ep52: 古書店の奥
ハロルは、薄曇りの空を静かに滑空していた。
眼下には乾いた黄土色の大地が広がり、ところどころに淡い緑が散らばっている。遠くには霞んだ山並みが連なり、黄土色の丘陵が幾重にも折り重なっていた。
都市の中心部には、真っすぐに伸びる道路と四角い建物群が整然と並んでいる。乾いた空気の中で白っぽく光を放つその街並みに、赤や青の屋根が点々と混じり、その隙間を縫うように大河がゆるやかに流れていた。
これまで各地を巡り、配達や集荷に訪れてきたハロルだったが、この地に来るのは初めてのことだった。
手紙の送信者の気配を追いながら、彼は都市の外れにある小さな路地へと降りていった。人通りの少ない狭い隘路の奥に、古びた木造の建物がひっそりと佇んでいる。色褪せた看板に「古書店」とだけ記されていた。
店の戸は半ば開いており、押し開けると鈍い音を立てて動いた。中はひっそりとしていて、紙と埃の匂いが濃く漂っている。
しばらく静寂の中に立っていると、奥から老人がひとり姿を現した。
「あぁ、ハロルじゃないか」
意外そうに目を細め、懐かしむような声でそう言った。
ハロルは眉をひそめた。ここへ集荷に来るのは初めてのはずだ。
「どこかで会ったか?」
問いかけると、老人は静かに頷いた。
「あぁ、昔、天界で世話になった」
その言葉に、ハロルの表情がわずかに曇った。
「そうか。……悪いが、天界での記憶はない」
老人はじっとハロルを見つめ、目の奥で何かを探るようにした。
そして、唐突に声を強める。
「おまえさん、羽はどうした!?」
「焼き切れて、無くなった」
淡々とした口調に、老人の顔が悲痛に歪む。
「……やはりか。お前さんなら、いつかやらかすんじゃないかと、ずっと危惧しておったんじゃ」
ハロルは、何も答えず老人を見つめた。
羽を失ったことに、不自由を感じたことはない。
天界のことなど、今となってはどうでもいい――それが、彼の本心だった。
「親父さんに謝って、治してもらえんのか?あれほど美しい金色の羽根じゃったのに……」
老人は心底残念そうに言った。
「親父?俺の?」ハロルは眉を寄せる。
「……まったく何も覚えておらんのじゃの。まぁ、それはそれでええのかもしれん」
老人は、ふっと視線を落とし、小さく息を吐いた。
「今は、楽しくやっているぞ」ハロルが言う。
「そうか、そうか」老人は深く、何度もうなずいた。
――俺に罰を与えたのが、俺の親父?
胸の奥に、小さな引っかかりが残る。
ハロルはそれを振り払うように、老人から手紙を受け取った。
店を出ようとしたとき、背後から声が飛んだ。
「あんた……ニールの行方を知らんか? 赤い髪をした男なんじゃが」
ハロルは足を止め、振り返る。
「ニールは俺の同僚だ。あいつの知り合いか?」
老人の目が一瞬揺れ、苦く笑った。
「ふむ……ずいぶん昔に天界を追放になった、わしのバカ息子じゃ」
「……あいつの親父さんなのか?」
「まぁ、血のつながりはない。ただの育ての親よ」老人は自嘲気味に言い添えた。
短い沈黙のあと、老人はふと顔を上げた。
「……今度、顔を出すように伝えてくれんか?」
「わかった」ハロルは短く答え、静かに店を後にした。
ハロルは引き戸を開け、薄暗い路地の光の中へと歩み出た。
背後で古書店の戸が鈍く鳴り、静けさに溶けていく。
胸の奥に、過去から残された重い荷を抱えているような感覚があった。
それを振り払うように羽ばたいたが、いくら空を翔けても消えることのない影のように、その感覚はつきまとっていた。




