表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
物言わぬ花嫁  作者: さい
25/35

25.舌戦

「お坊様に、乱暴はならん」

 エンの襟首を掴みかけたダリバを止めたのは、城壁兵の頭だった。年は似たようなものだろうか、名前も覚えていない男のきっぱりした口調に、苛立ちと意外を感じて、ダリバは顔を歪める。

「……俺に指図する気か」

「そうだ。ここの責任者は私だ。幾ら領主様の委任状があろうと、これ以上の好き勝手は止めて貰う」

 この男、領主の私兵の中では、そう身分は高くないはずだ。証拠に城門を開けさせた時も、責任者とは聞いて呆れる、自分の保身ばかり考えていた。それが突然強気の態度に出る理由が分からない。

 何をとち狂ったかは知らないが、男は苛つくダリバ達から吹きこぼれる暴力の気配にもめげず、老僧の前に立った。

 ダリバ達に顎でこき使われ、うんざりしていた他の兵らは、この状況に目を輝かせている。何やら老僧と話していた商人らも、大半がダリバらをに冷やかな視線を向けていた。

(まずい)

 身を置く世界での独特の嗅覚でダリバはそう思った。この場の主導権が、自分から離れつつある。それと同時に狂気めいた動きで、有無を言わさず目の前の年寄りを蹴り付けた。本能的な知恵だ。場所と時間が限定されている場合、結局は有無を言わさぬ暴力が、一番強い。

「コレコレ。良い年をして、駄々っ子のような事をしてはいかんのう。この人や商人さんらとも少し話したんじゃが……敬老の精神は大事じゃぞ?」

 だが骨と皮のように痩せた老人は、ダリバの足をまるで予想していたようにひょいと避けた。そしてそのまま恐れ気もなく、べらべらと喋り続ける。

「そのそも儂のことは、傷つけんほうが得じゃぞ。後々、聖都のお偉方にあることないこと言われとうなかったらな。儂はしっかり清貧を実践しておるから、見る目がない奴らには舐められることもたびたびじゃが。こう見えて儂は、あの悪名高き異端審問僧じゃぞ」

 突拍子もない台詞だった。

 間を置いて、酒場の幾人かが腹を抱えて嗤った。


 異端審問僧。その響きは、地方においては前時代の怪談めいている。

 彼らの仕事は名の通り、教祖の教えから見て「邪道」たるものを探し問いただす役割を持つ。今世の教皇じきじきに印を渡され、絶大な権限を与えられた五人足らずの特別な僧で、百年も前には、その名は地方においてどんな魔物よりも恐れられた。

 古来より政治と宗教は密接な関係があり、この国の戦が終わった頃、聖教は急速に地方に広まった。というより、地方領主たちの大半が……建前としては……王都に恭順すると同時に聖教へと改宗した。それ以外の神を信じる事を禁じられた訳ではないが、それが恭順の印のひとつと、ほとんど暗黙のうちに了解されていたと言える。その後の数十年の間、地方には多くの寺院が建立され、聖都あるいは王都の連絡網として機能するようになった。同時に、両都からの密偵めいた異端審問僧は活発に活動し、北と南に遙か隔たった場所ですら語りぐさになるほどの『審問』を行った。

 審問にて邪と判じられた人や場所には代わりに王都の軍が派遣され、蹂躙の限りを尽くした。あるいは地方領主自身が喜んで、あるいはしぶしぶと異端審問僧に協力した。殺生を行わない僧侶の代わりに。

 幸いこの街ハイラハは大きな『審問』の過去を持たないが、ふたつ隣の街は、それによって領主がすげかわっている。

 それから時代は変わり、王都の支配は安定してきたし、世には聖都の教えが広く浸透している。一時期は途絶えたかに見えた地域神や祭も、審問の狂乱後には再び復活し、それほど目くじらを立てられることはない。多くの人間にとって、異端審問という言葉は、遠い昔の悪夢のようなものだ。


 酒場は嘲笑する者、青ざめる者の二種類に分かれた。

 エンは機嫌を損ねたような顔で鼻を鳴らす。その子供っぽい仕草が、エンの名乗りとの落差をさらに強調する。

「ふーんだ、馬鹿にしおって。どうせ皆、異端審問僧なんぞ、昔話の異物とでも思っておるんじゃろ。しかしのう、異端審問の制度が廃止された事実はどこにもないぞい。聖都の奴らは、あれが恐ろしい災いを起こしたと認めたことすら、過去一度もない」

 言いながら、エンが懐から手に収まる形の何かを無造作に取り出した。小さな巾着から現れたそれに、周囲ははっと息を飲む。

「ほれ。これが証拠、有名じゃから聞いたことくらいはあるじゃろ。聖王の手で渡された、世界に五つきりの印籠じゃ。これがある限り、儂はここの領主どころか王族にすら平伏する義務を負わん。しかも今これを持っておるのは儂ひとり。喧嘩は売らんほうが賢いぞい」

 誰の目にも、そして高価な品に慣れた商人にはなおさら、エンの枯れ枝のような手が持つ印籠は素晴らしい物だった。七宝と象牙そして金で、正一位の聖紋が刻まれていた。この紋は騙れば死刑と相場が決まっている。

「……おまえら馬鹿か。こんな奴にポカンとしやがって。爺、いまどき異端審問僧なんて詐欺にしたって時代遅れ過ぎるんだよッ!」

 それはそれで説得力のあるダリバの否定に、エンはにやっと笑う。

 皺だらけの年寄りながら、毒を含んだその表情のほうが、遙かに役者が上だった。

「賭けてみるか? それなら聞くが、若造。一体何の用があって儂がこんな街まで、しかもわざわざ竜神祭の時期に来たと思っておるんじゃ? まあ他の用があって、結局前日入りになったのは不手際だったがのう」


長くなったので、半端ですが一旦ここで切ります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