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物言わぬ花嫁  作者: さい
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05.娼婦

【注意】今回は残酷描写を含みます。

 五階の部屋は貴族や金のある商人が使う上等だ。

 しかしここで働く卑賤の女にも見慣れた場所である。ただし警備兵が扉の前に立っているのは珍しい。仕事上の名をマセラという娼婦は、その横から突き飛ばされるようにして室内に入った。扉から入る光しかない中は、暗い。

「もう、乱暴は止しておくれよっ!」

 金切り声を上げると、後ろの男に蔑んだ目を向けられたが、マセラは頓着しなかった。か弱い身の女が騒ぐのは自衛だ。だからこそ男という奴はみな女が騒ぐのを嫌うのだと、マセラは看做している……耳障りで、そして己の思い通りにならないから。

 暗い部屋の奥へ視線をやった娼婦の横で、宿の下男は、我関せずと盥を置いて立ち去ってしまった。

「さっさと済ませろ」

「分かってるさ……その子の行水を手伝えばいいんだろ」

 十は年上だろう男に命じられ、強気に応えながら、実のところマセラは怯えていた。この部屋は嫌な空気が漂っている。目前には何が面白いのか、やけにニヤつく若い男が一人、椅子に座っていた。顔を見れば分かる、こいつは後ろの男同様まともな暮らしをしていない。

 そして真紅の綺麗な花嫁衣装の女が一人、暗闇の寝台に蹲(うずくま)っている。

 体つきからしてまだ小娘だろう。ぐったり転がる首に一瞬力ずくで犯されたのかと思ったが、よく見れば敷布の乱れや匂いにその気配はなかった。呼吸で微かに身体が動いている、死んでもいない。自分の勘違いに苛立ち、マセラが近づけば、丸い肩が揺れた。

「ちょっと、あんた立ちなよ。身体洗うんだろ」

 後ろの男が舌打ちして、いきなりひやりと脅すような声を出す。

「……音が聞こえてるのか。リジム、また耳栓外しやがったな」

「ハハ、ちょっと親切でさ、ここがどこだか教えてやったんだ。もう街についたよってね」

 どうやら男の苛立ちの対象であるらしい若いのは、平気な顔で言い訳した。

「でももうこいつ、立ち上がれもしないみたい。びくびく怖がって、逃げたいのに足竦んでるのが面白かったのにさ」

「また殴ってないだろうな。痣が残る」

「そうやってダリバの旦那が叱るから、今回は小突くしかしてないじゃないか」

 蟲でも弄ぶような会話があまりに自然で、マセラはぞっとする。こいつらは下種だ。ひたすら早くこの場を立ち去りたくて、早口に言った。

「どうすりゃいいんだい、この子、立てないんじゃ行水なんて出来ないだろ」

「面倒だな、もういい尻だけ拭いてやれ。改めがあるから汚いのは困る。丁寧にやれよ。ベールはそのままにしろ、顔は見るな」

「まる一日干しちゃ、もう小便も出ないけどねえ」

 娘の身体を拭けと命じる男達は、部屋を出てゆく気などさらさらなさそうだった。

 窓を閉じた部屋は本当に暗い。胸を塞ぐ息苦しさと恐怖を押し殺し、マセラはあえて平気の顔で、盥の水で布を絞った。近づいて見下ろせば、花嫁の袖に隠れた腕は、多分後ろ手に縛られている。ベールに隠れた顔は見えず、目は閉じられているのか、こちらを睨んでいるのか……小娘は一言も発さず、黙っていた。その様子は不気味で、触れるのを躊躇する。残酷かもしれないが、マセラだって我が身が大事だ。

「ほら、こっち向きな」

 刺繍入りの華奢な靴を脱がせる。衣装の裾から覗く足首は、荒れて乾いていてもやはり若い肌だった。下種どもの前でわざわざ服を剥く気にはなれず、布を掴んだままの腕を突っ込む。男に言われた通り、尻や股の辺りを急いで拭き清めた。汚れの無い内股からして、この子は恐らくまだ生娘なのだろうが……そこまでで思考を止める。どの道この他人の過去も未来も、マセラの手に負えるものではない。

 途中、抵抗を見せない娘の身体が、小刻みに震えているのに気付いた。当然怯えから来るものと思ったが、どうも違う。

「……おやまあ」

 それは押し殺した嗚咽だった。正直、驚いた。

 男どもにどれだけ苛められたか知らないが、この状況でまだ泣く気力があるとは、恐れ入った。案外こんな手合いは、涙の枯れ果てた女より愚かで、けれどしぶといものだ。それが本人にとって良いとも思えないが。

 やがてマセラは任された仕事を終え、うんざりとした気分を隠しもせずに、布を寝台へ投げ捨てる。

「綺麗になったよ、もういいだろ!」

 ダリバとかいう男が頷き、顎をしゃくってマセラに出口を示す。

「まあ臭わなければそれでいいさ。お前分かってるだろうな、こいつのことは下で言うなよ……行くぞ。リジム、おまえもだ」

「何でだよ?」

「今から酒と飯だ。それにおまえを置いておくと万が一があるからな。女が欲しいなら別に買え」

 金を積まれても御免だと思いながら、娼婦は逃げるように部屋を出る。男達は、娼婦の後ろから歩く。

「ああ、刃物なんぞ部屋に残してないだろうな?」

「ないよ、そんなもの。あってもこいつ見えないし。全く今回は手間だったねえ……色々気を使うしさ、外はもう懲り懲りだ。街のほうが随分楽だよ」

「確かに田舎はやり辛いな」

 扉の影が部屋に伸び、やがて暗闇に消える。乱暴な音を立てて鍵が閉められた。


「……っ、う……っ」


 部屋の寝台の上には、とり残された花嫁衣裳の塊が、ぐにゃりとしている。

 しかし闇に沈黙が満ちた頃、突然その中の娘は獣のようなくぐもった息を漏らし、ひとり蠢きはじめた。後ろ手に縛られた紅い腕を不器用に捩り、宙に持ち上げる。何度も躊躇い、もがいてから、両腕に無理矢理頭を潜らせる。

 途中、肩がこきりと生々しい音を立てた。が、縛られたままの腕は身体の前に来る。


 最初の目的を果たして少しの間、娘は寝台に倒れていた。そして喘ぎ、這うようにして床へと降りる。縛られ捩れた腕で、必死に床を探る。

 長い時間をかけて最後に盥を探し当て――物言わぬ花嫁は、溜められた水へ、さぶんと首を突っ込んだ。

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