24.故郷
時折うとうとしながら、手の灯りだけは頑張って危なげなく支えている背中のコナに、イェドはなんとも言えないおかしみを覚えていた。耳元で時折漏れる、ぷすっという寝息が、微笑ましいようないじらしいような。無意識に唇の端が上がり、まるで赤ん坊みたいだと思う。イェドには幼子と近く接した経験など全くないのだが。
足下は悪く、ずり落ちる身体を何度も揺すり上げる。
相手は十分に育った娘で、重くないかといえばもちろん重いのだが、不思議に疲れを感じなかった。コナの身体は猫のように柔らかくて熱い。物心ついてから、これほどべったり人の身体に触れたことはない。僧侶としての罪悪感が頭を掠めなくはないが、それよりも、人の体温が欲望まみれでいやらしいものとは限らないのだと、イェドは真面目に驚いていた。
「……うちの村は」
幾度かの首を揺らした後に、唐突にコナが言い出した。目を覚まそうというつもりだろうが、半分寝ぼけたような甘い吐息が、イェドの耳元を擽る。
「麓の連中には、山猿の里やて馬鹿にされとるんです。移植は爺ちゃんの時代の話やのに、余所者や田舎ものや言うてえらい嫌われとるし。でもこっちの村の年寄りも口悪くてほんま困ったもんや……都の人からしたら、目く……ちゃうちゃう、どっこいの田舎やのに」
「……目糞鼻糞を笑う、か?」
途中で言い直されたコナの言葉をつい引き取ると、ぷっと笑われた。
「お弟子さんには似合わんなぁ」
「確かに都生まれだが、上等な生まれじゃない」
母親は高級娼婦で食うに困ったことはないが、世間の目にはある意味で最下層の出自とも言えた。
「ふうん。あ、上等はどうかは知らんけど、村の年寄り連中は、うちらはどこかの王家の密偵やったて真面目に言うんです」
「……密偵?」
「密偵というか、シノビというか。シノビって分かります? 弾き語りの軍記もんなんかで、たまに出てくるて聞いたんやけど……七化けのラアとか、声色使いのミンデとか。そんなん、下ではもうやってないんやろか?」
それどころか今や芝居小屋の人気演目だ。戦の時代は去っても、騎士が戦い大軍が押し寄せる物語は消えていない。しかし軍記は芝居での再現が難しいので、舞台がかかるのは大抵、若い騎士の恋愛ものや痛快なシノビものだ。
戦の裏で敵の城へ忍び込み、様々な扮装で周囲を煙に巻いて機密を奪う彼らの話は有名で、朴念仁のイェドですら粗筋を言えるほどだった。
「……コナは、シノビの末裔だったのか」
それなら彼女の度胸にも説明がつく気がするし、負けた王に仕えていたなら、戦の後で村人が別の土地に動かされたというのも不思議はない。
「いやいやいや。ありえへん、本気にせんとって下さい! ほんまに普通の村で、誰も壁走ったりとか出来んし」
コナは心底、村の年寄りの悪ふざけとでも思っているらしい。だがイェドは、子供が遊びで二階から降りる話を、これまでどこでも聞いたことがない。もちろん娼館と山村では事情が違うだろうが、エンとの旅で通った街や村でも、そんな事をする子供がいれば大騒ぎだったのではないかと思う。それにコナは、この年まで村付近から出たことのないにしては、世間の事情に通じている。村に学校があって知識を授けられるという話も、非常に珍しい。彼女の村の大人達の意識の高さは、山奥でただ生活するには過ぎたもので、偏見かもしれないがただの寒村のものとは思えなかった。
もちろんこれらが、コナの故郷がシノビの村という証拠にはならないのだが、いわくありげなのは間違いない。案外、そういう所を嫌って麓の村とやらも反発し、噂しているのかもしれなかった。
「シノビの修行とか聞いたこともないなぁ。まあ年寄りがいろいろ言うから、子供の頃は皆その気になってゴッコ遊びはようしますけど」
「うん?」
「屋根から降りてみたり、その辺りの薬草や何や好きなもんで兵糧丸薬作ってお腹壊したり。ああ、あと兄貴達は一回『くの一ごっこ』や言うて女装の練習までしとりました。今思うとアホやなぁ」
くすくす笑う声を心地良く聞きながら、イェドは苦笑する。
「……それは俺もしたな」
「ええっ。そしたら女装ごっこって、どこの男の子でもやる遊びなんやろか」
「いや、それはないんじゃないのか」
娼館で価値が高いものは何より、容色の良い女だ。あの仕事の意味も分からない子供の頃は、その価値観から知らず知らずのうちに影響を受け、無邪気に母親の美しいベールを被っては気を良くしていた。イェドは自らを棚に並べるようなかつての自分の行動に半ばぞっとし、もう半分では、コナの兄弟の似たような失態に心を慰められた。アホやなぁという辛らつだが無意識の肯定を含む言い方が、自分にも向けられているように感じる。
「お弟子さんも今はそんなん無理やろけど、昔は、そら可愛かったやろうねぇ」
「どうかな。他には子供の頃、どんな遊びをしていたか……」
ずっと思い出したくもない過去だったが、コナの村の楽しげな様子を聞くと、ふと気になった。
娼館育ちとはいえ、閉じこめられていた訳ではない。父親から養育費をせしめるため、客を取らされる事もなかったから、それなりに暇はあったはずだ。
「ちゃんばらごっこは止められたが……近くの子供と、石蹴りは良くしたな」
「石? なんで石を蹴るんです? 投げるんやなくて?」
困った、どうにも説明が難しい。




