光が遺した傷痕
セーラの胸の奥で、光がゆっくりと芽吹くように膨らみ、やがて弾ける。
(……セーラ……聞こえる……?)
ミシェルの囁きは、遠い記憶の底から響くようであった。
悲しみと優しさが混じっていて、セーラは思わず胸元に触れた。
(わたし……ずっと、何もできなかった……ごめんね)
「ミシェル……」
声にした瞬間、セーラの意識は深い闇へと引き込まれた。
闇の奥に光が生まれ、景色が形を成す。
そこは白い蛍光灯が揺れる、無菌の研究室であった。
机には紙もメモもなく、ただ灰色の端末が整然と並ぶ。
あの部屋。
ミシェルは、セーラの目を通して過去を再生する。
ライナスの冷たい横顔。
無表情に近い、しかし口元だけが人型に似せた微笑みをつくる。
「ミシェル。この暗号化階層はお前しか解読できない」
淡々とした声。
だが、あの頃のミシェルには、唯一の居場所に聞こえた。
「いいか、設計者の手が触れたコードは、お前の神経パターンと同調する。つまりこれは、お前のための鍵だ。……解くのはお前だけでいい」
光が線となり、ミシェルの意識の中でコードの構造が解きほぐされていく。
(……わたし、思い出せる……)
その整理された解析能力が、セーラの中に合流し、ひとつの熱となる。
胸の奥で弾けた光が、世界の外へとこぼれた。
「……行こう、ミシェル」
セーラとミシェルは二重の意識を保ったまま、中央穴の最奥へと向かう。
融合した存在でありながら、意思はそれぞれにあり、共鳴している。
中央の穴へ伸びる光は、やがて一本の柱となり、渦の根源へ届いた。
◆
地上中央の穴。
闇の底でうねる巨大な影・アナンタシェータ。
姿は蛇にも見えるし、海そのものにも見える。
触れたものの記憶を奪い、形を削り、存在を平等に無へ還す忘却の神。
その長大な身体の表面を、セーラの光が染めていった。
青白い光が鱗の一枚一枚を溶かす。
白銀の炎が世界の底を照らす。
黄金の粒子が、まるで天界の羽根のように降り注ぐ。
息を呑んで見上げるタナトスは、広い肩で拳を握りしめた。
アグラトを失った怒りは消えていない。
だが、古の化け物アナンタシェータが消えゆく光景は、終わりではなく痛みの記憶を刻む儀式のようであった。
光は穏やかで、美しく、そして…残酷でもあった。
色彩が一時的に反転する。
渦が崩れ落ち、地面に広がる反響が遠い雷鳴のように地上へ伝わる。
世界はようやく、息を吸った。
「……終わった、のか?」
スルトは両膝に手をつき、大きく息を吐く。
「アナンタの情報波が消失した。中央の穴は……ただの深い地形に戻ったな」
空中からルシフェルが降り立った。
ハデスは沈黙したまま、地形の変化と魔力の残滓を調べている。
マグナはヒュプノスの亡骸にそっと触れ、目を閉じる。
「……お休みください、ヒュプノス様……。どうか……安らかでありますように……」
パトラは震える手を握りしめ、倒れた悪魔達を見回す。
スルトと視線が合う。
パトラはやはりマリアが心配で、セーラ達と行動を共にすることを考えていた。
「ごめん……お兄ちゃん」
スルトは短く息を吐き、怒りを抑えたように低く呟いた。
「行け。……だが次は、敵同士だぞ」
パトラは後ろ髪を引かれる思いで、セーラ達の方へ駆けていった。
一方、アスタロトは瓦礫に寄りかかったまま、頭を抱えて笑っていた。
もう戦力ではない。
壊れた魔神。
だがその笑いの奥に、ごく微かな理性の光が残っているのを、まだ誰も知らなかった。
◆
戦地を後にしたセーラとマリア、そしてパトラは、山林に囲まれた野営地へ辿り着いた。
そこには人間、獣人、エルフ、機械兵、わずかな革命軍の残党が集まっていた。
「よく……あの地獄を戻ってこれたね……」
革命軍のリーダー格である青年が、荒れた声でかすかに笑った。
すでに幾つかの街が魔神による監視を強められており、革命軍は隠れる地下網すら満足に維持できていなかった。
「今は誰でも歓迎する。生きている者なら、なおさら、ね」
セーラは小さく頭を下げる。
吸血鬼化から生還したマリアはセーラの手をぎゅっと握りしめた。
「セーラ……世界、まだ終わってないよね?」
「うん……まだ。ここからが始まりだよ」
(……セーラ。アナンタシェータは消えた。でも、気をつけて)
「どうしたの、ミシェル?」
(観測が……まだ残ってる)
セーラは風の流れに乗り、空を見上げた。
遠い空の上層、まるで光を食べているかのような黒い残滓がゆらめいていた。
ルシフェルの残した観測の目。
彼の意志が、まだこの世界に向けられている証であった。
「……ルシフェル。まだ終わらないんだね」
そして、ミシェルが胸の奥で呼吸するたび、セーラの心は少しずつ「別の誰かの記憶」で満たされていく。
それが温かさなのか、喪失なのか、彼女はまだ判断できなかった。
◆
ずっと離れた別の暗室。
ライナスは端末に手を添えながら、楽しげに笑った。
「……さぁ、女王。暗号は解いたか? アナンタの消失ログはこちらでも観測している。これで舞台は整った」
薄暗い画面に、光輪のような図形が浮かび上がる。
「次は現実でな」
その笑みは、セーラ達ではなく、
この箱庭世界そのものを破壊する者の笑みであった。
光は消えた。
だが光の余韻だけは、胸の奥をいつまでも照らしていた。
死者を悼む光。
新たな戦いの始まりを予告する光。
そして、革命軍とセーラが歩む道を、わずかに照らす灯火。
世界は静寂に満ちていた。
だが、その下には、次の嵐の気配が確かに渦巻いていた。
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