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物言わぬ花嫁  作者: さい
28/35

28.その後

 エンがハイラハでの件に目鼻をつけて河を下ったのは、五日後の事になった。

 流石に自治区内では絶対権力者である領主に、何の準備もなく会うのでは、命が幾つあっても足りない。弟子がエンの分の通行証まで持ち去った、だから入国は出来ないと城壁宿でぐずぐずしつつ、根回しに三日かけた。街にほど近い官寺の責任者を呼びつけたり、隣街の貸しのある豪商に使いを頼んだりと、それなりに忙しかった。

 

 船は流れに沿って再びウィグムに入り、隣の領地の入ったところの宿場で止まる。船着場で、イェドと他数人がエンを出迎えた。

「……師、ご無事で何よりです」

「どこが無事じゃ。あの気の利かん宿に連泊した上、偉モンさんとの面会だの脅しだの泣き落としだの、まったく儂は心労でげっそり痩せてしもうたわい!」

 エンは元から細いが、イェドに荷物を押し付けて愚痴を喚き散らす姿は、誰が見ても充分元気そうである。

「イェド、オマエは弟子のくせに、さっさと逃げて楽しよってからに。全くけしからん奴じゃ」

 けしからんも何も、エンと相談の上でした事なのだが。イェドは慣れたもので特に反応もせずに聞き流したが、その後ろの数人はエンの言葉をどこまで信じて良いのかと、一瞬戸惑った顔をした。

 彼らはエンにじろりと視線を投げられ、慌ててめいめいの名乗りをあげる。この地に住む、聖都の教えの関係者だった。

「エン師、お噂はかねがね……この度の審問は誠にご慧眼。隣の天領にありながら、見過ごしておりました我らをお許しください」

 先にエンと同じほどの年の僧が、拝み始めそうな勢いでひれ伏すのを、エンが苦笑いで止める。水路を使えばほど近いこのハイラハの隣は、偶然にも王都の直轄地であり聖都とも関係が深い。ただすべてが領地毎の縦割りで進み、隣の事は例え距離が目と鼻の先であっても触れられぬのは、戦乱の時代から続く因習である。ここで謝られても仕方がない。

「先にこちらへお立ち寄り下されば、我らが何処なりと手足となって調べに当たりましたものを」

「これは丁寧に。しかしこれが儂の仕事でのう。幾ら城壁内のみが自治区とはいえ、税収の権限がある領主は、領地内でもそれなりの力がある。虎の勢でも借りねば、近寄るのは剣呑じゃわい……イェド、コナ嬢ちゃんは無事か」

「彼女ならわたくしどもが、しっかりお預かりしております」

 イェドが答える前に、年は四十ほど、きつい顔立ちの尼僧がエンに再度頭を下げる。

「あの娘はハイラハでおぞましい邪教の生け贄にされかかったとか。悪い気に当てられたのか、あれから三日ほど寝込みました」

「おお可哀想に……しかし悪い気とは何じゃそれは。無理と心労が祟ったんじゃろ、普通に」

 ぼそりと呟いたエンを気にせず、尼層は言い募った。

「しかしわたくしどもの院長自らお祈りした甲斐あって、見事邪気は払われて、すっかり元気にしております。全ては聖都の教えのおかげですわ」

「婆の辛気くさい聖句なんぞ、儂なら気が滅入るだけじゃい」

 自分も爺だということは忘れているエンの毒舌を、イェドが遮る。

「……師。コナは」

「僧侶が、歳若い娘の名を馴れ馴れしく呼ぶとは何事ですッ」

 言った途端に尼僧からきっと睨まれ、色魔扱いのような視線に、訂正する。

「あの娘は、師がお着きになるという知らせを聞いて、今朝から尼院の厨(くりや)に居るそうです」

「そりゃまた、なんでじゃ?」

「あの娘は大層張り切って、エン師へ恩返しに故郷の山奥の食べ物を振舞うつもりだとか。どうせ田舎臭いもので、聖都の方のお口には合わないでしょうが、院長がその心がけを褒めて許可を出されましたのでね」

