ep56: 配達人の休暇
ハロルは自宅のベッドで目を覚ました。
隣では、ヴィオレッタが静かに寝息を立てている。
休暇を言い渡されたのだから、もう一度眠ってしまえばいい。
そう思って目を閉じてみたが、体に染みついた配達のリズムが、それを許さなかった。
彼女を起こさぬよう、そっとベッドを抜け出す。
数段の階段を下り、キッチンでコーヒーを淹れると、お気に入りの窓辺のカウチに腰を下ろした。
古びたノートを膝に置き、配達で起こった出来事を書き留めようとする。
だが今回は、あまりに多くのことがありすぎて、ペンはなかなか動かなかった。
「簡単なことから書こう」――そう思っても、ペンは何も紡ぎださなかった。
「……おはよう。ハロルいるの?」
寝ぼけた声のヴィオレッタの声がキッチンから聞こえた。
――そんなに時間が経ったのか?
そう思った。
彼女は朝に弱いはずで、いつもならハロルよりずっと遅く起きてくる。
ーどれくらい、ノートとにらめっこしていたのだろう?
真っ白のノートに目を落とし、結局ため息とともに閉じる。
「おはよう」
ハロルは返事をしながら、カウチから立ち上がり、ヴィオレッタのいるキッチンへと向かった。
*
「今日はどうする?」ハロルが尋ねると、
「お店に戻るわ。ほんとはここに居たいけど……ナツに怒られちゃうもの」
ヴィオレッタは笑いながら答えた。
「じゃあ、俺も一緒に行くよ。しばらく休めって言われたんだ」
「まぁ、ほんとに!」
彼女の顔がぱっと明るくなる。
しばらく二人で朝食の準備をしていると、ハロルがぽつりと切り出した。
「俺たち、婚約者だったんだろ?」
ヴィオレッタは手を止め、顔を上げた。
「そうよ?」
「今もそれは有効?」
「そんなのダメよ」
「なんで?」
「だって記憶がないんでしょ?……もしかして戻ったの?」
「いや、断片的には戻ったけど、婚約のことは覚えてない」
「じゃあ、最初からやり直しね」
ヴィオレッタは少女のように微笑んだ。
「最初ってなんだよ?」
「プロポーズからよ!」
「……そういうことか。わかった」
ふたりは顔を見合わせ、思わず笑い合った。
その後、並んで朝食をとり、束の間の時間をゆっくりと味わう。
やがて羽を広げ、島を飛び立つ。
目指すのは、ヴィオレッタの店がある南の島の東の外れ。
朝の太陽はすでに高く昇り、雲は眩しいほどに白く輝いていた。
真っ白な鳥と、青い光沢を帯びた黒い鳥が並び、澄みきった空を羽ばたいていった。




