エピソード1 退屈な地獄
地獄は、思っていたより静かだった。
火の海が広がり、鬼が亡者を追い回し、悲鳴が響き渡る──
そんな光景を想像する者は多い。
だが実際は違う。
巨大な石の建物。
どこまでも続く書類の山。
亡者を管理するための役所のような場所。
そしてその最上階。
「……暇だ」
地獄の王子ノクスは、玉座に寝転がった。
「地獄って、こんなつまんない場所だったかな」
横に控えていた鬼が困った顔をする。
「王子、地獄は“罰を与える場所”であって娯楽施設ではありません」
「知ってるって」
ノクスは書類を一枚めくる。
浮気。
「はい地獄」
ぽん。
次。
詐欺。
「はい地獄」
ぽん。
「……」
(これ王族の仕事?)
もう一枚めくる。
暴力。横領。詐欺。
「……うん、いつも通り」
ノクスは適当に判子を押していく。
一枚。
また一枚。
その中に、一枚だけ新しい紙が混ざっていた。
名前──三島優斗。
罪状──殺人。
ノクスは一瞬だけ見て、
ぽん。
「次」
(毎日こんな感じなんだよな)
亡者は毎日、何千人も落ちてくる。
いちいち覚えていたら仕事にならない。
数分後。
(……飽きた)
ノクスは椅子にもたれた。
机の上の書類の山を見る。
(まだこんなにあるのか)
「……たまには現場でも見に行くか」
ノクスは立ち上がった。
亡者収容区。
石の扉の向こうには、亡者がずらっと並んでいた。
泣いているやつ。
怒鳴っているやつ。
絶望しているやつ。
(うん、いつもの光景)
……その中に。
一人だけ、やけに普通の青年がいた。
制服姿で、きょろきょろしている。
「……え、ここどこ?」
明らかに状況を理解していない顔だ。
ノクスは少し面白くなって声をかけた。
「君」
青年が振り向く。
「名前は?」
「え、あ、三島優斗ですけど……」
(……誰だっけ)
どこかで聞いたような名前だった。
ノクスは手元の書類をめくる。
さっき判を押したばかりの紙。
そこに書いてあった名前も──三島優斗。
ノクスは言った。
「君、殺人したらしいよ」
「は?」
青年は固まる。
数秒後。
「いやいやいやいや!!してませんけど!?」
収容区に声が響く。
ノクスは目を細めた。
(へえ)
嘘をつく亡者は多い。
でもこの少年。
リアクションが妙にガチだ。
ノクスは小さく笑う。
退屈だった地獄に、面白そうなものが落ちてきた。
「じゃあさ」
「もしほんとに冤罪なら──」
ノクスは楽しそうに言った。
「ここから逃げてみる?」
地獄の王子は今日も暇だった。
だから。
亡者を一人、天国まで送ってみることにした。




