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物言わぬ花嫁  作者: さい
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07.救出

【注意】今回は残酷描写を含みます。

 判断は一瞬。イェドは窓際の台に乗り上げ、鍛えた腕で力任せに女の腰を掴んだ。

「……ッ」

 今度は逃げる暇も与えず、そのまま無我夢中で相手を宙から部屋へと引きずり込む。命綱がみりみりと裂けてゆく。渾身の力は過たず手元へと重みを寄せたが、それもまだまだ上の半身だけだ。イェドの両腕の中で不格好に折れた腰の下は、死の城壁の外で揺れている。

 窓は小さい。イェドの身体が潜るのは骨だろうが、重みに引きずられれば最悪、二人共に死ぬ。あるいは腕を離せば女だけが。肝を冷やしながら腕に力を込めた。

「大丈夫だ、助け、る」

 言い聞かせるように囁く。女が身体を硬直させ、暴れる余裕すらないのがせめてもの救いだった。

 そのままではうまく動けず、いまだ命綱に縋る両腕を、輪のように強引に自分の首に掛ける。それから後はどうやったのか、とにかくイェドはずるずると後退して、気付けば女を抱えて勢いのまま床に崩れていた。

 はっはっはっ。密着した相手が、浅くしゃくりあげるような呼吸をしている。イェドは息を詰めている。

「……」

 確かな硬い床の感触も気を抜けば幻になるようで、しばらくは今更の緊張に冷や汗をかいて身動きも出来なかった。

 耳の後ろをどくどくと血が流れてゆく。

 床に広がる豪奢な真紅の裾、その足に絡まるようにして千切れた命綱の残りが、窓の外に延びて垂れている。イェドの身体の上に潰れた柔らかな肉と骨から響く、破裂してしまいそうな早鐘の鼓動。どこか男とは違う汗の匂いが、する。温い吐息が肩にかかる。

 ちりっとその肩に痛みを感じて、遅ればせに、相手がそこへ爪を立ててしがみ付いていることにイェドは気づいた。

「……もう、……?」

 そっと身体を離そうとすれば、首に腕が引っ掛かる。その手応えに違和感を感じた。咄嗟に外して見れば、長い袖の捲れた両手首は、縄に繋がれている。

 息を呑んだ。

 これが一体どういう事なのか、分からない。理解が出来ない。

 だがどう見ても女の手首は縛られている。袖で隠せば不自然にならないよう間を空けてあるため、助ける際にも気づかなかった。縄で敗れた皮に、茶色く乾いた血がこびり付いている。

 その姿はあまりに不吉で、絶句した。衝動的に頭のベールにも手を掛ければ、そこから現われたのはイェドより幾つか年下の、十七、八の娘の顔だった。そして案の定、猿轡とさらには目隠しまでがなされている。

 ――はっはっ。

 薄い下着の胸にかかる犬ころのような、怯えた吐息。

 目隠しは片方がずらされて、しかし、ほとんどイェドの姿も見えていないだろう。夕刻に見たままの華麗な衣装を着たこの花嫁は、口が利けないという話だったか……これでは利けるはずもない。

 何故、この娘が上からぶら下がって死にかけていたのか。この様子は何なのか。とにかくどう考えても尋常な様子ではない。


「……怖がらなくていい、もう、心配ない」

 喉が渇いて、上手く言葉が出てこない。

 まずは戒めを解いてやらねばと身体を離せば、支えをなくした娘の身体がそのまま床に倒れそうになったので、慌てて抱き上げ寝台の上にのせた。もがく身体に、声を掛ける。

「それを、切るから。すぐに済む。苦しいだろう」

 荷からナイフを出し、目隠しと繋がったベールを取って、まずは唇に食い込んだ猿轡を頭の後ろで慎重に切った。

 目隠しと猿轡を後ろで繋いで硬く結び、ベールに繋いだそのやりくちは、まるで解くことなど想定していないやり様だ。思わず眉を顰める。

「ん、ううっ、げほっ」

 涎塗れのそれを取った途端、娘はしわがれた声で喘いだ。

 やはり声は出るのだ。明かりの下でもう一度見れば、抜けるように白い肌に盛大に雀斑(そばかす)が散った顔で、涙と縄跡に赤く腫れあがった頬は、思わず手を伸ばさずにいられないほどに、痛々しい。涙と唾液と汗で汚れた頬を、指で拭う。イェドの無意識の指が触った途端震えた娘に、我にかえった。ほぼ見えない状態で見知らぬ人間を相手にするのは、どれほどか恐ろしいだろう――惨いことを。再び離れて、鋭く目を細める。

 と、そこで娘の手が伸びた。

「っあ、と」

 口の縛めを解けば泣き出すかと思った娘は、寝台に倒れたまま、がらがらに枯れた声でイェドにささやく。やはり喋ることができるらしい。

 言葉は分からなかったが、先に手首の縄を切れということだろうか。確かに手が自由に動かないのも辛いだろう。得心して、まずは左右の間を切断する。手首から縄自体をはずすのは厄介そうだ。

「後で、きちんと解くから。先に目を」

「ええ、の。あの、し、し……」

 片方だけ歪んで覗いた瞼が、必死に瞬きをして、持ち上がろうとしている。自由になった右手が、探るようにイェドの胸に触れる。

 不意に沈黙が訪れる。そこから彼女の、息詰まるような緊張が伝わってくる。

「……?」

 耳を澄ませ顔を寄せれば、市井の娘らしく厚いが小さな爪が、蒼白になるまで強く服を掴む。

 恐らく緊張と混乱で訳が分からなくなっているのだろう。窘めたイェドの言葉が聞こえていない風情で、娘は震えながら、老婆のように嗄れ蚊が鳴くような声を絞った。

「お、願い。うちと、しし、せ……せぇ……」

 何を言いたいのかは不明だが、とにかく相手が必死であることは分かる。落ち着かせなければ、そう思ったところで突然横から声がする。

「ウォッホン。こりゃ邪魔したかのぉ」

「……師!」

 ぎょっと振り向けば、帰ったエンが扉を後ろ手で閉めていた。妙に面白そうに光る目は、寝台にのし掛かるようにして拘束を解いていたイェドに対して、何か勘違いをしているのか。

 だが娘はエンの明るい声に、小さく身を縮ませた。誰とも知れぬ新しい人物の声を怖がっている。

「大丈夫だ。私の師だ。……何も、怖がることはない」

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