【蛇足.04】七日後 イェド視点
城壁宿の件から七日経った。
国境を越え、イェドとコナが僧院に着いてから、六日経ったとも言える。途中、ハイラハに雇われた暴漢が僧院で騒ぎを起こす事件はあったが、日々は概ね平和だった。そもそも他の地に余計な飛び火が行かぬよう、自分達の居場所をハイラハにばらしたのはエンだ。事件すら狙い通りだったといえる。そのエンは忙しく様々な面会をし、書簡を送る。イェドはその補佐と雑事に追われ、コナは気を紛らわせるために、尼院の厨房で手伝いをしている。
尼僧らは規律に喧しく、二人がコナと顔を会わせるのは、申し入れても朝夕の食事時だけに制限されていた。
「こっちは爺じゃ、まずオマエを警戒しとるの」
「……」
「心外という顔だのう。ま、オマエが何もせんでも、のぼせた娘のほうが妙になることもある。経験にあるじゃろ」
「……コナは、賢い娘ですが」
「何の。惚れた腫れたとなれば誰でも、阿呆な事をしでかすもんじゃわい」
エンはけけけと笑う。つまり、コナは今のところ全然イェドに惚れていない、と言いたいのだろうか。
今日もコナは、東屋まで昼食を運んでくれた。
「お師匠さんにお弟子さん、今日の昼食は、茸の薬膳スープがけご飯や。お代わりも出来るし、沢山食べてな」
当初はやつれていた頬が少し丸みを取り戻したようだ。
食欲をそそる匂いに、僧侶二人は短い祈りを終えて早速、匙でスープを掬った。
「ほほう。今日のこれは嬢ちゃんが作ったじゃろ。薬味の使い方がひと味深いわい」
「へへ。実はさっき、尼さん達に怒られてしもたんです。こういうん、街のひとには贅沢みたいやなぁ。ほら、村は山奥でなんもないとこやけど、薬味は山にいっぱい生えとったし。皆辛いもんが好きで、家に常備してようけ掛けます」
「……」
コナを早く村に帰してやらなければと思い、すでにイェドはエンに、そのことについて尋ねている。エンが僧院についた日の事だ。
「うむ。イェドの言う通り、嬢ちゃんも早く帰りたいだろうが……今、いろいろ決めておるところでのう。嬢ちゃんも不安だろうが、絶対に悪いようにはせん。ほとぼりが冷めるまで、そうじゃの、ひと月ほどは我慢してくれんか」
イェドはエンの言葉に驚いた。
色々根回しはあるにせよ、ひと月は長い。コナも心細そうに顔を曇らせたが、じっとエンを見た後で分かりましたと頷いて、ひとつの事しか尋ねなかった。
「家族にはもう知らせがいっとると思うけど、もう一回、手紙出してもええですか」
「むろんじゃ。信頼できるつてに預けよう。ひと月の間は何かと騒ぎがあるかもしれんが、あまり怯えずにのう」
確かに。ハイラハの件は、異端審問にかけるにせよ、かけないにせよ、コナの証言が肝になる。彼女の村は相手も承知なのだから、何の策も講じずに帰すことは出来ない。
暦上の竜神祭は終わり、コナは逃れたが、今回の事をどこの誰がどう捕らえているかも分からないのだ。
「嬢ちゃんの村のほうにも、守り手を手配しておる」
「村のみんなは、何があってもピンピンしとると思いますけど」
それでも、彼女の村はハイラハの徴税区にある。
――ひと月でコナを帰すめどを付けるためには、調べる事がいくらでもあった。
例えば、ハイラハの街の竜神祭について。
祭の儀式に関わっていた者たちについて。
彼らのその後の動き。
すでに生け贄にされたと思われる、乙女たちの身元。
彼女らが選ばれた条件。
祭に対し異端審問を行った場合の、王都、聖都、街への影響。あるいは、異端審問を行わなかった場合の影響。
それぞれ誰が得をし、誰に痛みがあり、どんな反発が考えられるのか。
「オマエの文も、だいぶ使えるようになってきたのう」
書簡を代筆中、エンに褒められたのは実は初めてのことだった。
諸国をぶらぶらと歩いては、こうやって事件に顔を突っ込むのがエンの使命であり、恐らくは好みのやり方でもある。長くそれに付き合わされて、事後処理にも慣れてきた。
切れ者と呼ばれる男の横で立ち働き、いやがおうにもその所以を知り、幾らかは感化されたようにも思う。
「ハイラハのは、街の者にとって良い領主か悪い領主か知らんが。ちと問題があるとは思わんか?」
「……安易にやくざ者を使いすぎるかと。この僧院も襲われました」
「裏口ばかり使う者は、館の主に相応しくは見えん。善悪は置いてもな。さてさて、どうやらハイラハは相当に膿がありそうじゃが、ここらで見せしめに審問にかけるべきか。あるいは、もう少し穏便に行くか」
窪んだ目を鋭く光らせて、エンは楽しげに言う。あらゆる事象を鑑みて、決断を下す時、エンは尤も生き生きとしている・
この毒の多さ、悪趣味なまでの俗世への執着は、僧侶ではなく一人の男として見れば、いっそ感嘆に値した。
(……だが)
エンと違ってイェドは決断を下すことが不得手だ。
イェドに己の行動の思考の芯のようなものはない。胸に未来はかくあるべきだという図(え)がない。
ハイラハの街がどうなれイェドの興味はなく、ただどちらに転んでもコナは苦労をするかもしれないと、そういう懸念があるばかりだ。
「……それは揃えて貰ったのか」
被衣(かずき)の下でしゃらしゃらと揺れるコナの髪を見て、イェドはふと気づいた。
「ちょっとガタガタやったから、尼さんが剃刀でしてくれたん」
頬を染めてちょっと得意そうに言うのを、可愛く思う。長く美しく編んだ髪はさぞ自慢だったろうにと、可哀想な分、可愛い。しかしこれは、とるに足らない煩悩だ。
その七日目の夕、コナを訪ねてきた三十がらみの男は、開講一番こう言った。
「ウチの妹が世話ンなりましたわ。ほんまおおきに。また俺と親父でちゃんと礼に来ますんで……ほな帰るで、コナ」