ep5: 妖精への手紙
小さな少女が、一通の手紙を胸に抱えて庭へ出た。
芝生が絨毯のように広がるその庭の奥に、大きな樫の木が根を張っている。
さらにその向こうには、白い洋館のような建物が静かにたたずんでいた。
少女は赤いクリクリの美しい髪に、赤いワンピースを着ている。瞳は翡翠色だ。木の根元にしゃがみこむと、封筒をそっと置いた。
宛名には、大人の筆跡でこう書かれている——「Dear Fairy—ようせいさんへ」。
ひと月ほど前、母に妖精の絵本を読んでもらってから、少女は信じている。
この庭には、きっと妖精がいる。
だって、自分が置いた手紙は、毎朝きまって消えているのだから。
「ようせいさん、おはよう」
今日はじめて、声に出して話しかけてみた。
返事はない。でも、それでいい。
風がやさしく頬をなでていった。
家へ戻ろうとしたとき、不意に強い風が吹き抜けた。
思わず振り返ると、たったいま置いたばかりの手紙が、もう跡形もなく消えていた。
家に駆け込んだ少女は、大声で母親を呼んだ。
「ねえ、マミー!」
彼女が声をあげると、部屋の奥から若い女性が顔を出した。
「リナさま、奥さまはもうお出かけになりましたよ」
「おしごと?」
「はい。今日は朝早くに、お仕事で出かけられたんですよ」
「……そっかぁ」
「さ、朝ごはんにしましょうね」
*
テーブルに座って、湯気のたつパンケーキを前にしたリナは、フォークを持ったまま顔を上げた。
「マミー、いつかえってくるの?」
「今回は少し遠くまで行かれるそうです。たぶん……1週間くらいかな」
「いっしゅうかん……ながいね」
「うん、ちょっと長いですね。でも、毎日お電話はしてくださいますよ」
「……ふーん」
そう言って、リナはパンケーキに小さくフォークを入れた。
一口食べて、もぐもぐと噛みながら、小さな声でぽつり。
「ようせいさんに、おしえてあげなきゃ……」
リナは黙ってパンケーキを食べ続けていた。
⸻
「ふむ。大量の宛先不明事件の犯人は、彼女だったのか」
大きな樫の木の幹に腰かけながら、金髪の男がぽつりと言った。
彼の手元には、宛先不明の手紙の束。
すべて「ようせいさんへ」と書かれた封筒で、三十通をゆうに超えている。
中には、葉の上に座る小さな人の絵もあった。緑のとんがり帽子に、緑の服。
男の隣に、まさにその絵の通りの小さな姿がちょこんと座っていた。
「きみが“ようせいさん”ってことでいいのかな?」
金髪の男、ハロルが問いかける。
「うん。最近、彼女が思い描いた“ようせいさん”の姿になったんだ」
妖精はにこりと笑った。
「この木の精霊……ということかい?」
「たぶんね。はっきり意識を持ったのは、つい最近のことだけど」
「これは、君宛ての手紙だよ」
ハロルは、束ねられた封筒の山をそっと妖精に手渡した。
妖精がそれに触れた瞬間、手紙たちはふわりと光の粒になって空へ舞い上がり、跡形もなく消えていった。
「へぇ。開けなくても、全部読めるんだね」
ハロルが感心すると、妖精はうなずいた。
「彼女は毎日ここに来て、お話を聞かせてくれるんだ」
「さっきは、“おはよう”だけだったけど?」
「声を聞いたのは、今日がはじめてだよ」
「……なるほど。心で話しかけていたのか。君には、それが届いていたんだね」
「そうなのかもね」
風が、ふたりのあいだを静かにすり抜けていった。
あたたかく、やさしく。




