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物言わぬ花嫁  作者: さい
23/35

23.脱出

 城壁宿の中は、ぎすぎすとした空気に包まれていた。

 客達は明らかに堅気でない男らに全員叩き起こされ、部屋を荒らされ、酒場へと追い立てられている。彼らを脅しつけたダリバ達もまた、未だ目当てを見つける事が出来ず、さらに仲間が二人どこかに消えて苛ついていた。この忙しい最中、油を売っている者が居ると思えば腹も立つ。そして領主の許可証を振りかざすやくざ者の下、城壁の兵らは、真夜中にぎゃあぎゃあ指図されることにいい加減嫌気が指していた。

 時刻は……夜中と夜明けの半ば、くらいだろうか。

 誰もが疲労と怒りで暗い目をしている中、酒場に追われたみすぼらしい黒衣の老僧だけは、周囲に呑まれる事なく平然とした顔で、右左の商人らに何事かを話し掛けている。

 

 ダリバは宿中の部屋をひっくりかえした後、すべての娼婦の顔を改めた。花嫁衣装を捨てたあの小娘が、中に混じっていないか調べるためだ。しかしそれでも『花嫁』は見つからない。そうするうちに中に花嫁の身体を拭かせた娼婦の顔を見つけ、

「おい。おまえが、あの娘に知恵でも付けたんじゃないだろうな。そうだ、びくびく震えてるだけだったあれが、急に逃げたのがそもそもおかしいんだ。匿ってるのはお前か……ッ!」

「何言ってるんだい。一言だって口利きゃしなかったろ」

 理屈も何もなく、娼婦に口答えされたという事実に、ダリバの爆発寸前の苛立ちに火が付いた。かっと殴りとばそうとしたところで、酒場の端から気の抜ける、ひゃひゃ、という笑い声が聞こえた。

「いま、笑った奴はどいつだ」

 集められた客らの視線が一斉に動き、その先に、きょとんとした年寄りと話しかけられていたらしい商人の焦った顔が現れる。

「おい、そこの爺。なにを喋ってやがる……!」

「年寄りに夜更かしは辛いとか、ま、そんな話じゃ」

 しゃあしゃあと言ってのけた老人に周りのほうが青くなったが、ダリバが怒鳴り声を言葉を発する前に、手下の**が首を傾げた。

「おい、坊主。おまえの連れはどうした?」

 横目にみただけであっても、僧服に身を包んだ、やけに目立つ容姿の若い男のことは皆の記憶に残っている。

 そういえばという顔の周囲に囲まれて、老僧エンは、片耳に手を当てた。

「……んあ、何じゃって? 最近めっきり耳が遠くてのう」

 

 ***

 

 真っ暗な道なき道を、イェドとコナはランプで照らして進んでいた。

 正確に言うなら、イェドがコナを背負い、背中の上のコナが腕を伸ばして火を前に翳している。灯りを付ければ見つかりやすいのは承知しているが、人は足元も見えない闇を長く進めるものではない。

 風はない。月は細い。

「あのう。お弟子さん重いやろし、そろそろうちも歩きます」

「……まだ幾らも進んでいない。今はこのほうが早い」

 背負い背負われた格好で囁くと、お互いの吐息が掛かってこそばゆく、酷く気まずい。だがしばらくの後、コナは我慢できずに、またイェドへ話しかけた。

「他の奴らも気づいてて、追ってくるんやろか。お師匠さんのほうは、大丈夫やろか」

「師なら心配ない」

 殺したって死なないのではないかと、密かにこれまでの道中で思っているのだが、そこまでは口にしなかっった。

 背と腹に触れる温度は熱いほどだ。それに安心したのか、またしばらく黙っていると、コナはうとうとし始めた。何度も首を揺らしては、力が抜けた腕を慌てて戻す娘に、イェドは苦笑する。

「……火を貸して眠っているといい。疲れているんだろう」

「だ、大丈夫。それにお弟子さん、両手塞がっとるもん」

 ひと一人を背負っているのだから、それを支える腕も居る。

「鍛えてあるから、片腕でも落とさない」

「あかん、です。うち寝相悪いし、絶対落ちます。それに疲れた言うても、助けて貰うただけで何もしとらんし」

「……いや」

 

 二人が一体どうやって城壁の外へ出たのか。

 コナの方は単純明快だ。彼女はイェド達の四階部屋の窓から再び、今度はしっかりと作った綱を伝って下へと降りた。言葉で言うのは簡単だが、その高さから垂直に落ちれば、大怪我どころの騒ぎではない。実際に窓の外を覗けば到底出来そうな事ではなく、当然エンもイェドも反対した。が、コナはきっぱりと言った。

「子供の頃は、そんなんでよう遊んだし。そりゃ目隠ししては無理やったけど、山で薬草採る時は、蔓で崖みたいなとこ降りたりもします。この方法が一番見つかる危険は少ないと思う」

「……だがのう、その細腕でムリじゃろ?」

「なんも細いことないし!」

 すったもんだの挙げ句、コナがまず窓から一人で降り。

 下で合図代わりに闇に響く悲鳴を上げた。それを聞いてから、今度はイェドが桶の水で濡らした花嫁衣装を四階から落とす。酒場にまで音が届いたのは上出来だったが、そうでなくてもエンが騒ぐつもりだった。それで五階の部屋は確かめられるはずだったし、中に誰も居ないとなれば、城門は開く。

 ……コナだけで逃げきれるなら、騒ぎなど起こさずそのまま行くのが正解だった。しかし脱水症状でよろめいている娘の足では明け方までに逃げられはしない。

 誰かが一緒に行く必要があったが、イェドの身体はどうやっても窓枠から出ず、エンではコナを背負えなかった。ならばという訳で、危ない賭けではあったが、三人は騒ぎを起こして城門を開けさせ、しかるのちにイェドとコナが外で再会した。示し合わせた通りに、コナは四階から一人で降り、真っ暗な中を壁伝いに……城門の反対側をしばらく行くまで動いたのだ。闇に距離感を惑わされ、見つかり易い場所に留まってしまう可能性も多いにあったのだが、彼女は失敗しなかった。その見かけに似合わぬ肝の太さには、感嘆する他ない。

 手順を示し合わせたところで、エンがこう言い出した。

 

「そうゆう事なら、儂は、ここで事がうまく運ぶか、見張っておるほうがええのう」

「でもそれ、危ないんとちゃいますか」

「危ないのは皆同じ、というかお嬢ちゃんが一番じゃろ。なに亀の甲より年の効、儂のことは心配せんでええわい」



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