ep6: 軍服の青年
「宛先不明、ではない。ただ──宛先の人物が、もうこの世にいない。
魂の居場所すら、特定できない。……まったく、困ったものだな」
ハロルは腕を組み、古びた郵便受けの前で首を傾げていた。
手紙の送り主がかつて暮らしていたという場所に来てはみたものの、そこに“宛先の気配”はすでに無かった。
封筒は時を経て色あせ、宛名には丁寧な文字でこう記されている。
――佐伯フミ様
「とりあえず、近くを歩いてみるか」
そう呟いて背を向けると、すぐ後ろにひとりの若い男が立っていた。
まだ二十代の前半とおぼしき青年。
きちんとした軍服に身を包み、姿勢正しく立っている。
「ん? もしかして、君が手紙の送り主かい?」
ハロルが声をかけると、青年は帽子に手を添え、軽く頭を下げた。
「はい。佐伯と申します。この手紙は……妻に宛てたものです」
「なるほど。奥さんを、もう少し探してみようと思ってるんだけど……心当たりはある?」
青年はしばらく考え、坂の上を指さした。
「ええ。あの丘の開けた場所によく行っていました。野生の花が咲き乱れる、小さな広場のような場所でして……彼女は、そこが好きだったようです」
「じゃあ、そこに行ってみよう」
ハロルはひらりと鳥の姿に変わり、風を切って飛び立った。
すぐに丘の上へとたどり着く。
そこには住宅がびっしりと建ち並び、昔の面影は何ひとつ残されていなかった。
空を旋回しながらフミの気配を探ってみたが、やはり、そこにも何も感じられなかった。
下を見ると、道路に先ほどの軍服の青年──佐伯が立っていて、静かにハロルを見上げていた。
ハロルはその傍らに舞い降り、人の姿に戻った。
「ここにも、いないみたいだね。他に心当たりは?」
「そうですね……市場には毎日出かけていましたし、近くの神社へお参りにも行っていたと聞いています。あと、隣町の反物屋にも、たまに足を運んでいたとか……」
佐伯はそこまで言って、ふと視線を落とす。
「……今思えば、私は彼女のことを、あまり知らなかったのかもしれません」
その言葉に、ハロルは小さくうなずいた。
ふたりは思いつく場所をすべて巡ってみた。
だが、どこにもフミの気配は感じられなかった。
「フミさんのお墓は?」
「……申し訳ありません。私には、どこにあるのか分からないのです」
「そっか。うーん……じゃあ、ふたりの“最初のデートの場所”とか、ないかな?」
思いついたようにハロルが訊ねると、佐伯は少し考えてから答えた。
「……それを“デート”と呼んでいいのか分かりませんが、ひとつだけ、思い出のある場所があります。
海の見える公園です。ふたりで少し話をしただけなのですが……」
「なるほど。じゃあ、そこまで飛んでいこうか」
ハロルは鳥の姿になり、風を切って空を駆けた。
佐伯もまた、静かにそのあとを追うように歩き出す。
*
海の見える公園は、穏やかな海風に包まれていた。
かつての記憶を抱くその場所には、大きな石碑がひとつ、静かに建っている。
その石碑には、びっしりと人名が刻まれていた。
佐伯が近づき、その中のひとつに目を止める。
——『佐伯フミ』
それは、この町で過去に三度あったという空襲の犠牲者名簿だった。
佐伯は、その名の前に立ち尽くし、静かに目を閉じた。
そして、ひと筋、ふた筋と涙が頬を伝って落ちていった。
「……フミ、きみは、今安らかにしてるのかい?」
ハロルは佐伯の隣に立ち、手にしていた封筒をそっと開いた。
声に出して、手紙の文面を読み始める。
それは、戦火が町を焼き尽くしたまさにその時、
届けられることのないまま、宛先を失った手紙だった。
読み上げるハロルの声が、やさしく風に乗る。
言葉は空気に混ざり、海の光にゆらぎ、
それはやがて、佐伯の姿と共に空へ、静かに昇っていった。
「ありがとう……これで、ようやく……」
澄んだ声が、海風の中で、聞こえた気がした。




