第1章 宵闇の逢瀬④‐1
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森を東に進んでいくと小さな村が見えてくる。そこに鬼たちが住んでいる。建ち並ぶ瓦屋根の家屋の中から、煌夜の家もとい自分の家を探す。自分の家を探すのにそう時間はかからない。
「おーい、煌夜、いるか?」
家まで赴いて門の前で叫ぶ。煌夜からの返事はないが自分の家なのだから勝手に入っても問題はないだろうと門を潜ろうとしたとき、周りから殺気を感じた。このまま中に入れば誰かしら襲ってくるに違いない。宵闇はただ自分の家に入りたいだけ、無駄な争いをする気はない。
「誰だよ!」
怒鳴り声とともに勢いよく扉が開けられる。微かにバキッという音が聞こえたのは気のせいであると切に願う。壊したら直すのはお前だって分かっているだろ、と突っ込みたい衝動に駆られるが、グッと堪えた。今そんなことをすれば、周りの目が痛い。殺気と視線が宵闇に突き刺さって来る。
「……え? マジでお前、誰?」
扉に手を置いたまま、煌夜はきょとんとした顔をする。そんな煌夜の様子を見て、ようやく宵闇は気づいた。此処は小さな村、そして住人は皆鬼だ、長い時を生きる彼らは皆、顔見知り。知り合いのはずの村の住人たちがこんなにも警戒心をあらわにしているのか、その理由に気づいてしまえば、ほんの少し前の自分の迂闊な行動を呪いたくなる。
宵闇は神の身体を不本意ながら手に入れて、その姿のまま此処まで来てしまった。だから、村の住人たちは彼が宵闇だと気がつかなかったのだ。見知らぬ者が堂々と村に来て、堂々と家に侵入しようとしている……そう、彼らの目には映ってしまった。それ故の殺気、それ故の警戒心。つい先程迂闊な行動は碌なことを招かないと察したばかりなのに、またしてもやってしまった。精々突っ込みを入れなかった自分を褒めてやりたい。あそこで突っ込んでいたら、大惨事だ。後々の同族との交友関係に響くことは間違いない。
「えっと、何て言うか……その、俺、宵闇なんだ」
「はあ? 嘘つくならもっとマシな嘘つけ」
しどろもどろになりながら告げた宵闇に、煌夜はきっぱりと突き返した。まともに話を聞いてくれる様子ではない。
この場を切り抜ける手立てなど全く考えていなかった。思いに耽ろうにも背後が気になって仕方がない。宵闇の後ろで村の住人たちが陰から彼を睨みつけているのだ。鬼ではない者が村に紛れ込んできたと怒っているに違いない。背後の彼らよりは目の前の煌夜の方が、幾分か話が通じそうだと自分を奮い立たせて、煌夜を見据える。
「じゃあ、お前には俺が人間に見えるのか?」
「え、そりゃ人間に決まって……あれ? 人間……じゃない……? ってか、それ何? オレたちと同じ……なようで、何か……違う」
煌夜はうろたえる。じっくりと目の前の宵闇と名乗った青年を見ると、青年は自分たちと同じ鬼の気配と、何かもっと別な強い気を纏っている。少なくともこれは間違いなく人間ではない。
「……マジで宵闇なのか……?」
「嗚呼、そうだ」
疑わしげな目をする煌夜に宵闇は断言した。どうにかして煌夜に信じてもらわないことには先に進めない。本当は二度とこんな台詞言いたくはないのだが、背に腹は代えられない。煌夜ならばこの台詞を忘れていないはずだ。
「……はあ、ならこう言えばお前は信じるか。『俺は従者なんていらない。どうしても俺を主としたいなら、跪いて俺が求める忠誠を誓え』……これは俺とお前しか知らない言葉だと思うが」
その言葉に煌夜は目を見開く。そして、一回だけ深く息をして言葉を紡いだ。
「それを言われたら、オレはこう答えないといけないな……。『主に対して跪くのに抵抗があるわけじゃないが、跪いた時点でお前の求める忠誠じゃなくなる。跪くのとお前が求める忠誠を誓うの、一体どっちを優先させればいい?』……この台詞懐かしいな。本当に、お前、宵闇……なんだな」
煌夜が宵闇を主としようとしたときの問答、これは煌夜と宵闇しか知らないもの。他の誰もが知るはずのない。煌夜の脳裏には未だに宵闇が死にゆく姿がこびりついて離れない。もう二度と会えないものだと思っていた。どうして生きている。どうして姿形が変わっている。聞きたいことは沢山あった。だが、何よりも真っ先に言いたい言葉がある。
「帰ってきてくれて、良かった。おかえり、宵闇」
出迎えの挨拶。それは煌夜が目の前の彼を宵闇として本当に認めたということ。そこでようやく周りから殺気が消えた。同族の彼らは煌夜がどんな男であるのかをよく理解している。その彼が認めたのなら、例え姿形が変わろうとも彼は宵闇なのだろうと信じたのだ。
煌夜は扉から手を離してそっと横に移動して、宵闇に道を開ける。
「嗚呼、ただいま」
ようやく誤解が解けた宵闇はホッと息をつき、門をくぐった。そして煌夜の前を通り、靴を脱ぐ。下駄を履いていたはずなのに何故と一瞬思ったが、そういえば身体が変わると同時に衣服も全て変わってしまったのだと思い出す。ただ自分の家に入るだけのために物凄く時間がかかった気がする。畳の上に腰を下ろすと、彼の前に煌夜が胡坐をかいて座った。煌夜の目はもう疑念を抱いてはいない。