 尼僧の口調に悪意はなく、決め付けるような言い方は単なるくせなのだろう。

 残り数名、その場の男達がなんとなく視線を交わしあい、最後にエンが咳払いをした。

「ともあれコナ嬢ちゃんが元気になったのであれば、良かった。おぬしらに言っておくが、彼女には以後もハイラハの件の証人になって貰う可能性がある。くれぐれも気を使ってやってくれ。ハイラハの事はまだ何も解決しておりはせん……異端審問なんてものは慎重に慎重を重ねる必要があるからのう。手続きを含め、すべてはこれからじゃて」

 

 ***

 

 エンはひとまず僧院の東屋に腰掛けて他の僧らを追い払い、休憩を取った。

 ついでにコナを隣の尼院から呼び出している……エンの立場がどうだろうと、男の身であるからには、尼院に入るのは難しい。

「ハァ。嬢ちゃんは酷い目にあったばかりじゃからのう。男よりは婆さん連中に任せるほうが良かろうと思ったが、なかなか煩いのがおるようで大変じゃな」

「……師。ハイラハでの首尾は?」

 斜め横のイェドが言葉少なに本題を切り出す。野草茶を啜りながら、エンは顔を顰めた。

「領主を少々脅してそれから、まあ今回は仕方がないからな、聖都へも正式に使いを送ったわい」

 イェドが旅の供を始めてから、初めてのことだ。

「しばらく旅は中止して、ハイラハ審問の見張りをせねばなるまい。『正しさ』は時に極端過ぎるからのう、放っておくとあの街の半分くらいが壊滅しかねん。利権も動く、物騒になるぞ」

 エンの話は大袈裟に聞こえるが、古い時代の異端審問に照らせば、冗談では済まない部分がある。

 と、イェドが言葉に迷ったところで、庭の小道から明るい声が響いた。

「お師匠さん!」

「おお、嬢ちゃんか」

「お師匠さんは、あの後大丈夫でした?」

 心配げなコナの言葉に、エンはイェドに答えたのとは真反対の事を言う。

「おお全然問題なかったぞい。儂はこう見えて偉い坊主なんじゃ。あの後で正体を明かして、部屋も食事も改善させてやったわい。かかか」

「……」

 ととっと尼院から僧院の小道を来たコナは、今や豪奢な真紅の花嫁衣裳を脱ぎ捨てて、擦り切れてはいるが小ざっぱりした尼僧服を着ている。

 年頃の娘とは思えない墨色の衣だが、この場所にはこの服しかないのだから仕方ない。それに猿轡の跡で裂けていた唇が治り、雀斑(そばかす)の散る頬に血色が戻ったコナは、若竹のような新鮮さを取り戻して、かえって服に着られていた五日前よりもまあまあ愛らしく見えた。

 

 ――ただし唯一、鎖骨辺りまでの短さになってしまった髪だけは、エンの目に痛ましい。

 

「やっぱり、嬢ちゃんのその髪のことだけは早まったかのう?」

「そんな事ないです。こんなんいつか伸びるし、命のほうが大事やもん……お師匠さんもお弟子さんも、ほんまに有難うございました」

 コナは躊躇って唾を飲み込んでから、改めて頭を下げた。短い髪が肩を滑る。

 コナが髪を切ったのは城壁宿の、あの夜の事だ。意味は二重にあった。ひとつには、僧と若い娘が連れ立って逃げるのでは目立ち過ぎ、不信がられて呼び止められる可能性があったから。エンの僧服を借りて纏い、髪を下ろしたコナなら尼僧に見える……また他に彼女に用意できる服が無かったというのも大きい。そしてもうひとつの意味合いは、コナが考え付いた。古い伝統に従って膝に届く長さまで伸ばした豊かな髪は、もともとが小房に分けられ、幾つもの細く長い三つ編みにきつく編まれていた。それらを切り落として縛り、寄り合せた代物は思わぬ出来で、窓のからの脱出の際にコナ自身の心強い命綱となった。

(ま、髪を下ろしたとはいえ本当に出家した訳でなし、良しとするしかないか。これが当たりだったかもしれんしのう)

 エンは後でさらに思い至ったのだが、もしかすると『花嫁』の条件はいまどき珍しいあの髪だったのかもしれない。

 手相だの痣だのの持ち主を探して、祭ギリギリになって娘の少ない山奥に探しに行く馬鹿はおるまい。であれば、誰でもひと目で分かる、事前に持ち主にあたりがつく何かが『花嫁』の条件のはずだった。しかし、これはコナに言うには及ばない事である。

