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光が遺した傷痕

 セーラの胸の奥で、光がゆっくりと芽吹くように膨らみ、やがて弾ける。


(……セーラ……聞こえる……?)


 ミシェルの囁きは、遠い記憶の底から響くようであった。

 悲しみと優しさが混じっていて、セーラは思わず胸元に触れた。


(わたし……ずっと、何もできなかった……ごめんね)


「ミシェル……」


 声にした瞬間、セーラの意識は深い闇へと引き込まれた。



 闇の奥に光が生まれ、景色が形を成す。


 そこは白い蛍光灯が揺れる、無菌の研究室であった。

 机には紙もメモもなく、ただ灰色の端末が整然と並ぶ。


 あの部屋。


 ミシェルは、セーラの目を通して過去を再生する。


 ライナスの冷たい横顔。

 無表情に近い、しかし口元だけが人型に似せた微笑みをつくる。


「ミシェル。この暗号化階層はお前しか解読できない」


 淡々とした声。

 だが、あの頃のミシェルには、唯一の居場所に聞こえた。


「いいか、設計者の手が触れたコードは、お前の神経パターンと同調する。つまりこれは、お前のための鍵だ。……解くのはお前だけでいい」


 光が線となり、ミシェルの意識の中でコードの構造が解きほぐされていく。


(……わたし、思い出せる……)


 その整理された解析能力が、セーラの中に合流し、ひとつの熱となる。


 胸の奥で弾けた光が、世界の外へとこぼれた。



「……行こう、ミシェル」


 セーラとミシェルは二重の意識を保ったまま、中央穴の最奥へと向かう。

 融合した存在でありながら、意思はそれぞれにあり、共鳴している。


 中央の穴へ伸びる光は、やがて一本の柱となり、渦の根源へ届いた。



 地上中央の穴。

 闇の底でうねる巨大な影・アナンタシェータ。

 姿は蛇にも見えるし、海そのものにも見える。

 触れたものの記憶を奪い、形を削り、存在を平等に無へ還す忘却の神。


 その長大な身体の表面を、セーラの光が染めていった。


 青白い光が鱗の一枚一枚を溶かす。

 白銀の炎が世界の底を照らす。

 黄金の粒子が、まるで天界の羽根のように降り注ぐ。


 息を呑んで見上げるタナトスは、広い肩で拳を握りしめた。

 アグラトを失った怒りは消えていない。

 だが、古の化け物アナンタシェータが消えゆく光景は、終わりではなく痛みの記憶を刻む儀式のようであった。


 光は穏やかで、美しく、そして…残酷でもあった。


 色彩が一時的に反転する。

 渦が崩れ落ち、地面に広がる反響が遠い雷鳴のように地上へ伝わる。


 世界はようやく、息を吸った。


「……終わった、のか?」

 スルトは両膝に手をつき、大きく息を吐く。


「アナンタの情報波が消失した。中央の穴は……ただの深い地形に戻ったな」

 空中からルシフェルが降り立った。


 ハデスは沈黙したまま、地形の変化と魔力の残滓を調べている。


 マグナはヒュプノスの亡骸にそっと触れ、目を閉じる。

「……お休みください、ヒュプノス様……。どうか……安らかでありますように……」



 パトラは震える手を握りしめ、倒れた悪魔達を見回す。

 スルトと視線が合う。

 パトラはやはりマリアが心配で、セーラ達と行動を共にすることを考えていた。


「ごめん……お兄ちゃん」


 スルトは短く息を吐き、怒りを抑えたように低く呟いた。

「行け。……だが次は、敵同士だぞ」


 パトラは後ろ髪を引かれる思いで、セーラ達の方へ駆けていった。



 一方、アスタロトは瓦礫に寄りかかったまま、頭を抱えて笑っていた。

 もう戦力ではない。

 壊れた魔神。

 だがその笑いの奥に、ごく微かな理性の光が残っているのを、まだ誰も知らなかった。



 戦地を後にしたセーラとマリア、そしてパトラは、山林に囲まれた野営地へ辿り着いた。

 そこには人間、獣人、エルフ、機械兵、わずかな革命軍の残党が集まっていた。


「よく……あの地獄を戻ってこれたね……」


 革命軍のリーダー格である青年が、荒れた声でかすかに笑った。

 すでに幾つかの街が魔神による監視を強められており、革命軍は隠れる地下網すら満足に維持できていなかった。


「今は誰でも歓迎する。生きている者なら、なおさら、ね」


 セーラは小さく頭を下げる。

 吸血鬼化から生還したマリアはセーラの手をぎゅっと握りしめた。


「セーラ……世界、まだ終わってないよね?」


「うん……まだ。ここからが始まりだよ」



(……セーラ。アナンタシェータは消えた。でも、気をつけて)


「どうしたの、ミシェル?」


(観測が……まだ残ってる)


 セーラは風の流れに乗り、空を見上げた。


 遠い空の上層、まるで光を食べているかのような黒い残滓がゆらめいていた。


 ルシフェルの残した観測の目。


 彼の意志が、まだこの世界に向けられている証であった。


「……ルシフェル。まだ終わらないんだね」


 そして、ミシェルが胸の奥で呼吸するたび、セーラの心は少しずつ「別の誰かの記憶」で満たされていく。

 それが温かさなのか、喪失なのか、彼女はまだ判断できなかった。



 ずっと離れた別の暗室。

 ライナスは端末に手を添えながら、楽しげに笑った。

「……さぁ、女王。暗号は解いたか? アナンタの消失ログはこちらでも観測している。これで舞台は整った」


 薄暗い画面に、光輪のような図形が浮かび上がる。


「次は現実リアルでな」


 その笑みは、セーラ達ではなく、

 この箱庭世界そのものを破壊する者の笑みであった。



 光は消えた。

 だが光の余韻だけは、胸の奥をいつまでも照らしていた。


 死者を悼む光。

 新たな戦いの始まりを予告する光。

 そして、革命軍とセーラが歩む道を、わずかに照らす灯火。


 世界は静寂に満ちていた。

 だが、その下には、次の嵐の気配が確かに渦巻いていた。


お読みいただきありがとうございました。

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