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雲を渡る手紙  作者: tomsugar


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ep39: 東の島の宿屋

ハロルは、雲ひとつない空を舞っていた。

眼下には、エメラルドの海に散らばる諸島がきらめき、彼は東へと進路を取る。

目指すは、東の端に浮かぶ小さな島だった。


チトとナツが働く宿屋に、今度立ち寄ると約束していた。

ニールからも「飯がうまい」と勧められた宿だ。


巨木のうろをくり抜いて造られた宿屋に降り立つと、ハロルは重い木の扉を押し開けた。


中には、大きな切りっぱなしの木のカウンターを備えたバーがある。

カウンターの奥には、艶やかな黒髪を背に流し、神秘的なブルーグレーの瞳を持つ女性が立っていた。


彼女はほんの一瞬、驚いたように目を見開き、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。

「いらっしゃい。どうぞ、カウンターに座って」


ハロルは、理由のわからない懐かしさを胸の奥に感じながら、カウンターに腰を下ろす。


「どこかで会ったことがある?」

「まあ、どこかで聞いたことのある口説き文句かしら?」


「いや、そうじゃない」

ハロルはそれきり口を閉ざし、彼女の横顔をじっと見つめた。


しばらくの沈黙の後、彼女がふと視線を戻す。

「ご注文は、なにがいいかしら?」


「まかせるよ」

短く答えると、二人の間に沈黙が落ちた。


だが、それは居心地の悪いものではない。

木漏れ日と潮の香りが、静かにふたりを包み込んでいた。


           *


「ただいまー!!!」

勢いよく木の扉が開き、大荷物を抱えたチトとナツが店に飛び込んできた。


「ハロル!!!来てたの!!」

二人はハロルの横まで駆け寄り、キャッキャと飛び跳ねる。


「お前ら、少し大きくなったか?」

ハロルは目を細めて問いかけた。


「ほんと? 俺ら、いつ配達の仕事に戻れるのかな」チトが首をかしげると、

「天気が穏やかになったら、呼び戻されるだろう」ハロルは穏やかに答えた。


「まぁ、ここが気に入らないの?」

カウンターの奥から、柔らかな声が飛んできた。


「そういう意味じゃないよ!ヴィオレッタ!」

チトは慌てて手を振り、必死に取り繕う。


「ふふ、わかってるわ。二人ともおかえりなさい。仕入れの品を運んでくれる?」

「わかったー!」

チトとナツは元気よく返事をして、奥の納戸へ消えていった。


「チトもナツも、毎日あなたの話を聞かせてくれたわ」

「そうか」

ハロルは静かに頷き、彼女の瞳を見つめた。


           *


ヴィオレッタは、色鮮やかな皿を次々とカウンターに並べていった。


大ぶりのグラスには、黄金色のパッションフルーツジュース。果肉がぷつぷつと光を受けて透け、南国の香りがふわりと立ちのぼる。

皿の中央には、炭火でこんがりと焼き上げられたマグロのグリル。切り身の上には搾りたてのライムが滴り、芳ばしい香りに柑橘の清涼感が重なった。

その隣には、千切りにした青パパイヤに唐辛子と香草を和えたスパイシーサラダ。爽やかな辛味が鼻を抜ける。

そして、軽く焦げ目のついたフラットブレッドが籠に盛られ、香ばしい小麦の匂いが漂っていた。


最後の大きな皿を手に、ヴィオレッタはカウンターの奥からゆっくりと回り込み、ハロルの右側へ立つ。

料理をそっと目の前に置いたとき、陽光を受けて彼女の左手首のゴールドのブレスレットがきらりと光った。


ハロルの視線が、無意識にその輝きを追っていた。


「どうぞ、召し上がれ」

ヴィオレッタは穏やかに微笑んだ。


初めて来たはずのこの店で、自分の好物ばかりが並んでいる。

ハロルは、皿の一つひとつをしばらく見つめ、それからゆっくりと視線を上げ、もう一度ヴィオレッタを見た。

彼女のブルーグレーの瞳が、何かを知っているように静かに揺れていた。


           *


店には次々と客が流れ込み、あっという間に席はほぼ埋まった。

ヴィオレッタは次々と料理を仕上げ、カウンター越しに笑顔を見せる。

チトとナツは、軽やかな足取りでテーブルを回り、飲み物や料理を運んでいく。


ハロルはその様子を黙って眺めながら、目の前の料理をゆっくりと味わった。

熱気と笑い声、香辛料の香りが混ざる店内は、旅の疲れを忘れさせるほど心地よい。


やがて、客入りが一息ついたころ、ハロルはナツに声をかけた。

「客室まで案内してくれるか?」

「うん、わかった。ちょっと待ってね」

ナツは手にしていたトレイを奥へ片付けると、すぐに戻ってきた。


ハロルは、他の客と談笑しているヴィオレッタを一度振り返り、それから静かに席を立った。

ナツの後ろに続き、二人は階段を上って二階の客室へと向かった。


           *


翌朝、ハロルが目を覚まし、1階のバーに降りていくと、ヴィオレッタの姿はなかった。

代わりにチトとナツが、ほうきを手にせっせと床を掃いている。


「ふたりとも、おはよう。そろそろ出る」

「えーー! もう行っちゃうの?!」

「あぁ、こき使われているんだ」

苦笑を浮かべてそう言うと、ハロルは軽く手を振って店を出た。


――彼女は、朝が弱かったな。


なぜか、ふとそう思った。

自分でも理由のわからない記憶の欠片が、潮風の中でそっと胸に残った。

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