ep48: 花屋の店先
朝の通りはまだ静かだった。
薄い陽光がビルの谷間を抜け、歩道に長い影を落とす。
チトとマリエルは、地上の人気の少ない一角へ降下し、人の姿に変わった。
すぐ近くには大きなバスロータリーと電車の駅。
ラッシュ時間前のまばらな人々の足音や、遠くから響くアナウンスが、まだ眠たげな街にかすかに混じっている。
二人が立つのは、その喧騒から一本入った都会の路地裏だった。
「ここが最初の配達先だよ」
商店街へ向かって歩き出したチトは、肩の鞄から封筒を取り出し、木製の看板が揺れる花屋を指さした。
シャッターは半分閉じられ、ガラス越しに色とりどりの花が並んでいるのが見える。
開店前の店内では、エプロン姿の女性が一人、カウンターに並んだ花から枯れた葉や傷んだ花びらを丁寧に取り除き、茎にハサミを入れてはバケツに活けていく。水揚げのための作業は、見ているだけでもかなりの重労働に思えたが、彼女は黙々と手を動かしていた。
チトはシャッターにぶつからないように、軽く頭を下げ、ドアをくぐる。マリエルもその後に続き、店のチャイムが小さく鳴った。
「おはようございます。郵便局です。お手紙の配達です」
チトが声をかけると、女性は一瞬、不思議そうな顔で二人を見つめた。
「あっ、はい」
手を拭きながらカウンターから出てくる。
チトが封筒を差し出すと、女性は小さく息をのみ、それを受け取った。
「……ありがとうございます」
封筒を見つめる目に、ほんのかすかな寂しさが宿る。彼女は、それが誰からの手紙なのか察したのだろう。受け取った封筒を両手で胸に抱くと、ゆるやかに微笑んだ。
二人を見送るため、女性は店先まで出てきた。
「今日で、この店を開いてちょうど一年なんです…ずっと後押しをしてくれていた叔母がいて…先月亡くなってしまったんです」
チトが歩き出そうとしたとき、女性が声を上げた。
「あのっ、私が叔母に手紙を出したい場合は、どうしたらいいですか?」
マリエルは二人の間で視線を行き来させる。
チトは振り返り、短く答えた。
「手紙を書いて、窓辺に置いておいてください」
それだけ告げると、チトは再び歩き出した。
マリエルはまだ花屋の店主に何か声をかけたそうにしていたが、唇を閉じ、静かにその背を追った。
しばらく歩いて、マリエルがぽつりと尋ねる。
「ねぇ、チト。配達先の人とは会話してもいいんだよね」
「うん」
「じゃあ、なんであんなに不愛想にしたの?」
チトは少しだけ歩みを緩め、前を見たまま答えた。
「あんまり喋ると、かわいそうになっちゃったり、何とかしてあげたいって思っちゃうからさ」
マリエルは短く息をつき、「そっか…難しいね」とつぶやく。
「うん…難しい」
その返事は、風に溶けて小さくなった。
二人は路地裏まで来ると、同時にタッと地面を蹴った。
次の瞬間、羽ばたく音が早朝の空気を切り裂き、二つの小さな影が青空へと舞い上がっていった。
*
花屋の店内に戻った女性は、ゆっくりと封を切った。
中の便箋は、柔らかなクリーム色に小さな花模様があしらわれている。
―――
百合ちゃんへ
お花屋さん1周年おめでとうございます。
本当は大きな花束を贈りたかったのだけれど、
手紙だけで許して頂戴ね!
これからも、大変なことがあるでしょうけど、
お花を受け取る人たちの笑顔を糧に頑張ってください。
空から見守っています。
菫おばちゃんより
―――
文字を追ううちに、百合の目尻が少しずつ熱を帯びる。
封筒をそっと胸に抱き、店先の花々へ視線を向けた。
朝の光を受けて咲く花たちが、柔らかな光を受けてほのかに輝いていた。




