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物言わぬ花嫁  作者: さい
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【蛇足.06】沈黙 イェド視点

 ひとたび係累を捨てた僧侶は、人の情というものに、残酷なほど鈍感になるらしい。イェドはコナの気持ちの切実さに気づかなかった。一方のエンは恐らく、知りつつも些事と見なして目を瞑った。

 その二人を相手に、タルギは不機嫌に続ける。


「この通りコナは甘ったれの娘や。あんたらのご大層な事情に巻き込まんとって下さい」

「……兄貴。そんな言い方せんとって」

「おまえもな。もし残って異端審問とやらでスッキリしたいと思とるんやったら甘いで。未来永劫、おまえは殺されかけた理由に納得なんぞ出来ん。相手が芯からお前に謝罪することもない。お前なんぞ蚊や蝿扱いの奴らと会うたかて、胸糞悪いだけや。逆にお前が壊される」

「待て。儂も嬢ちゃんを領主とやり合わせるつもりはないぞい?」

「同じことや。だいたい、異端審問なんかやらかしたら、どんだけ恨みを買うと思うんや? あんたらはそれでも得をするんかしれんけどな、コナはええことないで」

「それを心配するから、嬢ちゃんを引き留めておるのもあるんじゃ。嬢ちゃんは、この件の目鼻がつくまで動かさんほうが良い。村はハイラハの徴税区内と聞いておる」

「こっちかて、それくらい分かって迎えに来とります。うちの村なら平気や」


 エンとタルギの応酬が続く。

 クッとひとり鼻から吐いた息が思いの外響いた気がして、イェドは自分を宥めた。耳障りなやり取りにうんざりするような、自分への嫌悪のような……そして焦燥のような、喉元を塞ぐ重さを飲み込んでいる。

 沈黙は金。

 とりたてて頭の良くない凡夫が、二十余年生きて理解した教訓はこれだ。何か言わなければと思う時こそ、口を噤むほうが良い。どうせ自分でも呆れるような事しか言えないのだから。同様に、何かしなければと焦り迷う時ほど、動かぬほうが良い。臆病と呼ばれようと、学のない、娼舘育ちの僧侶が出来るのはそれがせいぜいだ。


「とは言うても」

 ふとタルギが緊張を緩め、口調を変える。

「ハイラハをこのまま放っておけんのは俺らも一緒や。ここに俺らがとりあえず掻き集めてきた情報がある。コナの証言の代わりくらいにはなるやろ?」

 懐から取り出した書付を差出されたエンは、首を振ってそれをイェドに渡した。

「すまんが、儂は老眼が酷くてのう。イェド、読み上げてくれんか」


「……是|(分かりました)」


 それはハイラハの、竜の昔話から手短に纏めていた。

 この手の昔話は大河ウィグム下流にはよくある。氾濫を繰り返す河に人格を与え、巫術によってこの人格を宥めようと試みるのは、地域を問わない原始の人の知恵だ。


 ハイラハの竜は、未通の乙女を好む。腰まで届く髪の娘を好む。

 また子供には語られぬ言い伝えでは、掻き切られた乙女の熱い血潮が、竜の特別な馳走なのだという。

 そしてハイラハ領主の血筋は、古くは一帯の祭祀の家系だ。

 街の裏通りの噂を集めれば、少なくとも先代の時代から、祭祀が続けられているのは間違いない。領主は毎年祭の材料として『雌鹿』を求める。側近らはこの符牒の用意を、街のならず者達に秘密裏に請け負わせる。そして彼らの一番下の組織が材料を調達する。ただしこの『雌鹿』は近年手に入り難く、値上がりしているらしい。祭の雌鹿にはこと細かな条件があるが、最近は『腰までの長い鬣(たてがみ)』という項が特に難しいのだという。


