ep55: 空中庭園
空に浮かぶ島へ、ハロルはニールと共に戻ってきた。
郵便局の扉をくぐると、真っ先に駆け寄ってきたのは局長のジェロだった。
「あぁ、ハロル……無事でよかった! ニール、済まなかったな」
ジェロは、深く安堵の息を吐きながら二人の帰還を喜んだ。
ハロルはジェロに、配達先で目にした絨毯の絵がきっかけで、失われた自分の記憶が断片的によみがえったことを打ち明けた。
後日、ニールと共にその場所を訪ねたが、そこにあったはずの集落は、すでに災害によって跡形もなく消失していたという。
ジェロは黙って聞いていた。
深刻な面持ちでうなずきながら、その報告を胸に受け止めていた。
「ハロル、お前はしばらく配達業務から外す。今は幸い、気流も穏やかで手は足りておる」
ジェロの言葉に、ハロルは即座に口を開いた。
「俺は、大丈夫だ」
けれど、その声の奥に残るかすかな揺らぎを、老人の目は見逃さなかった。
ジェロは静かに首を振り、決定を覆さなかった。
こうしてハロルは、しばしの休養を言い渡された。
ハロルはふと思い出したように口を開いた。
「そうだ……古書店の老人が、お前の養父だと言っていた。『顔を出すように』と言っていたぞ」
視線をニールに向ける。
「なんだよ、あのクソジジイ。なんでそんな場所に居やがるんだ」
ニールが毒づく。
ジェロが口を挟んだ。
「清虚真君は、しばらく招かれて天界に居られた。だが、ニール……お前が追放されたのを機に、下界へ下られ、今はご自身の出身地に住まわれておる」ジェロが説明した。
「ふんっ、なんだそれ……」
ニールは吐き捨てるように言い、視線を逸らした。
*
休養を言い渡されたハロルは、島をあてもなく歩いていた。
いまの気持ちのままでは、とても一人きりの家に戻る気にはなれなかった。
澄みきった空を渡る風の中に、まだ整理しきれない記憶の断片がときおり浮かんでは、胸をざわつかせる。
歩を進めても、落ち着かない心だけがいつまでもついてくるようだった。
この空の島には、不思議な場所がひとつあった。
島の南側に、時おりもう一つの小島が現れるのだ。
ハロルはここに来てから一度も足を運んだことがなかったが、ふらりと歩いているうちに、その島が姿を見せた。
興味に導かれるまま、鳥の姿へと変わり、羽ばたいて向かう。
そこでは老夫婦に見える二人が、庭の白いテーブルセットでお茶を楽しんでいた。
「ハロルじゃないか」
「まぁ、いらっしゃい」
声をかけられ、ハロルは驚く。着地すると金髪の青年の姿に戻り、二人の顔を交互に見た。
「俺のことを知っているのか?」
「この島のみんなのことを知ってるわよ」女性がやさしく答える。
「まぁ、座りなさい。お茶を淹れよう」男性は席を立ち、ポットを手にした。
やがて三人は、湯気の立つカップを前に並んで腰を下ろした。
気づけばハロルは、自分の胸の内を語っていた。
天界から落ち、羽を失い、罪を背負った自分。その重さを今さらながら痛感していること。
老夫婦は静かに耳を傾け、やがて男性がゆっくりと口を開いた。
「誰しも、間違いながら成長するものだよ。今は正解に見えることも、いつかは間違いに思えることだって少なくない」
*
二人に別れを告げ、空を羽ばたいたハロルは、ふと気づいた。
心を重く沈めていたなにかが、ほんの少しだけ軽くなっていることに。
自宅に戻り、玄関の扉を開くと
そこに待っていたのは黒髪のヴィオレッタだった。
「おかえり、ハロル」
彼女が柔らかく笑みを浮かべる。
「ヴィオレッタ……仕事はどうした?」
「あなたが無事に戻ったって聞いたから、ナツにお店を任せて来ちゃったの」
そう言って、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「お腹、すいてる?」
「あぁ」
ハロルはカバンを椅子に放り投げると、キッチンに立つヴィオレッタへ歩み寄った。
腰にそっと腕を回し、やわらかく抱き寄せる。
そして、静かに唇を重ねた。




