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物言わぬ花嫁  作者: さい
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08.洞察

 エンは部屋を一瞥してからかう表情を引っ込め、扉を後ろ手で閉め、ちゃちな掛け金を下ろした。

 娘に向き直ったイェドを確かめ、静かに窓に近づき上を覗いて彼女の命綱を引き込む。

「……もう少し、動かないままで」

 イェドは慎重に、娘の眼球が痛むのではないかというほどきつく縛られた目隠しの布をナイフで裂いてゆく。

 顔を傷つけまいと後頭で刃を滑らせたが、細かく編んで散らした長い髪が邪魔をする。だが研ぎに出したばかりのナイフはやがて布を断ち切り、それを感じた娘は、寝台に押しつけていた顔を上向けた。

 未だ怯えたような短い息を吐きながら、違和感があるのか、何度も瞼を瞬く。

「……見えるか」

 ようやく顔を露わにした花嫁が、イェドへと視線を向ける。

 娘は普段なら少し垂れた目尻に愛嬌がある顔立ちなのだろう。だが今は唇の端が切れ腫れた目元には痣が残り、凄惨な印象しか与えない。と、唖然と見上げていたその蒼白の頬に色が差し、眉が泣き出しそうに歪んだ。

「あか、ぁん……」

 嗄れた声で呻き寝台に首を落とした娘に、イェドは困惑した。さらに嗚咽をかみ殺すような気配を感じ言葉を失っていると、娘の落ち着きのなさを宥めるように、ゆっくりとエンが声を掛けた。ついぞ聞いたことのない猫撫で声だった。

「静かに、の。騒いでは、もともこもない」

 あっと顔を上げた娘の緊張を感じ、老人は近づいていた足を止める。そのままエンは黙って部屋端の椅子に座った。

「あの……あの、」

「いや気にせんでええわい。随分酷い目にあったようじゃの。見たところ、上から逃げ出してきたのか? ……身体は辛かろうが、そこのに起こして貰ってはどうかの。こっちが見えんのは怖いじゃろ?」

 イェドは眼差しで問いかけ、娘が恐々と頷いたのを見てゆっくり体を抱き起こした。枕をあてがい壁を背に座らせる。もはや気力を使い果たしたように、彼女はぐったりと大人しかった。

「儂らは見ての通りの、旅の僧じゃ。いうなれば世の柵から外れた、ヒマ人じゃの。それに儂はかわいい娘さんには無条件に弱いんじゃ。で、そこの弟子は儂の下僕じゃからの、何でもいうことを聞く。絶対に悪いようにはせん、まずは落ち着くんじゃ。エン、荷から塩を」

 イェドは荷から清めの塩を出し、エンの指示のままにコップの水に混ぜ合わせた。飲ませてやれと言われ、娘のひび割れた唇にあてがう。娘は貪るように飲んで喉を鳴らす。

「……おいし」

 こんな状況だからか、仕草が幼い。ふと気付いて、名乗る。

「……イェド。あちらは、師のエン様だ」

「うちはコナ、いいます」

 相変わらず酷いしゃがれ声で囁く。視線はイェドから逸れ、落ち着きなく扉を見ていたが、受け答えはしっかりとしていた。見かけはどこにでも居るような田舎娘だが、かなり気丈だ。

「喉が乾いておるじゃろうが、一気に飲むのはよくない。ゆっくりの。嬢ちゃんはどのぐらい食べたり、水を飲んだりしておらん?」

「水はさっき……逃げる前、に」

「その前は」

「いちにちくらいやと、思います」

「おお、それは頑張ったのう。食欲は……ないか。だが飢えておっては力も出まい。イェド、そこの瓜を少し切ってやれ」

「……あ、」

「ん? ああ、ええんじゃええんじゃ、こき使ってやれば。こやつ役者みたいに目立つ顔はしておるがの、見かけによらず真面目なんじゃ。その行いは僧の中の僧、滅私奉公こそ我が喜び、一日一善、邪な欲なんぞぜーんぜんもっておらん、徳の高ーい男なんじゃ」

