ep33: 雀の任地
気象が荒れやすい季節になると、郵便局の人員配置は大きく変わる。
危険度の高い地域を飛べるのは、ごく限られた者たちだけだ。
軽い配達しか任されていなかった雀の兄妹チトとナツは、〈小翼〉――彼らにとっては少し不名誉な等級に配属された。
この時期、配達任務からは完全に外されることになったのだ。
*
「えー!なんでだよー!」
初日、チトは不満たらたらで新しい勤務地にやって来た。
だが今は、木目の美しいカウンターが目を引くバーと、併設された宿の掃除をこなし、仕入れにも同行するほどに、すっかり上機嫌で働いている。
慣れぬ陸の仕事は、思った以上に面白かったのだ。
この店の主は、漆黒の髪と神秘的なブルーグレーの瞳が印象的な女性、ヴィオレッタ。
彼女は柔らかな笑みで、二人を迎え入れた。
チトは一度この店を訪れたことがあった。
不満顔でやって来たが、ヴィオレッタの姿を見るなり、ぱっと表情を変える。
「あぁ!ヴィオレッタのお店か!じゃあ、嫌じゃないや!」
その後ろで、ナツは小さく「こんにちは」とつぶやいた。
「こんにちは。よく来たわね。さあ、部屋に案内するわ。ついてきて」
二人にはそれぞれ個室が与えられ、仕事内容の説明を受けた。
寝室の掃除、ベッドシーツやタオルの交換、洗濯、手すりのランタンの点検、植物の手入れ――。
庭や室内の掃除は郵便局でもやっていたが、シーツ替えや洗濯は初めてで、二人は少し手こずった。
それでもヴィオレッタは終始おだやかで、丁寧に作業を教えてくれた。
仕事初日の終わりは、一緒に洗ったシーツを並んで干すことだった。
風に揺れる白布を見上げながら、二人はヴィオレッタからおやつの木の実をもらい、嬉しそうに外へ遊びに出ていった。
バルコニーからその背中を見送っていると、店の扉が開き、レオンが入ってきた。
「やぁ、ヴィオレッタ」
「いらっしゃい、レオン。何か食べていく?」
「いや、他も回らんとならんのでな。今度にするわ」
「そう、忙しそうね」
レオンは、下界に暮らす元天界人たちを束ねる人物だ。
下界のあちこちに点在するバーや居酒屋、定食屋付きの宿屋は、すべてレオンがまとめ上げ、彼の選んだ店主によって営まれている。
“元”天界人には、罪を犯して天界を放逐された者もいれば、自ら望んで降りてきた者もいる。
ただし、人間との直接的な干渉は固く禁じられているため、彼らの店は人間にはただの森や林にしか見えない。
ヴィオレッタは十数年前、自ら望んで下界に降り、そのままこの店を任されてきた。
穏やかな笑みの奥には、長い年月で培われた落ち着きがある。
「新人たちの仕事ぶりはどうだ?」
レオンが短く問いかける。
「とても一生懸命にやってくれたわ。ほかの仕事も、きっとすぐに覚えてくれるんじゃないかしら」
ヴィオレッタはカウンター越しに微笑みを返した。
「ふむ……。ま、なにかあったら俺に連絡してくれ」
レオンは軽く顎を引き、扉の方へ向かう。
「じゃ、そろそろ行くわ」
足早に店を出ていく背中を見送りながら、ヴィオレッタはふと、窓の外に目をやった。
木漏れ日の下で、チトとナツが笑い声を上げながら飛び交っていくのが見えた。
*
チトとナツがヴィオレッタの店に来てから、三か月ほどが過ぎた。
チトは今や仕入れを任され、ナツは宿屋の清掃を一手に引き受けるまでになっていた。
昼下がり、ヴィオレッタが厨房で料理の仕込みをしていると、外からチトの声がした。
「ねぇ、ハロル!店に寄って行ってよ!」
「今から急ぎの配達なんだ。また今度寄らせてもらうよ」
「そっか、約束だよ!頑張ってね~」
その短いやりとりに、ヴィオレッタの手が一瞬だけ止まった。
「……ハロル」
小さくその名をつぶやき、包丁を握る指先にわずかな力がこもる。
視線は遠く宙をさまよい、何かを思い出すように静かに揺れていた。
やがて、深く息をひとつ吐くと、再びまな板に向き直り、トントンと一定のリズムで食材を刻み始めた。




