空が裏返る
青空が反転し、真っ白な光が世界を覆う。
落ちてくるのは、もう教室だけではなかった。
商店街、交差点、玄関、病院の廊下、電車、ファストフード店の看板。
現世の一部が、次々と箱庭の空から降り注いだ。
異形たちは狂ったように穴へ突進を開始する。
その中心で、セーラの紅眼が、天魔覚醒の気配が、初めて空に滲んだ。
中央区、到達不能領域。そこは、本来なら誰も足を踏み入れられない場所であった。だが今日、四つ穴の異形たちが、まるで引力に吸い寄せられるように集結していた。
蠢く気配が重なり、増え、重複し、自分と同じ姿が横にも後ろにも同時に存在する異形が生まれては、ひしゃげて捩れ、別の異形と融合していく。
人型、昆虫型、球状、多腕型……ありとあらゆる怪物が重なり、統合も調整もされないままただ存在する混沌。
『存在しすぎている』
パトラが眉をひそめた。
中央の穴から、救急車のサイレンが響いた。
次に学校のチャイム。さらにコンビニの自動ドア音。そして……iPhoneの通知音。
「これ……向こうの音よ」
足元に、何かが一瞬だけ立ち上がった。
信号機。
だが、揺らめきながら消えた。
現世の像だけが、穴の縁から漏れてくる。
「中央穴……異界に繋がっているのか、いや、向こうの情報だけが流れ込んでいるようだ」
ルシフェルが、微細な震えを伴って呟く。
そんな騒然とした中、カイだけが一歩、中央へ進んだ。
ただの一歩。
だが、移動しているようで移動していない。
セーラの横にいたはずが、次の瞬間、中央の異形の真正面にいた。
しかし、その瞬間移動には、移動痕跡がない。
空気の揺れも、地面の砂も、何一つ乱れない。
ただ存在位置が入れ替わっただけ。
「カ、カイ……今どうやって……」
「え? 普通に歩いただけだよ」
カイは答えるが、歩いてはいなかった。本人だけがそう感じていた。
突如、目の前に来た人間に対して、巨大な異形は、真上から叩き潰そうと触手を振り下ろした。
だが、攻撃が届く前に、触手の内部だけが壊れていく。破壊の波が先に走り、腐食し、散り、消える。
カイはただ立っているだけであった。
異形がカイを見た瞬間、その眼球がエラーを起こしたように白く濁り、視線がカイを通り抜ける。
「……あれは戦闘ではない。世界が、個としての奴を処理できていないのだ……!」
アスタロトが低く呟く。
「なぁみんな、逃げないのか? なんか……敵が勝手に壊れていくんだが……」
カイは明らかに困惑していた。
その様子を見て、ルシフェルは寒気を覚えた。
「……信じたくはないが、あのニンゲンは…向こうの世界と同期している」
カイの影だけが、中央の穴に映っていた現世の風景の中に、重なっていた。
「ウギォア!」
中央の異形たちの中に、一際巨大な融合体が怒号を発し、整合性の取れていない巨神へと変貌した。
腕が三本同じ位置に生え、
どの脚も同じ方向へ歩けず、
顔面だけが反転し続ける。
巨神は、カイに向けて腕を振り回して殴りかかる。
「来る……!」
だが、カイは動かない。
代わりに、異形の方が勝手に壊れていく。
「なぜ……なぜあいつが!」
普段は冷静なアスタロトの声が震えていた。
「落ち着け、アスタロト。まだ……」
ルシフェルの言葉を遮るように、アスタロトの魔力が荒れ狂う。
錯乱。焦燥。嫉妬。恐怖。
それは裏切りの臭いにも似ていた。
カイを攻撃した巨神の一部は崩れ落ち、穴の奥が見えた。
現世の住宅街。
夕方。
人影。
バス停。
歩道橋。
コンビニ袋を持つ誰か。
モザイク状の顔。
そして。
その風景の中に、カイの影だけがあった。
「なんで……俺の影が……あっちに……?」
カイは理解不能な事態に混乱し怯えた。
「あり得ぬ……開発者側の別データと、箱庭の個の存在が、混線してバグを起こしている……
ニンゲンよ……お前は……何だ?」
ルシフェルが恐怖を隠せず呟いた。
その隙にアスタロトは中央穴へと走った。
「真実は……この奥にあるはずだ、私は、私だけは……辿り着く!!」
そう叫んで彼が穴へ手を伸ばした瞬間、穴の奥から視えない何かが彼の心を掴んだ。
「ぁ……あ……あああああああッ!!」
アスタロトの瞳孔が震え、彼は穴に半身を引きずられながら、狂気の笑みを浮かべた。
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