KARTE3-1 噂
面倒がなければいいと思った通り、面倒はさっそくあちらからやってきた。
ある日、診療所に一人の男が訪れた。
「我々の家族は今恐ろしい呪いに命を落としています。お告げでは、あなた様が全てを救う神であると。お願いします。知識の神よ。全能の神よ。我々に慈悲をお与えください」
そいつはガスマスクでも被りながら喋ったような曇った声だった。
またなんとも奇妙な姿をしているやつだった。
猿の二足歩行のような肩の丸まった歩き方をしていて、皮膚が土気色をしている。
なにより特徴的なのは、握り拳台の赤い目玉が前方に一つ、左右に一つずつの計三つあるという点である。トシュナは比較的人間らしかったが、こいつはパーフェクトにエイリアンである。
そのエイリアンはダーコと名乗り、俺を目に入れると同時に跪き、祈るように今のこと述べてきた。
まぁどうせ呪いと言っても病気の類だろう。
しかしトシュナも出会った時はお告げがどうとも言っていた。
俺を宣伝してまわるやつといえば……。
「すまないが、上司と相談するから席を外してくれ」
ツリーしかいない。
「……上司ですか? 神であるあなたに?」
「ドクターにしか見えない精霊がいて、たまに独り言をぶつぶつ言っては、誰かと相談する不気味な仕草をします。始めはアレ?って思うんですが、じきに慣れると思いますよ」
笑顔でトシュナに酷いことを言われてしまった。
とりあえず促されるまま、ダーコが出て行く。
「ツリー。いるか。おい出てこい」
『事情は把握しています。ドクターはダーコという生物の胸にご興味があるのでしょう』
「お前がなにも把握してないのは把握できたわ」
背後霊のように現れるヒロインに説明をする。
悔しいが迷った時の相談相手としては最も信頼がおける。
他に誰かいないのも事実だが。
俺は事情を話した。
「で、そのエイリアンたちに話を吹き込んだのはまたお前なのか?」
『いいえ。恐らく彼らは、ここの住民達の噂を耳にしたのでしょう。彼らの村と、ここの住民達の一部は貿易上の交流があります。ごく自然な文化伝搬の形と推測されます』
「なるほど。……それでツリーとしてはどうなんだ。テストとして行くべきなのか?」
『彼らの生態系の調査、記録、診察、解剖、遺棄廃棄、隠蔽などは重要な行動であると評価できます』
ようは行くべきということか。
腹は立つが、従って損をした覚えがないツリーの助言。
俺は外で待つダーコを呼び戻した。
そしていの一番に、向こうから一言。
「報酬は用意しています。まずは手付けで」
ダーコの手が後ろに伸びる。
現れたのはどでかいダイヤの指輪だった。
俺の親指の横幅よりも大きなダイヤである。ぴかぴかきらきら光って素晴らしい。
年のためにスマフォで査定してみたところ、三万ドルで売れることがわかった。
去年の俺の年収の三倍はある。しかもこれが手付けだっておっしゃられる。上手く行けばさらにドドンと年収一千万の大台だ。
俺は腕を組んで、眉を寄せた。
「う、うむ。病人がいるとなれば出番だな。医者は困ってる人を助けるのが仕事だ」
俺の心は弱かった。
金のためなら、犬にだって従おう。
「では私は村で待っています。ご都合が良くなりましたらお越しください」
「……連れていかなくてもいいのか? これ、持ち逃げするかもしれないぞ?」
「神よ。私の目は三つある。二つは物を見るため。残りの一つは心を見るため。そして私がたった一つの目で見た限り、あなたは信じるに値する神だと判断した」
「……なんだそれ」
「例え持ち逃げされても、あなたはその金で別の方を救ってくれるでしょう。眺めるだけの石ころが、誰かの命に役立つというのであればそれでもよいのです」
ダーコがひょっこひょっことテントから出て行く。
不思議な奴だった。
俺よりも道徳観に溢れ、俺よりも落ち着いた理性を持っている。
信頼してもよさそうなやつだ。
「行かれるのですか、ドクター」
ダーコの後ろ姿を見送ったトシュナが尋ねてくる。
「行ってやりたいけど」
「こちらは気にしないでください」
彼女は笑っていた。
「ドクターは人を救う素晴らしい力があります。その力はもっとたくさんの人に施されるべきだと思います。ですから構わず行ってください」
彼女もまた、道徳の高い人だった。
誰も俺を止めやしなかった。
「しかし行けと言われてもな……」
俺は少し悩んだ。知らない土地と知らない世界に、一人でぽつんといろと言うのも気が引ける。自称メインヒロインさまは現われたり現われなかったりと、あまり俺の都合を考えてくれないし。
ダーコなら俺に世話役でもつけてくれそうな気もするが。
「俺一人では辛い。一緒に来ないか」
俺は静かにたずねた。
トシュナは雑用として仕事を買ってくれるが、ナースとして役立つほどでもない。いなくても医療行為に支障ない。しかしいないと日常生活に支障が出る。
内心びくびくで助けてください付いて来てくださいと泣きつきたかったが、それじゃ情けないので、表情だけは極めて冷静に努めていた。
俺は医者である。嘘を吐くのをためらうはずがない。
「私ですか、私がお役に立てるんでしょうか」
「家には子供もいるんだろ、無理にとはいわない」
「え、私が決めていいんですか。私なんかが」
「ただ正直いえば来て欲しい」
「えっと……、その……」
「トシュナが必要なんだ」
口から出任せもいいところで、怖いので一人にしないでという言葉を、よくもまぁこれほど威厳を持って言い換えられるもんだと我ながら感心してしまった。
さすがは医者だ。嘘は医者の特技だな。
トシュナはしばらくあれこれ悩んだ素振りを見せたあと、診療所に戻って、荷物をまとめてでてきた。どうやら来てくれるらしい。
ありがとう。ほんとうにありがとう。
『用意はいいですか。さぁ参りましょう』
ひょこひょことツリーがそばにやってきた。
かかとをのばし、手を上げる。
その一生懸命伸びた手の平が、俺の視界を遮った。