究極進化だ!
「あの……、そ、そろそろ、いいでしょうか。ちょっと、花開きっぱなしなのは恥ずかしいので……。中心の奥は家族にも見せませんし……」