02.花嫁
がたんと止まる寸前に轍に車輪を取られ、乗合馬車が横揺れする。
イェドはとっさに腕を伸ばした。が、支えは全く必要なかったらしい。
「まだそこまで耄碌しとらんぞい」
「……ご無礼を」
イェドの師エンの六十近くになる葦のように細い身体は、見かけによらず強靱だ。年甲斐もなく一番に降りる気か、早くも腰を浮かして立ち上がりかけている。
「どうだい、今日は暑かったから皆さん喉が渇いてるだろう。旅の後にゃ汁気たっぷり瓜の実、今日はもう店じまいだお安くしとくよ! 宿のお供におひとつどうだい」
停車に合せて現れた物売りが果物を掲げ、声を張り上げている。
「母ちゃん、買って!」
歓声を上げた子供が幌をめくって、差し込んだ強烈な西日が、薄紫の色素の薄い瞳に射した。イェドが眩しげに切れ長の目を細める様は、端にすっと座った長身痩躯と相まって、それだけで酷く絵になる。
周囲の視線が集まるのを見て、エンは機嫌を損ね、ぶつぶつ拗ねたことを言う。
「けっ、この若造が。これだから色男はすかん。俺ってカッコウイイ~~的な自覚があるじゃろオマエ絶対。でも儂があと二十年若ければ、オマエなんぞ添え物じゃ添え物。漬け物についとるゴマじゃ」
「……」
思わず吹き出しかけた他乗客はしかし、先に飛び降りた子供の叫びに意識を逸らす。
「早く来て来て、すごい、あそこに花嫁さんが!」
皆が浮き足だって馬車を降りてゆく。
華やかな花嫁姿というのは、老若男女問わず、人の興味を引くものらしい。料金は先払いだから、目的地ジェスバシャに着けば後は降りるだけで良かった。すぐに自分の他は無人になった馬車の中、小さな息を吐いて、イェドは少ない荷物を担ぐ。
当然、エンの姿はすでに消えている。
「おやおや、ありゃあ、よっぽどのお嬢様だねえ」
沈む夕日を背にした花嫁は、陽に染まるまでもなく、鮮やかな深紅の衣装を纏っていた。
王都ではとっくに廃れた古式ゆかしい花嫁だ。細かな刺繍の入った赤い裾が地面を引き摺り、袖は組み合わせて結んだ手の指先まで隠している。分厚い同色のベールが顔も髪も全て覆って、顎の先すら見えはしない。
「なんだか飼葉袋でも被っているようじゃの」
「……師」
エンは詰まらなさげに腐したが、嫁ぐ前の娘をみだりに他の男に見せないという昔の風習を守った衣だ。
花嫁は折りしも別の馬車から降り立った所のようで、二人の付き添いらしき男達に腕を取られ、もどかしいほどゆっくりと城壁宿へと歩んでいる。
「どちらにお嫁入りですか?」
「街の商家に嫁ぎますので」
周りに訪ねられ、脇の壮年の男が如才なく応える。
父親には見えないが、恐らくは親戚なのだろう。
行き当たった慶事に顔をほころばせる周囲の中、小柄なエンが鋭い目をして呟く。
「なんだか胡散臭いのお」
「……商家であれば、名を出しそうなものですが」
「あの馬車は貸し切りらしいが、女が他に一人もおらん。花嫁に一人も付き添いがないでは、さぞ不自由だろうに」
「ねぇ、どうしたのお姉ちゃん?」
喧噪の中、口を利かない花嫁に業を煮やして子供が問い掛けている。
「坊主、この娘は喉が不自由なんでな。別に無愛想で返事しねぇ訳じゃないんだ」
「それは可哀想にねえ」
「いい嫁ぎ先が見つかって本当にありがたいことですよ」
吹聴する隣の男に支えられ、物言わぬ花嫁は静かに、儚い足取りで歩いてゆく。
エンとイェドは瓜を買い、城壁に入った。