KARTE3-3 通りすがりの医者
砂漠の街を散歩する。
が、体力のない俺にとって、徒歩は苦痛そのものだった。
やがて暑さにやられた俺は日陰に逃げて、尻もちをついた。
ぬめっとした汗が流れる。脱水症状手前といった所だ。
『どうしたのですか。テストは開始されたばかりですよ』
俺が顔を俯かせると、必ずやつが現われる。
ツリーは確かに困難な時に助けてくれる重要なヒロインだ。
同時に、人が失敗すると必ずあざ笑うように出てくる最低な魔女であもる。
「テストって、これもお前が用意した困難だっていうのか?」
『全ての事象について、私が関与しているわけではありません。テストはあくまで通過点であり、目的ではありません。この先に得られるものが私の納得するものであれば、これもまたテストとなりえます』
「まるで俺が試されてるみたいじゃないか。いい気はしないぞ。俺がなにをした。俺がこれからなにをすればいい。俺になんの得がある」
『テストの目的は単純です。愛するドクターを優秀な医師に磨き上げる事です。それに対しご褒美が欲しいというのであれば、しっかりと用意してありますよ』
「なぜそんなことを」
『愛ゆえですよ、全てはね』
ツリーの口元だけがにんまりと動く。
表情がヘタなせいか、どこかうさんくさい。
俺を鍛え上げるのが目的だとすれば、病人を治すのがテストというのも納得できるが。
「で、ご褒美ってなんだよ」
『ドクターの望むものです』
「俺の望むものつったって……」
俺の欲しいもの。
安定した職だな。できれば公務員がいい。
しかしこいつが職をくれるわけもないし。
『誰でも、どんな怪我でも、どんな病気でも治せる、最高の医療技術を差し上げます。私はドクターがその資格を持てるかどうか、そのテストをしているわけです。しかしドクターが望むのであれば、チョコレートでできた聴診器でもかまいませんよ』
最高の医療技術。
なるほど、それはそれでいい話だ。
なにげにツリーは変な知識や技術を持っている。
俺を育て、立派な医者にし、職場復帰を援助してくれるというのであれば、俺にとっても悪い話じゃない。
どのみち、日本に住む今までの俺のままじゃ、お先真っ暗だ。
嘘ったり、ご褒美が「今までのドクターの経験が宝なのです」なんてオチだったりしても、ここで技術を盗んでいく価値はある。
最悪、ここの生物一匹持ち帰って、論文でも書けばいい。
俺は今チャンスなんだ。
俺は医者をやれる。やり続けられるんだ。
――テストを再開する。
まずはこの街がどんな場所か知る必要がある。
そのためにも、できれば同業者を見つけたい。
「あの、少々よろしいですか」
おっかないトカゲ男達に、トシュナは礼儀正しく声をかける。
「お伺いしますが、お医者さまを知りませんか」
しかも要求までぶつけて。できた人妻である。
おっかなびっくりで声もかけられない小心者の俺にとって、トシュナの無神経さは非常にありがたかった。
「医者なんていないよ」
小さな唸り声が返ってくる。
誰にたずねてもこの調子である。
俺も丸一日探して医者を見つけられなかった。
街には病人が溢れ、衛生のえの字もない空気が漂っている。
それでいて彼らは居もしない神を信じ、苦しんで死んでいく。
確かにまともな頭を持った医者なら、こんな所で働きたくはないよなぁ。
「あんた、もしかしてドクターか?」
すると別のトカゲ男がふらふらしながら寄ってきた。
「あぁそうだが」
俺はなにげなく答えた。
この一言の重みを、俺は全く理解していなかった。
「あの金次第でなんでも治すっていうドクターか!?」
「い、いや、その噂はどうかと思うが……」
「頼む、今すぐうちの家族を診てくれ!」
一人が俺の服にしがみついた。
するとそれを皮切りに、あちこちから男達が群がってきた。
「俺のばあちゃん、最近何度か血を吐くんだ、頼む助けてくれ」
「うちの娘、急に目が見えなくなったんだ!」
「お、お、俺は頭が痛いんだよ、頭がぁ! 助けてくれよぉ!」
「嫁が風邪をこじらせてから寝たきりなんだ、頼む、俺には薬をわけてくれ! 金は出す! 必ず出すから!」
おのおのが必至に声を張り上げ、俺に訴えかけた。
いや、叫んだと表したほうが正しいだろうか。
「わかった。わかったから。診てやるから服を引っ張るな」
周囲を落ち着かせるのには、困難な診察を引き受けなければならない。それこそ苦痛に満ちた大きな試練かもしれない。
だが放っておけなかった。
「よろしいんですか。呪いの治療もありますし」
「しょうがないだろ。見捨てられるわけがない」
「どうしてですか。お金ならもう」
「だって俺は医者だからな。医者は困ってる人を救うのがお仕事なんだ」
患者が目の前にいるのなら、見過ごすわけにはいかない。
俺は一人一人の話を聞き、街のすみずみまで歩いて回った。
当然一日二日で終わる作業ではない。
俺は何日もかけて街中を走り回った。
ツリーの思惑通り、俺は医者のテストにどっぷりハマっていた。
――気がつけば、俺はすっかりこの世界の医者業をこなしていた。
寝る時にだけ眼鏡を外す。
その時はトシュナを連れて帰る。
初めの時はトシュナを自宅に連れ込む事に抵抗もあったが、彼女がこなしてくれる俺への介護は、もはやなくてはならないものになっていた。
「あんたも呪いって聞いたけどね。どれ見せてみな」
俺は今日も応診にあたっていた。
