18.開門
深夜過ぎ一時頃。
ハイラハ西城門の吹き抜けの一階は踊る松明の火影に、男達が蠢いていた。
城門の扉とは内側へ開くものだ。そのほうが外の敵にとって破り辛い。
この城壁はまだ諸国が戦に明け暮れていた時代に作られただけあって、有事には心強い守りだが、ただの夜盗防ぎには過ぎた代物でもあった。二階に届くかという巨大な扉に掛かった錆びた閂(かんぬき)は重く、たった三人の城壁兵では外すに難儀をする。酒場か部屋から出てきた野次馬のひとりが手を貸し、やがてわらわらと集まった連中が、まるで祭りのような騒ぎで声を合わせ、作業を始めていた。
「くそっ、煩い……遅い!」
開門を待ちながら、ダリバはいらいらと毒づいていた。
二階から仕事にあぶれた娼婦が、何かの見せ物のように騒ぎを眺めている。
外に落ちた女は今にも死んでいるのではないか。あるいは、秘密裏にと言いつけられたものをこんな騒ぎにすれば、組織の連中が機嫌を損ねるのではないか。今の状況に、ダリバが心の休まる要素などどこにもない。
「……夜盗が入り込んできたら、責任はとって貰いますからね」
隣からへっぴり腰で言う今夜の警備の責任者に、ダリバは冷笑を浴びせかけた。
「そうならないよう、見張るのがあんたの仕事だろうが」
リジムが翳した松明から、ぱちぱちと火の粉が散る。
「外れたぞ」
ようよう閂が抜けほうと漏れる溜息、どこか満足げな酔客達に追ってリジムが指図をする。
「開けるのは片側だけで十分だ。そっち、左側を引いて……人が通れる程度に開けてくれればいい」
酒が入った者そうでない者、この夜中に何の得もないのに、喜んで従う男達をリジムは皮肉に見ている。
素晴らしい善意だ。ついでに言うなら、彼らは普通なら許されない城門を開けるという事が、単純に面白いのだろう。またさっきの悲鳴の主が外で潰れているのを見たいという、悪趣味な野次馬根性もあるに違いない。
「……師」
「まだ待て。イェド」
騒ぎの片隅で師が密かに囁く声に、彼は耳を傾ける。
「いいか、嬢ちゃんを気にかけてやるんじゃ。体調だけの事ではないぞ。落ち着いてシッカリしとるに見えても、そう心は普通の状態にはならん……わかるな。オマエが気をつけるんじゃ」
何人かが重い扉に腕を掛けて引っ張り、古びた蝶番がぎちぎちを音を立てた。
閂ほどは難儀をせず、一度動き始めれば案外すんなりと隙間を開けた扉の向こうから、ぬっと闇が迫っている。
「ダリバの旦那、開いたぜ」
「分かった、行く。おい、お前らはそこに居ろ。外には出るなっ!」
頭ごなしに恫喝したダリバに、鼻白むような気配が生まれる。ここまで手伝ったのにと不満が湧き出しそうになる気配に、リジムが笑う。
「城壁外は、危ないよ。野犬が出て噛まれても、知らないよ?」
「なら、むしろ大勢で行ったほうが安全だろう……儂は、僧侶じゃ。もし……誰かが死んだなら、供養をせねば」
不思議によく響く老僧がよろよろと扉へ進み、好奇心のためか信心のためか口々に同意を示す周囲は、幾らダリバが怒鳴ってももう止めようがない。
「ちっ。おい、お前は妙な動きをする奴がないか、見張ってろ!」
これ以上時間を無駄にするのも惜しく、ダリバは手下のひとりをそこへ立たせ、リジムから松明を受け取った。
踏み出した外は暗かった。今宵の月は糸のように細い。
松明の火はせいぜい十歩先を照らすだけだ。一瞬、闇の中でどちらへ進めばいいのかすらあやふやになる。
「どっちだ?」
「こっちだ」
先頭にはダリバが立ち、そしてその後には小さい灯りを片手におっかなびっくり野次馬がついてくる。
遮るもののない広大な天から壁際に圧し掛かるような夜の気配が、誰の心にも本能的な恐れを呼び起こす。邪魔な野次馬達もこうなればむしろ心強い。風はこそとも動かなかった。
扉から出てしばらくの間の地面は人通りに踏み固められていたが、壁沿い進めばすぐに石がごろごろするようになり、足場が悪くなる。
壁沿いに、左手に……ただ歩くだけが、夜中ではどれほど進んだか感覚がつかめない。
城壁宿の中では、扉から階段を上り、最上階の一番手前の部屋に花嫁を置いていた。ダリバはそれを脳裏に描いて進む。野次馬達は目当ての場所を知ることもなく、ひそひそと囁きながら、ただひたすら後をついてくる。
「アッ」
最初声を上げたのは誰だったか。松明を翳し、皆が視線を動かして見つけたのは、岩の陰にはみ出た人工色だった。
その周りに黒く染みた何かがあり、低い場所に赤い布の切れ端が覗いて、ぴくりとも動かない。
ああこれは死んだなとダリバは言い訳を考え始め、聖句を唱えはじめた僧侶に周り中が動揺を誘われながらも早足でそこへ近づき、
「……待ちなよ」
止めたのはリジムだった。何かがおかしい。
炎の照らされる花嫁の真紅はやけに黒っぽいが、刺繍模様は記憶の通りだから、これは単に光の加減だろう。だが人ひとりとしては、どうにも体積が少な過ぎるようだ。
お行儀よく固まった真紅から僅かにはみ出す色は、くすんだ青……青?
「糞ッ!!!」
そこにあるものの正体に気づき、ダリバが逆上して叫んできびすを返す。
目を凝らせば、べちゃりと岩の陰に叩きつけられ潰れたそれは、花嫁の頭をすっぽりと覆い胸元まで隠していた袋状のベールと詰め込まれた宿の寝具。
その塊から滲んで大地にたっぷりと染みた液体もまた、血ではない。
今は岩の色を濃くしているが、乾いてしまえばそれで終いの、ただの水だ。
濡れた布は重く、大地に潰れて、先ほどの音を立てたのだった。




