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食いしんぼ大公妃、妻にメロメロ大公の家族にいよいよ会いに行く

とても長い章になりました。

今回の話は、この物語の世界観ならこういったことになるだろうと考え、また現実世界でのことも考え、二つの世界を合わせて考えた章です。

長くマリーズが語るシーンが続きます。その内容も書き方も否と思う方がいらっしゃるかと思いますが、どうか最後までお読みいただければ幸いです。

「いつ拝見しても本当にお上手ですね」

 メグがそう言ってマリーズの手元を見てくる。

 マリーズは今、ラファエルの父アレクサンドルへ贈るためハンカチに刺繍をしているのだ

 ローランサン大公家の家紋とイニシャル、それにアレクサンドルが好きだというカラーの花をスルスルと泳ぐように描いていく。

「水色の生地にして良かったわ。他は何にしようかしら?ハヤブサも良いわね」

 そう言いながら色々な色の生地に、様々な刺繍がされたハンカチが5枚出来上がった。

 どれも綺麗に出来上がったとマリーズは自画自賛し侍女たちも素敵なハンカチだと褒めてくれた。

 刺繍はマリーズの特技の一つである。

 今回はそれをアレクサンドルに渡す為に作っていたのだ。

 いよいよラファエルの家族に正式に会いに行く為に。

 再度正式に挨拶したいので伺いたいという趣旨の手紙を送ったのは今日。いつ返事が来てもいいように準備をした。

 ラファエルには大公妃として認めてもらえたがその家族とは未だに会えていない。向こうからもマリーズがここでの生活に慣れたらと言われているが、それは方便だと考えていた。会いたくないのが実情なのではないかと。

 けれどいつまでもこんな関係でいて良い訳がないのだからマリーズから動こうと決めたのだ。

 ラファエルの妹ジュリーナにはローズゴールドにルビーとサファイアが付いた髪飾りを用意してある。

 そして返事を今か今かと待ち続けて漸く五日経って明日来るようにと返事が来た。五日待って明日とは急な話だがあちらに合わせる為の用意はできている。

 その夜ラファエルが一緒に行くというのを必死にマリーズは止めた。

 ラファエルの目の無い場所でマリーズを見て欲しいと思ったからだ。


 翌朝、マリーズは荷物を積んで侍女と何故か付いてきたフレデリックと共に二台の馬車に分かれて前大公の住む別荘へと向かった。

 先触れを出し予定より2時間早く。

 途中から大公城がある高原地帯から景色が変わり、鉱山が右手に左手には小麦が育てられている地域を通り、しばらく行くと綿の農場が見えてきた。近くには加工する建物もあるようだ。

「本当に色々なものが育てられているわね。木綿の産地でもあるとは知っていたけど大公城の周りにはないから。綿って種子からできるんでしょ?それが糸や生地になるなんて凄いわね」

 同乗しているフレデリックに聞く。

「さようでございます。ふわふわとしたものが実るのですよ」

「本当?一度見てみたいわ」

 そんな呑気な会話をしているマリーズだが内心不安でいっぱいだった。それでも立ち向かうと決めたのだから、マリーズのことを信用してもらう為に力を尽くすしかない。

 2時間ほどで別荘に到着し、義父アレクサンドルが出迎えてくれた。

「お久しぶりです。お義父様。改めましてマリーズでございます」

 そう言って淑女の礼をする。

「よく来たね。応接室で妻とジュリーナが待っているから」

 そう言って中に案内されたが、出迎えてもらえないということは歓迎はされていないのということだろう。これはなかなか厳しそうだと心が冷えた。

 扉が開けられ通された応接室には、義母エリアーヌと義妹ジュリーナが座っていた。

「お久しぶりです。改めまして、ジョフロワ公爵家から参りましたマリーズでございます。よろしくお願い申し上げます」

 もう一度完璧に淑女の礼をした。目線をあげるとジュリーナはマリーズを見ていなかった。エリアーヌは厳しい顔をしている。

「座りなさい。ところで、どうしてあなたがロリアンを連れているのかしら?」

 エリアーヌの声が冷え冷えして凍り付きそうになるのをマリーズは踏ん張った。エリアーヌはよく孤児院などに慰問に行っていたというからロリアンのことも知っているのだろう。