ドアもろくにつけられていないぼろぼろの土壁の家に、ぼろぼろのベッド。指で壁をなぞると、ぱらぱらと埃が落ちる。
そこに咳ばかりをするエイリアンが横たわっている。
彼らは等しく衛生という基本概念に疎かった。
「三日間以上の発熱。sore throat(+) (喉の痛みあり) cough(+)(咳あり) sputum(-)(痰なし)食欲低下。基本疾患はなし。意識状態は鮮明。今朝に嘔吐と水便。腸管蠕動音は正常っと……」
スマフォのカルテにすらすらと症状を書き足していく。
それをトシュナが横目で覗いていた。
いかにもなにかやりたそうである。
「脱水症状が心配だ。輸液の準備だ」
俺がそう指示をすると、トシュナの目が輝いた。
指先が震えて針の扱いができない俺は、医療ド素人の彼女に注射のやり方を教えた。
注射はそれほど専門的な技術を要しない。必要なのは度胸と慣れだ。やろうと思えば一般人でもできる。まぁ一般人で注射器を持ち歩くやつはたいがい犯罪者だが。
おかげでトシュナは注射をやりたくてしょうがないらしい。
鋭利な針を持って、さぁ誰かに刺せないかと目をキラキラさせてやがる。
「ラクテックGを500ミリリットル(水分不足に使う輸液) VIT一式(ビタミン一式。だいたいはB1,B2,B6とビタミンC) プリンペラン(吐き止め)1アンプルを三時間ほどで静脈注射だ」
スマフォのショップから、点滴用の道具と薬を買う。
あまり金持ちな患者ではないが、必要費用はダーコから貰っているため、思うがままの医療処置を施せるのだ。
「はい! よろこんで!」
道具を受け取り、元気良く返事をするトシュナ。
居酒屋の店員かお前は。日本のナースが言ったら訴訟物だぞ。
「あとはラックB(整腸剤)とムコスタ(胃薬)。あとクラビット(抗菌剤)を食後に出せばいいかな」
カルテに処方を書き記す。
俺が満足そうな顔をすると、エイリアンはかすれた声を喉の奥から絞り出した。
「ドクター……、わ、わたしは呪われたのですか……」
「いいや、あんたはただのかぜだ。よかったな。薬を飲んでれば治るよ」
「し、しかし」
「心配するな。すぐに良くなる。もちろん嫌なら治療をやめていいんだが」
「えーっ! ダメですよ、やりましょやりましょ!」
針を持ったトシュナが残念そうな声をあげる。
結局患者は逆らう手段を持たず、俺の治療を受け入れるしかなかった。
日本ではありえない高圧的な診療である。
「じゃあお大事に」
応診を終えて家を出る。
外はすでに暗く、肌寒い。
「次で最後だ。急ぐぞ」
街灯なんて便利な物はない。星空がなければ暗闇同然で危険きわまりない。
最初のうちは懐中電灯を持って歩いたのだが、神の放つ光だと崇められたり、光の先に俺がいるとバレれば、捕まって延長応診をさせられてしまうため、やがて懐中電灯もなにも点けず歩くようになった。
暗闇の中で唯一見えるのは、トシュナの白い肌とエイリアンの赤い瞳だけ。
俺はさっぱりなにも見えん。
なにせこうも暗いくせにサングラスまでしてりゃなおさらである。
だからトシュナに引っ張ってもらいながら道を進むしかなかった。
う~ん。こういう時って、男が引っ張って歩くべきだよなぁ。
トシュナの白い体は暗闇でも良く見える。
俺は彼女の尻を眺めていた。大きくて良く目立つからである。
体つきは人間だし、下付きのお尻とか結構そそられる感じはするもんで、俺は暗闇に乗じて劣情を催してしまうのだが、ほ乳類的な生殖器のない彼女にどうセクハラしろというのだろうか。
むしろ体に興味を持つと言っても、すみずみまで解剖してしまいたい意味であると言ったほうが正しかったりする。ここの生物を見ていると、医者としての研究意欲が刺激されてしまう。
うん。俺ってそこらへんの性犯罪者よりもはるかに最低な思考の持ち主だな。
「トシュナは帰らなくていいのか」
夜道の中、俺が後ろから声をかける。
「子供がいるだろう」
「子供は母に頼んでおきました」
「じゃあばあちゃんになにか礼をしないとな、俺からも」
「おみやげを持って行ったら喜びます」
あんな集落なら、都会の品を期待したいだろう。
そういえばトシュナにお金を渡すのを忘れていた。
手伝ってくれているんだし、真っ当な賃金は払わなきゃいけない。
いくら払うべきだろうか。
トシュナにたずねても、いいえ私はいいですよなんて遠慮しそうだ。
「いくらかお金を渡そう。どのぐらい欲しい」
「いえ、私はいいですよ。お手伝いできるだけで嬉しいんです」
ほら。
ならこちらで勝手に金額を決めなければならない。
俺の取り分はゼロでもいいとして、薬代や器具の分を考慮するとそれほど渡せない。いずれは高級な医療器具も買いたい所である。しかしずっとトシュナの世話になりっぱなしの身としては、相応の額をあげたいくもある。
迷ったあげく、俺は貧乏人たちから巻き上げたお金を差し出すことにした。
高価なんだか、潰した王冠なんだかわからない丸い金属たち。
俺が持っていても仕方がない。持っていた所で価値もわからない。
「え、あの……、このお金は……?」
「俺が君に支払うべきお金だ。受け取ってくれ」
「で、でも……」
「いいか。俺は君を雇ってる。買ったんだ。受け取り拒否は許さないぞ。まだまだたくさんやって欲しいことがあるんだ」
トシュナはお金を受け取っても無反応だった。
はぁとか呟くように返事して、うんともすんとも言わなかった。
少なかったんだろうか。