娘
セーラは戦っている混沌の魔導師、いや、冥王ハデスの痩せ衰えた薄暗い姿をじっと見つめた。
みすぼらしい黒頭巾と装束姿で、ジュリアンの鉾に身体を砕かれては再生し暗黒魔法や腐蝕魔法を唱えている。
しかし海神に対して効果は薄く、再び蹴散らされては再生し、切れ切れの衣がまるでボロ雑巾のようで哀れに思えてくる。
ハデスの体は細く骨ばっていて、よく観ると前歯も何本か無く、それで素早く動いているのが余計に哀愁を誘った。
闘いの趨勢は明らかにジュリアンに傾いているように思えたが、終わりは見えなかった。
あの落ちぶれたヨボヨボの老人が自分の父だと、あれほど葛藤しながら乗り越えたものをまた……自分はかつてあの父をズタズタに滅ぼしてその事を吹っ切ったはず、今さら情も無い、はず……。
セーラは母親の存在をあらためて考えてみる。
天魔融合体の内部には多くの天使たちが肉もそのままに眠っており、その中に自分とそっくりの顔をした天使がいて、自分の血縁、いやその天使から別れた一部が自分であると、直感したのだった。
先の大戦中、セーラはこの天使ルーテの記憶をも一部思い出せた。更にルーテと共存する女性の思いや苦悩も……。ルーテはそういった二重思考をする天使であった。
『ガギィィィン!!』
気づくとセーラはハデスを攻撃するジュリアンの鉾を、天使の鉞で受け止めていた。
「何のつもりだ、堕ちたか? 天使セーラ」
ジュリアンは薄く笑みを浮かべた。
「あれ? わたし……」
その背後からハデスは呪文を唱える。
« 業禍炸烈衝 »
腐蝕弾が対象を襲う。
セーラ諸共、ジュリアンを攻撃するハデス。
ジュリアンは纏っている魔法の篭手で弾を振り払い無効化する。
飛び退いて腐蝕弾を躱すセーラにスルトが斬りかかり、パトラの無詠唱マジックミサイルが放たれる。
加護する光虫のヴェールが悪魔の攻撃を寄せ付けず、セーラは後方に着地する。
「お前達は、天使を、やれ」
ハデスが二人の悪魔に命じる。
セーラのことをただの"天使"と呼び、まるで過去を忘れているかのようであった。
(ボケちゃったのかしら……)
セーラは少し心配になった。
命令するな、と言いながらここは従うスルト。パトラは不思議そうにハデスに目をやった。
「待ってお兄ちゃん」
「っと、なんだ」
「この戦い、誰かの干渉を受けているみたい」
パトラは複雑な呪印が浮き出た自分の右手の平を見つめながら言った。
「この座標」
パトラは手の平のある場所を指した。
「ここに野暮な横やりを入れた者がいる」
そこはオルドの塔が建っていた場所であった。
「わたしが始末してくるわ」
そう言うとパトラは跳空間転移を唱えた。
「お、おい、勝手に」
スルトが引き止める前にパトラは戦いの場から消えた。
「へっまぁいいや。あの天使は前に殺りそこねてるからな……今度は全力で」
スルトはスレイプニルに騎乗すると目を閉じ集中した。