「慰問に行った際に出会いました。その時にそろそろ仕事をしたいという話を聞きまして、どんな職に就きたいのかと聞きましたら、まだ決めていないが、稼いだお金で孤児院にいる子どもたちにおもちゃやお菓子を買いたいというので、とても優しい子だと思ったのです。

 ですからそれなら城下にあるどんな職より、自分の侍女見習いをした方がお給金が良いからやってみないかという話になりました。

 そしてやってみたいと言うので今見習いから始めてもらっています」

「そんな服を着せて。侍女としてとても相応しいと思えない制服だわ。ロリアンはあなたの宝飾品ではないのよ?可愛くて素直なロリアンを連れ歩いてご満悦ってわけ?本当に育てるつもりならそんな服は着せないでしょ?

 ロリアン、侍女になりたいなら私が育てるからここに残りなさい」

 そんな風に捉えられるとは。確かにあまり相応しいとは言えないが、既製品だが侍女服として洋品店がちゃんと扱っている商品だ。着ていけないわけではない。

「あなたが後ろに連れている侍女も美しいわね。美しい侍女を連れ歩くのが趣味なの?その美しい侍女より自分の方がより美しいと言わんばかりね」

  ここまで言われるのか。そんなこと全く思ったことがないのに。

「いいえ、ロリアンにはこの先しっかりと侍女としての仕事を学んでもらって、いずれは侍女認定資格を取得させるつもりです」

 侍女認定資格とは、主に侍女育成専門学院を卒業する際に取る資格で、その資格と前雇用者の紹介状があれば、国内どこででも侍女として雇ってもらえる。

 紹介状だけでも十分だが、この資格を持っていた方が新しい職場での初任給が高くなるのだ。

 王都にしかない学院なので、遠方では侍女見習いとして仕事を覚え、王都に資格を取る為の試験を受けに行き取得する者が僅かにだがいる。

「エリアーヌ様。申し訳ございません。私はマリーズ様にお仕えすると決めています。それにこの制服は私が選んだのです。

 洋品店の人がたくさん持ってきてくれた中から好きなのを選んで良いと言われて選びました。

 後からかがんで仕事をする時に少し裾が気になることや、袖口の汚れがわかりやすいのに気づきましたが、間違えながらそうやって侍女としての知識を身に付けて行けばいいとおっしゃってくださりました。

 背が伸びたら新しいのをまた選ばせてくれると言われているので誤解しないでください」

 ロリアンが気丈に自分が選択間違いをしたと言う姿に、ロリアンはロリアンのやり方でマリーズを守ろうとしているのだと感じ嬉しく思った。その思いに応えなければならい。

「上手く手懐けたわね」

 その言い方にマリーズはもやっとしたものを感じた。事前の情報では前大公妃は人柄も良く領民に慕われていると聞いていたのだが。

 領民でも家族とも思っていないマリーズ相手にはこれでいいということか。

「エリアーヌ。そういういい方は止めないか。ロリアンが選択したと言っているんだから様子を見てもいいだろう?」

 アレクサンドルが何と擁護してくれた。マリーズは気持ちを切り替え手土産を渡すことにした。メグから受け取ったのはフリージアの花束だ。色は紫と白を合わせてある。

「お義母様がお好きな花だとフレデリックから聞きました。別荘には咲いていないそうですね。今大公城では満開なのでお持ちしました」

 マリーズの手では抱え切るのもやっとの花束だ。

「そう、ありがとう。ねえ、客室にでも飾っておいて」

 心の中でマリーズは怖いと思った。折角渡した花束を誰もいない客室に飾るというのは見るつもりがないか、見たくないと言っているようなものだ。侍女も素知らぬ顔でかしこまりましたと言い花束を持って部屋を出て行った。

