ep2: 崖に立つ少年
波が断崖に打ちつけては、白く砕ける。
海の色は、濃い紺と黒がまざりあったような深い色で、ところどころに白い泡が漂っている。
その崖の上に、ひとりの小さな少年が立っていた。
下界との干渉は、配達任務以外では固く禁じられている。
──それでも、ハロルは滑空してきた。高高度から風をまとって、まっすぐ崖へと。
大きな白い翼を広げ、空気の壁をつくり、少年の目の前に旋風を巻き起こす。
突風にあおられて、少年は驚いて尻もちをついた。
顔を上げると、崖との間に、金髪の青年が立っていた。
その背に、たしかに──
大きな白い翼が広がっていた。
けれど、それは一瞬のこと。
羽は風にほどけ、ただの人の背中へと消えていった。
「えっ、おじさん、どこから来たの……?」
金髪の青年は、無言で立ち尽くしている。
しばらくして、ぽつりと口を開いた。
「俺はハロルだ。……おじさんではない」
珍しく、少しだけ感情の乗った声だった。
見知らぬ男の不機嫌そうな顔に怯えたのか、あるいは張り詰めていた気持ちがほどけたのか。
少年は、わんわんと泣き出した。
「今日、ママに怒られて……“出ていけ”って言われたんだ」
しゃくり上げながら、少年はぽつぽつと話し始めた。
今日起きたこと。どうしてここに来たのか。
そして最後に、静かに言った。
「……僕、いないほうがいいんだ」
ハロルは何も言わず、肩からかけた白いカバンを開けた。
中から、ひとつの白い封筒を取り出すと、少年にそっと手渡す。
⸻
だいきへ
うまれてきてくれてありがとう。
ママは、だいきにあえて、まいにち しあわせです。
よくイライラしておこって、ごめんね。
いつも、あとで、すごく はんせい しています。
これからも、だいきのせいちょうを、たのしみににしています。
あいしてるよ。
ママより
⸻
少年が読み終えると、手紙はふわりと光の粒になって、空へと消えていった。
そのとき、遠くから誰かの声が響いた。
「だいきー!」
崖の向こうから、女性が少年を呼ぶ声。
少年はぱっと振り返る。
「ママ!」
そう叫ぶと、小さな足で駆け出していった。
*
彼の背中を見送りハロルは、地を蹴った。
くるりと鳥の姿に変わり、大空へ羽ばたいていく。
青空を旋回しながら、ハロルは誰にともなくつぶやいた。
「俺は規約違反なんかしてない。たまたま着陸のときに、風が巻き起こっただけだからね」
崖の上では米粒のように小さくなった少年が女性の胸に飛び込んでいた。
ぎゅっと抱きしめられたその瞬間、小さな体がふっと力を抜き、泣き声が空にほどけていった。
風がそれを包むように吹き抜けていく。
少年は──帰る場所を、たしかに見つけたように見えた。