「あの、お礼にもならんけど、今日はここの人に頼んでお昼を作らせて貰たんです。だいたい準備は出来とるし、今すぐでも良ければ持って来ますけど」

 挨拶ついでに布巾で卓子を拭いて、コナが首を傾げる。

 その様子はまるきり素朴なそこらの村娘で、昨日まで寝込んでいたようにも、髪のことを気にしているようにも見えなかった。

 エンは逆にその事に感心する。

「うむ、では頼もうか。ああそうじゃ、嬢ちゃんの村にはちゃんと連絡をしたかのう? 皆心配しておるじゃろ」

「尼さんに頼んで言伝を頼んでます。うちの村の人間は薬売りしてどこへでも行くから、行商人の情報網が使えるん。ちゃんと知らせが行ったと思います」

「一体嬢ちゃんの故郷は……いや。一度行ってみたいもんじゃのう。ま、これからの事も昼飯を食いながら話すとしようか」

「そしたら、すぐ行ってきますね」

「……コナ。運ぶのを手伝おう」

「そんな! お昼言うても大したもんやないし、お弟子さんも座っといてください」

 コナがまた尼院に戻るのを見送りながら、エンはひょいと横を向いた。そしてさっきまで同じ方向を見ていたイェドを嫌そうに一瞥した。

「イェド。オマエ、その顔は止めい」

 止めろと無茶を言われても、生まれつきは仕方がない。並の役者は裸足で逃げ出す例の顔で振り向き、疑問を露わにしたイェドに、エンは首を振る。

「せめてその眼は止めい。どんな心境の変化か知らんが、今のお前がそこから垂れ流すムンムンな何かで辺りの空気が爛れそうじゃ。嬢ちゃんが気づく前に、早くそれを止めるんじゃ! お子様には毒じゃ!」

 エンが言いがかりを付けているイェドの『何か』とは、恐ろしく強力な艶というか、まあそんなものである。

 数日前までは影も形もなかったはずのものが、やけに絵になる愁いに顰められた眉、唇の溜息ともつかぬ吐息、少し痩せた精悍な頬から漏れ出している……と、エンは見た。

「ウウ、息が詰まる、苦しい~~っ」

 酷い言われ様に、毒舌に慣れたイェドも流石に傷ついたようだが、自覚はあるのか反論せずに視線を逸らす。

「儂は弟子を信じておる。信じておるが、よもや嬢ちゃんに無体はしておらんだろうな?」

「師」

 その問いを世の中では信じていないと呼ぶのだが、真顔の師匠に、イェドは深く嘆息して答えた。もちろん否だ。

 さて馬鹿話をしている間に運ばれたコナの村のうどんは、茹でたて麺の透き通った熱々に、山ほどの薬味と酸っぱ辛い出汁をかけて食べるのが流儀らしい。

 エンやイェドは、文化の差か味覚の差か地方で薦められる食べ物を飲み込むのにも苦労した経験が山とある。よってコナの感謝の気持ちと知りつつ、やや危ぶみつつドンブリ鉢に手を出したのだが。

「…………」

「…………」

 二人はちゅるちゅるとしばらく無言で麺を啜った。

「どんなです? 仰山作って、尼さんらの分は茹でるん代わってもらったとこやから、良かったらお代りも出来ますけど」

 あっという間に空になったドンブリ鉢がふたつ、ずずいと前に出た。お代りを取りに行ったコナの背中を再び見送りつつ、エンが咳払いをする。

「ときに、イェドよ」

「……何か」

「僧侶が手を出すのでは、相手の女が可哀想じゃが。儂は人生一度きり、なんなら還俗(げんぞく)もアリじゃと思うぞい?」

 

 

 還俗とは一度世を捨てた僧侶が俗に戻る、つまりは世俗の人間に戻って妻帯したり、肉を食ったりすることを言う。

 

 

 

 

 最後までおつきあい下さった方、あるいは最後だけ読んでみるという荒業を繰り出した方も(笑)誠にありがとうございました。

 ミステリ風味と銘打ちましたが、力量不足により、色々不備もあったことと思います。「あの伏線拾えてないぜ」とか「あそこが説明不足すぎる」などありましたら、お手数ですがご指摘いただければ、蛇足番外などでなんとかならないか、前向きに検討いたします。

 それでは!

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