ep10: 飛べない空の下で
目が覚めてから数日後、ハロルは初めて郵便局の外に出た。
目の前には広大な農村地帯が広がり、そのずっと向こうには、緑豊かな森が見えていた。
若い局員が、ハロルに毎日の雑務について説明していた。
「まず、涼しいうちに草むしりをして、その後、掃き掃除をします。綺麗になったら水やりをして……そうすると、ちょうど始業時間になるので、業務の雑用をお手伝いいただくことになります」
説明していたのは、新人局員の青年だった。
ハロルは黙って耳を傾けていた。
「その……まだ体調がすぐれないようなら、無理しないでくださいね」
そう言い添えた青年に、ハロルはふと目を向けた。
「君、名前は?」
「あ、僕はエリオットです」
「そうか」
名前を聞いたわりに、ハロルの返事はそっけなかった。
その日、ハロルとエリオットは一緒に庭仕事を片づけたあと、局内の談話室で休憩していた。
エリオットが、手にしたポットから紅茶を注ぎながら言った。
「ハロルさん、仕事が早いから、お茶休憩取れましたね!」
ハロルは無言でカップを取り上げ、紅茶をひとくち飲んだ。
しばらくして、ぽつりと言う。
「君、お茶を淹れるのがうまいね」
「えっ! ほんとですか? ありがとうございます!」
エリオットの頬がぱっと紅く染まった。
褒められたことが、よほど嬉しかったのだ。
*
数ヶ月が過ぎたころ、局長のジェロがハロルに声をかけた。
「裏庭に来い、ハロル」
郵便局の裏庭は、ジェロの居住スペースに接していて、ふだん他の局員が立ち入ることはない場所だった。
「そろそろ飛べるじゃろ。飛んでみろ、ハロル」
ジェロの言葉に、ハロルはキョトンとした顔をした。
「俺、まだ羽が治ってないけど」
「人の姿ではなく、鳥になって飛ぶんじゃよ」
そう言うと、ジェロはポンと地を蹴り、宙に浮いたかと思うと、大きなフクロウの姿に変わった。
ハロルは目を丸くして、その姿を凝視する。
「ほれ! やってみぃ」
フクロウのジェロが、宙を舞いながら促す。
ハロルは何度かジャンプしては転ぶのを繰り返した末、ようやく真っ白な美しい鳥に変わることができた。
「ほぉー、予想通り美しい姿じゃのぉー」
ジェロはすっと人の姿に戻りながら、空を飛ぶハロルを見上げてうなずいた。
「……どうやって戻るんだ?」
「ほれ、こうやって」
何度か変身の見本を見せられるうちに、ハロルも鳥と人の姿を自在に切り替えられるようになった。
「明日から、配達見習いじゃ」
そう言い残して、ジェロは家の中へ戻っていった。
*
翌朝、言われた通り局のエントランスに立っていると、赤い髪の男が声をかけてきた。
「君が見習いさんかい?」
「……あぁ、そうだ」
ハロルはそっけなく答えた。
その日、ハロルは赤毛の男──ニールのあとをついて空を飛んだだけで、初日の配達見習いは終了した。
*
見習い7日目の帰り道、赤と黄色と青の羽を羽ばたかせながら、ニールがぽつりと聞いた。
「で、君は何をやらかしてここに落とされたんだい?」
ハロルはちらとニールを見やり、短く答えた。
「覚えてないんだ。羽があったことは覚えてるんだが……」
「そうか。俺はね、下界への干渉を咎められて落とされたんだ」
「いったい、何をしたんだ?」
ニールは肩をすくめた。
「気まぐれで下界をのぞいていたら、暴漢に襲われてる女性がいてね。つい、暴漢のほうに雷を落としてやった」
ハロルはまばたきを一度だけして、静かに言う。
「……悪いことをしたようには思えないが」
「そう思うだろ? でも、“下界には無闇に関わってはならない”のが、天界の決まりなんだ。
俺はそれを破った」
ニールはニヤリと笑い、ハロルに視線を向ける。
「でもまあ、ここの仕事は悪くない。合法的に下界と関われるだろ?」
ハロルはその言葉に返事をしなかった。
ただ、青空を滑空しながら、空に浮かぶ島へと、もう一つ羽ばたいた。




