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物言わぬ花嫁  作者: さい
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04.弟子

 旅に汚れた身体を清めるため盥水を頼んだのだが、これが一向に部屋まで運ばれない。

 イェドは催促のために一旦部屋から出た。最初受付では前金と言われたが、先に支払すれば結局誤魔化されて永遠に目当てが運ばれてこないのは、エンに言われずとも分かってた。

 暗い階段の遠くに油灯りが揺れている。

 かつては内向きにあった多数の階段や入り口は、そのほとんどが塗り込められていた。密入国を防ぐための措置だった。

 外向きの窓は空いているが、そこにあるのも闇と静寂ばかり。まだ夜も早い。分厚い壁の向こうの街は竜神祭で賑わっているのだろうが、そんな気配は伝わってこなかった。この都市には大河ウィグムの支流が引かれ、汲めど尽きぬ水源となっている。険しい山脈から落ちるウィグムは氾濫を起こすせいか、荒ぶる竜神の化身とされ、この辺りは古い竜神信仰が今も盛んだ。

「……」

 四階から降りようとしたイェドの下から、盥を運ぶ従業員の姿が見える。

 自分達の分かと期待したが、こちらには目もくれずに横をすり抜けて五階へ進む。すぐ後ろから、さっき外で見た花嫁の付き添いの男と娼婦がひとり、喋りながら上ってゆく。

「駄賃はちゃんと貰えるんだろうね?」

「へらず口を叩くな、俺達のことは分かってるだろう。身体だけ、臭わない程度にしてやればそれでいい。さっさと終わらせて……」

 横を通り過ぎる際、初めてイェドに気づいたらしい。

 壮年の男は一瞬ぎょっと身を引いて、黒い僧衣に視線を走らせ舌打ちした。言葉を止めたまま、乱暴に女の腕を掴んで上へ行く。

「ふふ」

 年増の女が引っ張られながらも、こちらに向かって腰を突き出し流し目を送った。

 イェドの薄紫の瞳は、日光には弱いが夜目が利く。

 女の淫らな太り肉の背を黙って見送ってから、低い階段の天井に頭が閊えないよう、ゆっくりと階段を下りた。



 ――イェドは芸妓の子である。


 あるいは王都の高貴な血を継ぐとも言える。

 どちらにせよ成人した男が拘り続けるべき事柄ではないだろうが、騎士になりたいという子供の頃の夢は、そんな事情で叶わなかった。

 それから遅く十代半ばで僧院に放り込まれた。

 母譲りの顔立ちは、今は精悍さが加わったが、まだ当時は女の子と見まがう蜜菓子のような甘ったるさだったらしい。それでまあ、色々嫌な目にも合いかけた。幸いすでに背丈があったのと、気をつけてくれた大人の存在で、なんとか難を逃れ続けた。身体を鍛錬する棒術はそれもあって相当熱心に修行した。元々剣を習っていたし、学問よりは向いてもいたのだろう。一時は世を拗ねた気分にならないでもなかったが、当初は僧院の生活に慣れるほうが忙しかった。

「フーン、これがのう」

 その頃、院主に引き合わされたのが、エンだった。イェドからは口も利けぬ偉い院主様が、見慣れぬ小汚い老人に上座を譲ったのを見て、どうしたことかと思ったのを覚えている。後で知ったが、エン師はあれで聖都王都でも名の通った人だ。

「どうですかな?」

「まあ、おぬしが心配するのも分からんではない」

「……」

 二人はイェドを眺めながら話している。

「確かに見てくれは派手というか、やたら存在感あるんじゃが。別に中身の相は……うーん、最近の若いのならこんなもんじゃろ?」

「この者の、先はいかがしましょうかな」

「普通に放っておいてやれ。芝居気分で、周りがわくわく騒ぐのがいかん。まあそれでも気になるなら、こいつ棒術は筋が良さそうなんじゃろ? ものになったら護衛にして、王都にでも連れていけ。そこで身を持ち崩したらそれはそれ。王都で五年持てば、儂が弟子にしててやってもいい」

 得体の知れない老僧の弟子に成りたいと思った訳では全くないのだが、そんな成り行きで、現在イェドはエンの弟子になっている。

 一年前から全国行脚の旅に連れ回されて、歳は二十四になった。

 エンの六十過ぎという年は、聖都でも長寿の部類になる。矍鑠(かくしゃく)と自分の足で旅をしているのも信じがたいのに、その上、ひっきりなしに罰当たりなことを喋るわ大酒飲むわ博打を打つわ……弟子と言いつつ、イェドは旅の間に修行の話など、一度もされたことが無い。それでも人徳というか、エンは憎めない男で、切れ者で鳴らしたという噂通り時折尊敬に足るところを見せもする。

 だがやはり僧としては破戒僧、本人もまったくやる気がないのではないかというイェドの所感は、あながち間違っていまい。

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