KARTE3-4 風呂場の誘惑
――家に帰ると、俺達はまず風呂に入る。
トイレと一緒になったとても狭い風呂であるから順番こである。俺が便器に座って、後ろから彼女の入浴を眺める。変な意味じゃない。洗い方がヘタクソだから監督してやなきゃいけない。ホントだ。嘘じゃない。なにせあの世界からどんな病気を持ってきているか、わかりやしないから。
「もっとちゃんと洗いなさい。医者に洗い残しは許されない」
「で、でも、後ろ届きません!」
「背中むけなさい」
彼女は髪という葉っぱを持ち上げ、形の良いお尻をこちらに向けた。
色は白すぎるが、少し締まった尻は美的な要素を含んでいる。
触ってみると、実にもちもちしている。もみごたえのある尻だった。
「……あ、あの、どうしてお尻ばかりを洗うんですか?」
「待ってくれ。今俺はお前のケツから手を離していけないと思っている」
人間的な顔ではないが、人間的な体を持っているがゆえ、俺は男性的な欲求を満たす行動をしていた。……というわけではない。むしろ、そうすべきだったのだが。
俺はセクシーなシルエットに見惚れたわけではなく、その中身について深く感心を持っていた。
何度見ても排泄器官が片方しかない。
ならば従来の排泄機能はどのように変化しているのだろうか。
気になって仕方がなかった。
こればかりは解剖しないと、俺とどのように臓器が違うかわからない。もしかして中身も葉緑素でできていたりするのだろうか。
解剖したい。中身がどうなっているのか確かめたい。
「……ドクター?」
「な、なぜだ……。なぜ俺は……」
本来は下心を出す場面。なのに俺は彼女の表面的な魅力よりも、生態的な秘密に興味を示していた。いやらしい想像ではなく、メスを持ち、肉を裂いて、臓器を掴むシチュエーションを想像しながら。
生物として興味が生まれるのはわかる。
だが道徳的な心を忘れてまで、研究意欲に負けるような性格だったろうか俺は。
手を離してはいけない。
女性的な容姿に興味を持つべきだ。
『ここでなら、その生物を意のままに殺した所で誰も咎めませんよ』
すると俺の心を見透かしてか、悪魔の囁きがやってきた。
姿は見えず、声だけが俺の脳みそに入ってくる。
『なんの価値もない個体が、医学的発展のために消えていく。犠牲のために生まれた知識は全ての人間を救う。それは彼女にとっても幸福なのでは?』
「ば、ばかな。そんなこと……っ」
『気にすることはありません。あなたが持っている知識も、そうした犠牲の上に成り立っているのです。今更否定しても愚かなだけ。問題は自分がやるか、他人がやるかの違いでしょう。口を開けて物乞いをする愚民ならともかく、あなたは選ばれた医師なのです。立ち止まることはできませんよ?』
髪を持ち上げたままの無防備なトシュナ。
ツリーの声は、実に甘く、とろーっとした響きを持っている。
聞いているととても心地良い。身を委ねて、眠ってしまいたくなってくる。
言うこと聞いてしまいたくなってくる。
俺の迷う心を、下から優しくくすぐってくる。
しかし「はい」とも言えない。
欲求のために人殺しなんてできるはずもない。
『さぁ。小さな障害を践んだのちに、大儀があるのです』
「うるさいっ!」
俺は頭を振って打ち付けた。彼女のケツに。
尻の割れ目に鼻を突っ込み、歯を食いしばった。ぎりぎり食いしばった。
「ドクター……、これは……、なんの意味が……?」
「瞑想中だ! 悪しき邪念を、もう少しまともな悪しき邪に変えるための!」
「それは……、私のお尻に顔を入れなければできないのでしょうか?」
「そうだ! ちょっとお尻貸してください!」
俺はなるべくいやらしいことを考えるようにした。
生産的な研究意欲を拭い捨てるため、とことん無駄なことを考えるよう努めた。
するとやがてツリーの声も聞こえなくなった。
「水を流しなさい。俺のことはきにしなくていいから」
ケツに顔を突っ込んだまま、頭に水をかけられる。
排水溝に流れる水は、やはり茶色い砂混じりの水である。
確信できる。あの世界は嘘ではない。
俺はあの世界にいたんだ。
そして彼らはあの世界で生きているんだ。
眼鏡を通して、俺はどこかにあるあの世界に行っている。
どうやって、と言われれば詳しくわからないが、なんのためにと言われれば、医者としての使命を果たす以外、他にないだろう。
するとツリーは俺の想像の産物ではないのか……?
なんのためにツリーは俺へ接触――。
いやいや、今はひたすら無駄なことだけを考えろ。
先に進む努力をしてはいけない。とにかくバカなことをするんだ。