ep16: 困り果てた領主
とある港町の伯爵領の主、ジョセフ・レイヴンショアは、頭を抱えていた。
城は海を望む断崖に建ち、潮風にさらされた石壁は銀灰色にくすみ、港の向こうには大小の船影が見える。
大型船は沖合に停泊し、積み荷や乗客は小型のフェリーや貨物船が行き来して港に運び込む。
岸辺では網を繕う漁師や、観光客を乗せた遊覧船の案内人が忙しなく声を張り上げ、カモメの鳴き声が混ざり合っていた。
だが、そんな活気ある港町の象徴である城は、いまや保守費用ばかりかかる負の遺産となっていた。
観光施設として整備するか、宿泊業に転用するか──さまざまな案を試みたものの、どうしても手の付けられない場所がある。
東の塔だ。
修繕工事を始めようとすると、必ず事故や不可解な出来事が起き、作業は中断される。
人夫たちは口を揃えて「十歳くらいの少女の幽霊を見た」と怯え、誰も近寄ろうとしない。
最初に噂を聞いたとき、ジョセフはむしろ観光の売りになると考えた。
幽霊話は話題性がある──しかし現実は、幽霊騒ぎのせいで塔の階段ひとつ直せず、頂の風見鶏も壊れたまま動かない状態が続いていた。
業を煮やしたジョセフは、東の塔に関する古い雇用記録を調べた。
そこには、かつて気象観測の専門家・トマスとその家族が塔に住み、港を行き交う貿易船に天候の情報を提供していたと記されている。
やがてトマスの名は消え、代わりに「セイラ」という人物が観測者として名を連ねていた。
この領で女性の気象観測者は彼女ひとり──塔の幽霊は、やはりこのセイラなのだろうか、とジョセフは推測した。
*
ジョセフは港町の小高い丘に建つ、中世の石造りの教会へやって来た。牧師のリチャードは旧知であった。
リチャードは、庭の手入れをしていたがジョセフの車が丘の下を走っているのを見かけて、教会の中へ戻ってきていた。
「あぁ、リチャード牧師、居たんだねよかった」
「ジョセフ、久しぶりだね」
「今日は、折り入って相談があるんだ」
ジョセフは、東の塔のセイラという少女の幽霊について語り始めた。
ジョセフの話を黙って聞き入っていた、リチャード牧師は、おもむろに口を開いた。
「不思議な手紙の配達人の話は聞いたことがあるかい?」
「いや、たぶんないな……」ジョセフは記憶をたどったが、心当たりはなかった。
「セイラについては、先代からも聞いたことがある。ローマから有名な神父を呼び、悪魔祓いを行ったそうだ」
「悪魔?セイラは悪魔じゃないだろう」
「私もそう思ったが、工事を妨げて怪我人を出すのは悪魔の仕業だと言い張って、そういう儀式をしたらしい」
「……結局、いまだに彼女がいるということは、失敗したってことだろうな」
「もしかしたら、悪魔だけは退治できたのかもしれないよ」リチャード牧師は、いたずらっぽくウィンクした。
「それに、その配達人はね、美しい羽根を持つ鳥の姿で飛来して、手紙を届けてくれるそうだよ」
ジョセフは眉をひそめた。
「鳥なら、港にもたくさんいるだろう?」
「いや、そういう鳥じゃない。人の言葉を話し、手紙を託されて世界を飛び回る。時には、美しい人の姿を取ることもあるそうだ」
ジョセフは苦笑しながらも、牧師の提案を頭の片隅に残した。
教会を出て丘を下りる途中、港の上空を白い鳥がゆったりと旋回しているのが見えた。
そのまま帰宅すると──きれいに刈り込まれた庭園の中央に、金髪の青年が立っていた。
*
その青年に近づくと、じっとこちらを見据えて口を開いた。
「君がレイヴンショア卿かい?」
「あぁ、そうだが……」と答えると、青年はわずかに口元を緩めた。
「手紙の配達だ」
差し出されたのは、封筒も切手もない、年季の入った古い紙をただ折りたたんだだけの手紙。
わずかに、けば立った手触りのその紙は、現代のどんな紙とも違っていた。
―――
領主さまへ
風見鶏が壊れていて困っています。
修理をお願いします。
セイラ
―――
読み終えた瞬間、はっとして顔を上げた。
……誰もいなかった。つい今までそこに立っていたはずの金髪の青年の姿は、跡形もなく消えていた。
芝生の上には、風に揺れる一枚の白い羽が落ちているだけだった。ジョセフはそれをそっと拾い上げ、しばらく見つめた。
──潮風に乗って、港の方からカモメの声が聞こえてくる。
羽をポケットにしまうと、彼はゆっくりと館へと歩き出した。