「……師」

 こんな時にも軽口は忘れないエンを目で制して、イェドは食べやすく切った瓜を差し出す。皿や串などどこにもないため、皮付きの身をコップと同じく口にあてがってやる。血のついた痛々しい唇が、躊躇いの後、ゆっくりと開いて実を食んだ。

 瓜の甘さに驚いたように動きを止め、潤んだ目に力を入れて、コナは意を決して問いかける。

「あの、ここ、どこですか? 今日は、いつ? 祭りは」

「普通の花嫁の質問ではないな……当たり前か。嬢ちゃん、儂は何でも教えてやるから、ゆっくりそれを喰ってしまうんじゃ。その瓜は今日この城壁宿の外で買うた。ここはハイラハの街、西城門の四階、たぶん嬢ちゃんのおった部屋のすぐ下じゃの。今日は七月の十四夜(こもちづき)、この街の竜神祭のことが聞きたいのなら、明日が大祭じゃ。これで答えになるか」

「あ、す」

「とにかく若い娘を縛って痛めつけるような輩は、ろくなもんじゃないわい。酷いとこからよう頑張って抜け出したのう。嬢ちゃんは根性があるわい。偉かった、偉かった」

「……師。危うくこの娘は死ぬところだったのです」

 窓の外にぶら下がっている姿を見て、肝を冷やしたイェドとしては、その無謀さを讃えるような言葉はどうかと思う。

「フン、小煩いやつじゃのお。ま、おまえがめずらしく気をきかせて、嬢ちゃんをたすけたのは良かったわい」

「……ほんま、おおきに。うち、……うち、行かんと」

 声の端が震えたのを、もちろん二人は聞き逃さなかった。エンが苦笑して問う。

「どこに。ここは城壁宿じゃ、嬢ちゃんは知らんかもしれんが、夜の間はどこへも行けん。街へも外へも、格子が降りて兵隊がおるんじゃ。それとも、助けを求めるアテでもあるかの? 例えばこの綱でもう一回外に出ても、その身体で遠くへは行けまい」

 口を噤んだコナのあまりの顔色に、イェドが師を目で非難する。エンは俗っぽい仕草で肩を竦めた。

「事情を話す気にはなれんか? 助けると断言は出来んが、及ぶかぎり力になるぞい。僧なんぞ、そのために世の中に居るんじゃからな」

 怯え興奮しているが、彼女は用心深く口を噤み、まだ何も己の事情を話をしていない。本人も何も知らないか、あるいは二人を信用しきれないのか。どちらにせよ、コナの状況がろくでもないことだけは違いなかった。何故なら、彼女が閉じこめられたのは五階だからだ。煌びやか過ぎる衣装の田舎娘と、それを攫ってきたやくざ者が、城壁宿の貴族部屋に案内される意味はひとつしかない……これには、街の有力者が関わっている。コナ自身もそれを悟っているから、安易に騒ぐことをしないのだろう。

「た、助けて欲しけど。ここに居ったって今度は坊さんら、まで」

「……五階の奴らはしばらく酒場に居るだろう。焦って出てゆく必要はない」

「ああ、うーん。儂が見るに、嬢ちゃんには考えとることがあるんじゃろ。そういう頭がなければ、ここが何処でいまが何時かとはさっと聞けんもんじゃ。とはいえ、小娘一人が出来ることなんぞたかが知れておる……のう。もしかしたら、そりゃ仮にウチの弟子が『役に立て』ば、外に出んで済むような話かな?」


 壁際のコナの身が、ぎくりと縮まった。羞恥に顔を覆って娘はしわがれた呻きを上げる。


「他に……思いつかんで。ゴメンほんまに、ほんまに坊さんやて知らんかったんです!」

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