ep13: 雪原の嵐
視界は、白一色に塗りつぶされていた。
空と地面の境は消え、氷と雪の粒が、あらゆる方向から容赦なく叩きつけてくる。
耳を裂く風の唸りが、防寒着の内側まで入り込み、肌を針で刺すような痛みに変える。
到底、生物が生き延びられるとは思えない環境の中を、ハロルは進んでいた。頭から足先までオレンジの防寒着を着込み、目元は厚いゴーグルで覆っている。この世界で唯一の色彩は、そのオレンジだけだった。
彼は配達先の、ほのかな気配だけを頼りに、雪に埋もれる足を前へ運び続けた。
空を飛べれば数時間で辿り着けただろう。だが、この荒れ狂う空では不可能だった。
手紙の宛名には
──【緊急】エマ・カールソン。
おそらく生死に関わる内容だと、ハロルは直感した。
三日三晩の行軍の末、雪原の向こうに唐突に人工物が現れた。
灰色の建物に、大きなパラボラアンテナと太陽光パネルが突き出ている。
扉をノックするも返事はない。
周囲を回れば、窓は厚い氷に覆われ、生き物の気配もなかった。
もう一度ドアノブを回すが、硬く閉ざされている。
道中、確かに感じていた気配は、今は完全に途絶えていた。
「……間に合わなかったか」
階段に腰を下ろし、ハロルは空を仰ぐ。
いつの間にかブリザードは収まり、青が氷を溶かすように広がっていた。防寒着のファスナーを下げ、ゴーグルを外す。鳥が青空を横切った。
「あら、こんなところにお客さん?」
声に振り返ると、雪明かりを受けて栗色の髪がきらめく女性が雪原に立っていた。頬にに広がるシミが、この土地での過酷な年月を物語っている。
「君がエマさんかな?」
「そうよ。ここの研究員をしてるの。数週間前から電子機器が故障して困っていたのよ。それで来てくれたの?」
「手紙の配達だ」──ハロルは【緊急】の封筒を差し出した。
封筒が彼女の手に触れた瞬間、白い光が花びらのようにほどけ、冷たい空気の中に吸い込まれていった。
エマは小さく息を呑み、目尻からひとすじの涙が零れ落ちる。
「……私、死んじゃったのね?」
それは質問というより、自分に言い聞かせるようなつぶやきだった。
「ああ……間に合わなかったようだ。すまない」
ハロルは視線を逸らさず、静かに答えた。
「ううん、来てくれてありがとう」エマは目をつぶった。
二人の間を、風がやさしく通り抜ける。遠くで氷が裂けるような音がした。
やがてエマは、微かに口元を緩めた。
「……ねえ、私からの手紙も配達してくれる?」
「もちろん」ハロルは短く、それでいて温かく答えた。
エマから手紙を受け取った瞬間、ハロルの姿は白い鳥へと変わり、青空へ羽ばたいた。
「よければ案内するけど」
「ほんと? 私、飛べるの?」
「うん。ここまで上がっておいで」
淡い丸い光となったエマは、白い鳥と並び、
晴れ渡った大空へと舞い上がった。
眼下には、どこまでも続く真っ白な雪原と、
小さくなった灰色の建物が広がっている。
「まぁ、素敵……こうやって眺めると、自然の前に人は無力よね…」
感嘆の息を漏らすエマに、ハロルは答えた。
「まったくだ。だが、人は抗う。それが美しい」
白い鳥と淡い光は、不思議な軌跡を描きながら、
やがて透き通った空に溶けていく一筋の光となった。




