ep54: 夢と現
ハロルは、濁流にのまれる人々に手を伸ばしていた。
一度に五、六人を抱え上げては、高台へと運び、また川へと戻る。
何度も、何度も。
大雨が降っていたわけではない。空は晴れ渡ってさえいた。
上流で何かが起きたのだ――しかし、村人たちに知る由はなかった。
無防備なまま流されていく人々。
救えたのは、わずか数十名にすぎなかった。
*
ハロルは、目を覚ました。
湿った風と、木の香りが鼻をつく。見慣れぬ木の天井が広がっていた。
「おう、気が付いたか」
声のほうを向くと、赤い髪の青年――ニールが椅子に腰かけていた。
「なんだ、お前か、ニール」
「なんだその態度は~?せっかく探しに来て助けてやったってのに」
「助ける?」
「空の島じゃ大騒ぎだったぜ。お前が帰ってこないってな。俺が捜索に駆り出されたんだよ」
「あぁ……空を飛んでるときに、気を失ったのか」ハロルは自答するように呟いた。
「なんで気を失うんだよ?なんかあったか?」
「昔の記憶に触れた気がする……」
「天界のか?」
「いや、たぶん俺が懲罰を受けた原因だ」
「何をしたんだ?」
「十人以上の人間の命を助けた」
「そりゃあ追放されて当然だな」
「あぁ」
「だから記憶も吹っ飛ぶほどの激烈な雷を食らったってわけか。なるほどな」
ニールは腕を組み、納得したように言った。
「……もしかしたら、一人、蘇生させたかもしれん」
「おいおい、お前、どうかしてるだろ?」
「俺もそう思う」
「昨日配達に行った集落の絨毯に、その時の映像が刻まれていたんだ」
「昨日じゃないよ、三日前な」
「三日?そんなに気を失ってたのか?」
「あぁ」
「……その絨毯、俺も見てみたいな」ニールが言う。
「見に行くか?」ハロルが提案した。
「おう。だが、飛べるのか?」
「あぁ、問題ない」
*
2人は姿を変えた。
ひとりは真っ白な大きな鳥に、もうひとりは真紅の体に、黄色と青の翼を広げた鳥に――。
羽音を響かせながら並んで飛ぶ。
灰色の岩肌を覗かせる険しい山脈の上空でハロルは何度か旋回したが、目当ての集落を見つけられなかった。
「このあたりのはずだったんだが……混乱したか、俺?」
「いや、見ろ。あそこにあるのは、家の土台の残骸じゃないか?」
ふたりは高度を下げ、谷に降り立った。
羽ばたく音が静まると同時に、ハロルは金髪の青年に、ニールは赤い髪の青年にそれぞれ姿を変える。
目の前に広がるのは、湿り気を帯びた土砂の山だった。
崩れ落ちた岩と折れた木々が絡み合い、まだ生々しい匂いを放っている。
どこからか、かすかな水音がちょろちょろと響いていた。
三日前まで確かに人々の暮らしが息づいていた集落は、跡形もなく消えていた。
「……下界に干渉するな、というのは、こういうことか」
ハロルがぽつりとつぶやく。
「そういうことだな」
ニールの声も低く重なった。
十数年前、ハロルが救った命は、その後に芽吹いた新たな命もろとも、すべて大地に呑み込まれてしまった。
谷を覆うのは、湿った土砂と折れた木々。
それはまるで――すべてをあるべき姿へ還すかのように。
鼻を刺す土の匂いの中、風だけが何事もなかったように谷を吹き抜けていく。
ふたりは抗うことを許さぬ自然の圧倒的な力を前に、ただ沈黙するしかなかった。




