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物言わぬ花嫁  作者: さい
22/35

22.反撃

「……はッ」

 いつの間にか地べたにへたり込んでいたコナの耳を打ったのは、短い、笑う息だった。

 軋む精神を隔てた聴覚が、のろのろと判別する……この声は、イェドだ。そして形ばかりは笑いのようでも、内実は全く違う。

 どぎつい侮蔑と嘲笑が篭められた、誰もがぎょっとするほど効果的な、たった一声。そこから生々しい怒りが伝わり、コナは唇を震わせた。何の根拠もないが、咄嗟に自分が非難されたように感じ、息苦しくなる。

(お弟子さん、どないしたん?)

 イェドはコナにとって、容姿は綺羅きらしいが、どちらかといえばもの静かで大人しい男だった。

 もちろん数時間前に会ったばかりの相手のことを、コナはどれだけも分かっていまい。せいぜい断言できることは、彼が僧衣を着ているという事くらいだ。だというのに、突然自分の認識を異なる姿を現したイェドに、何故かコナの心は傷つき不安に揺れる。敵に見つかってしまった危機的な状況だというのに、そんな瑣末時に脈が跳ねて乱れた。

「……それで探りを入れているなら、やり方が幼稚で透かした頭が悪い」

 コナの前から、イェドが一歩踏み出した。思わぬ凄みのある声は、憎しみのようなものさえザラついていた。

(あれ。お弟子さんはなんでこんな怒っとるんやろ。探りって……?)

 コナはその言葉の意味を、見えない苦痛にまみれて動かない頭で、のろのろと考えた。

「言ってくれるじゃねえか」

 若い僧侶の思わぬ反応に呑まれていた男二人は、我に返り、それを糊塗するようにことさらに嗤う。

「ケッ。その小娘はちゃんと金を出して買ったんだ。どう扱おうとこっちの自由、それに俺達には領主様のお墨付きがある……寝たかどうだか知らないが、変に情を掛けないほうがいいぜ」

(嘘や。誰も、お金や貰うてへん!)

 だが世間には、借金のかたに子を売る親が居ることは、コナも知っている。売られる先が貴族だろうが娼館だろうが、金を介せば取引は成り立ってしまい、誰にも覆せない事も。そしてイェドは、男達とコナのどちらの言い分が正しいか、判断できない。コナがこの状況から逃げたいがばかりに、嘘をついている可能性も充分にあるのだ。もしコナが家族に売られてここに居るとしたら、絶対に、エンとイェドにその事を告げたりはしないだろう。コナは青褪めて、暗闇に立つイェドの背中を見上げる。

「アダの言う通り。宿に証文もあるし、俺らも坊さんをお尋ね者にしたら寝覚めが悪いからさ。意地張らないで『花嫁』を渡しなよ」

「……」

 イェドは黙っている。にやにやする男達の嫌らしさに心底ぞっとして、苦痛にまみれて熱を持った胃が、吐き気を訴えた。

 えずいて滲んだ視界の端、油断を誘おうというのかまだべらべらと喋りながら、灯りを持っていないほうの男、アダがこちらへ近づいてくるのが見える。



 次の瞬間に起こった事は、正直、コナには何がなんだか良く分からなかった。



 腕を伸ばせば触れそうだったイェドの足がすっと沈み込み、次にくぐもった打撃音が響く。

 その時にはもう、灯りを透かした黒い僧衣は十歩も先にあって、近づいていた男は視界から消えていた。

「なっ、アダ!?」

 遅れて、灯りを持つ男が驚愕した声を上げる。

「……上手く落ちたな」

「おい、オマエッ。それ、杖じゃねえのかよ!」

 裏返りかけた叫び声が上がる。コナは全く状況を把握できなかったが、そこに暴力の気配だけは感じ取った。よく見れば、イェドの足元に崩れてぐんにゃりしている塊がある。それがアダだった。

 イェドが『落ちた』と言った意味が頭でうまく繋がらず、コナはあれが死体なら怖いと思う。同時に心のどこかで、自分を犯した男が死んだなら、ほっとすると思った。

(残酷やろか……?)

 ざっと礫(れき)を踏む音がして、残った男が踵を返して逃げてゆく。

 その情けない姿を目で追って数秒後に、城壁内で助けを呼ばれれば折角の計画が壊れてしまうと、はっとした。だがコナが身動きするよりも前、イェドも静かに走り出していた。ガランという音。逃げ出したリジムの足に絡まる何か……木の棒、ああ、杖を投げたのか……男が転んだ拍子に灯りが地に落ちて、周囲が一気に暗くなる。

「……騒ぐな。こちらも『寝覚めが悪い』事はしたくない」

「ぼ、坊主のくせに」

 ぼそぼそと押し殺したような声、続いて何か不穏な物音がする。吐き気を堪えて、コナは目を凝らした。

 そして不安にとらわれる。そういえば近くには先に倒れた男が居るはずだ。あれは死んでないのだろう、きっと。今気絶しているだけなら、イェドが向こうにいる間に気が付いてしまうかもしれない。大声を出すかもしれない。ここは宿とは城門を挟んだ反対方向だったが、騒ぎが不味いのは確かだ。

 遠く離れた地面の上で、今にも消えそうにちらちらする火が、怯えを煽る。

(うちも何かせんと……)

 何か腹の底から力が抜けて、どうにも動かない足を叱咤する。本当はもう動きたくない。すぐそこに居る男が死んでいたら気味が悪いし、生きて飛び起きたらと思うと、もっと怖い。


「……コナ?」


 やがて掛けられた声にはっとして顔を上げるまで、コナは時が経つのを忘れていた。

 膝をついたイェドが灯りを手に、自分をそっと覗き込んでいる。その紫の瞳がやけに優しく気遣わしげで、目元は相変わらず甘いようで。

(ああ、お弟子さん、もう怒ってないんやなぁ)

 心底の、安堵の溜息が出た。それからぼんやりと自分が何をしていたか思い出し、下を見てぎょっとする。

 四つん這いででも来たのか、腰が抜けたまま、コナはいつの間にかアダとかいう男の倒れた場所へやって来ていた。そして青白い顔でぐったりした男の口を、無意味にも一生懸命押さえていたようだ。直接触れるのも嫌だったのか、男の上着の裾を巻くってそれで口を塞いでいる。手足も抑えないでは、相手が目覚めた時にどうにもならないだろうに。

 我ながら意味が分からない行動だった。それだけに、下手をすれば自分がこの男の首でも絞めていたのではないかと思ってぞっとした。

「……俺が縛っておく」

 子供に言い聞かせるように言われ、慌ててコナが腕をのけると同時に、イェドは男の上着を剥いでその布で手早く猿轡をし、きつく手足を縛った。

 ぼんやりと自分も身に受けたその痛みを思い出していると、イェドは苦く囁く。

「見なくていい。見るな」

 それで今度は丁寧に地面に置かれたランプを見ていると、すべき事を終えたイェドが長い指でコナの頬を拭ってくれた。そこで初めてコナは、自分の頬が涙でべとべとに濡れていることに気づいた。やけに息が苦しいと思ったら、勝手に喉がしゃくりあげている。これではまるで赤ん坊だ。

「ヒッ……く、んん。お、お弟子さん、手ぇ汚れる、で?」

「いい子だ。よくやった」

 イェドはなんだか的外れな台詞を吐いて、次はぎこちなくコナの髪を撫で梳く。子供の頃以来の感触に思わぬ心地よさを感じて、コナは少し笑った。

(そんなに歳は違わんと思うけど、お子ちゃま扱いやなぁ……うちは迷惑しかかけとらんのに。そっちこそ、ええひとや)

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