「全くどこの鹿に鬣(たてがみ)があるって言うんや、バレバレな符牒すぎるわ。ま、あんたらも調べるとっかかりはこのへんやろ」

「……よくもまあ、短時間でここまで纏めたもんじゃのう」

「こっちは玄人やからな。別に聖都につく気はないけど、仕事ならこの先の調査も受けまっせ」


 うむとエンが苦笑したが、目の奥には面白そうな光がある。確かに付近を調べるにあたって、聖都の伝手と金を使えばそれなりの事は分かるが、時間がかかるのが難だ。

 異端審問をするにせよしないにせよ、相手を罰するのであれば、どこまで事前に証拠を集められたかが肝である。何故なら、二人が助け出したコナは辛い思いをしたが、表立った事実としてはやくざ者に誘拐されただけであり、やはり領主や儀式との繋がりは細い。子供や若い娘が攫われる痛ましい事件は、竜だの祭だのと関係なく良くある犯罪であり、あの真紅の花嫁衣裳もやくざ者達が漏らした話も、領主にとっては知らぬことという言い逃れが容易いのだ。


「色々言うて、結局商魂逞しすぎやわ。もしかして村のみんな、そんなんしとるん? 初耳やで」

 脇で聞いていたコナが唖然と漏らし、

「昔と違うて、今俺らがやっとんのは行商のついでや、ついで。詳しい事は外に出た奴しか知らん」

 彼女の兄が軽く答える。エン達が話を聞く限り、コナの郷里は明らかに余所の田舎村とは違うのだが、彼女自身にとってはそれが日常だったのだ。まだ首をふりふりしている妹に向かって、タルギは念を押した。

「コナ、帰るで」

「……タルギ殿。儂にとって一番大事なのは、ハイラハから二度と人の生贄を出さんことじゃ。翌年、翌々年、例えどれだけ河が荒れ何人が死のうとも、儀式を止めたせいと言わせんことじゃ。一人を殺せば百人が助かるとき、大抵人の群れはその一人を殺す。しかし真実はほとんどの場合、『一人を殺せば百人が助かる……と、誰かが言った』に過ぎん」

「フン。爺さん、今あんたがしとるんが、まさにそれやろ。うちの妹一人の犠牲で、今後生贄になる百人が助かるってな?」

「ちょっと兄貴。勝手にうちの話、せんといてっ」

「お前は黙っとれッ! ……そらコナはあんたらに恩があって、信用しとるかもしれん。けど俺や親父は、そこまで他人のあんたらを信じられん。審問かなんか知らんけど、放っておいたらうちの妹を、聖都まで拐かすつもりやないかとも思とる」

「ま、必要とあらばそうじゃな」

「……へえ?」


 びりびりと刺すような緊迫感の中、イェドはエンの擬悪的な言葉に耐えきれず、顔をあげた。と、そこでぱちりとコナと目が合う。

 コナは、そばかすの散る頬の方へ困ったように目尻を下げて、唇だけでちょっと笑んだ。それはイェドに対しての『困ったなあ』という確認の仕草であり、話がどう転んでもとにかく『うちは大丈夫や』と告げる逞しい表情でもあった。


「師」


 衝動的に声が口を突いて出て、今度も思いの外響く。

 振り向いたエンとタルギへ、イェドは自分が何を喋っているかも分からないまま、早口に言った。


「……コナは家へ帰します」

「ほお『帰します』と来たか。フン、生意気を言いおって。儂だって意味もなく言うておるのではない、一時の同情で話をするでないわい」

「ハイラハの件が落ち着くまで、彼女の話と身の安全が必要という事であれば。私がタルギ殿とコナを村へ送って来ます。守りが薄ければ増援を頼み、その後も定期的に師の所と村を往復すれば、何ら師の動きにも差し支えはないはず」

「え、お弟子さん……えぇっ?」


 イェドの申し出に恐らく一番仰天したのはコナで、エンとタルギは胡乱な目をして、何故かお互いの顔を見合わせた。




更新遅くなりました。

次回で(地味に)蛇足終了の予定であります。

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