「よさないか。ちゃんと話をしようと今朝も言っただろう?」

 アレクサンドルが諫めている。ここでの味方はアレクサンドルだけのようだ。マリーズは気を取り直して次を持った。

「こちらはお義父様に。私が刺繍をしたハンカチと、ポンガがお好きだと聞きましたので、大公城の料理人がジャムにしたものをお持ちしました」

 アレクサンドルは受け取ってくれた。渡したハンカチを広げてくれる。

「上手だね!綺麗なハンカチだ」

 横から覗いていたエリアーヌとジュリーナも驚いているようだが直ぐにエリアーヌがマリーズを見た。

「本当にあなたが刺繍したのかしら?刺繍職人に作らせたのじゃなくって?そうじゃないとなかなかこんなのはできないわよ」

 言葉の一つ一つが刺さる。

「いいえ。私が刺繍しました」

「本当かしら?じゃあここでやってみなさいよ。裁縫箱を持ってきて」

 溜息が出そうになった。なんとも疑い深い。しかしやるしかない。

 マリーズはエリアーヌの侍女が持ってきた裁縫箱を開けた。そしてちょうど無地のハンカチの生地があったので手に取り、刺繍枠に嵌め、デザインを考えると針に糸を通し刺繍を始めた。

 ものの十分で思い描いた通りの刺繍が完成した。それを刺繍枠から外しジュリーナへと差し出した。

「ジュリーナ様はピンクの薔薇がお好きだと聞いておりましたので、ピンクの薔薇と空を飛ぶ小鳥を刺繍しました。どうぞお受け取りください」

 三人が驚いている。薔薇の花びら一枚一枚をわかるように、それでいて美しく咲き、蕾も葉もあり更に青い鳥が飛んでいるのだが、これを十分で作れる人はそうそういない。

 ジュリーナが手に取り見惚れていると思って良かったと思った瞬間、さっと表情が変わり床に叩きつけた。

「あっ」

 マリーズが思わず声を出したのにアレクサンドルがジュリーナを注意する。

「ジュリーナ。折角刺繍してもらったものをそんな風に扱ってはいけない。マリーズに謝りなさい」

「嫌よ!刺繍が上手なのを見せびらかしているのよ!私が苦手なのを知っていて!」

 そうか。ジュリーナは苦手なのか。それは嫌な気持ちになったかもしれない。だがやってみろと言われたからやったのだ。マリーズは悲しい気持ちでそのハンカチを拾い丁寧にたたんだ。

「ジュリーナ様は刺繍が苦手なんですね。それは知りませんでした」

「嘘よ。好きなものは知っているくせに!」

「それはそうです。お好きなものを贈りたいと思いフレデリックを始めラファエル様や大公城の古参のメイドたちに聞きましたから。でも嫌いなものや苦手なものは聞きませんでした。それは私の落ち度です。言い訳にしかなりませんが」

 応接室にはしばらく沈黙が続いた。そしてマリーズがポツリポツリと語った。

「私は子どもの頃、あまり人前に出るのが得意ではありませんでした。

 8歳くらいからもう子どものお茶会という社交を始める子どももいますが、私は10歳の時一度出て、その時に母の出自で酷いことを言われてから12歳まで出ることはありませんでした。家の外の人が怖かったのです。

 それまで私は家族と使用人に囲まれて過ごし、父の仕事柄たくさんの客人が来ましたが、皆さん可愛がってくれる人ばかりでした。

 よく考えればそれは当然のことなんです。既に宰相をしていた父の部下や同僚の方々が、その娘に向かって悪く言うはずありませんからね。しかも部下の皆さんは様々な爵位だったり、爵位のない方もいましたから爵位について気にしたことがありませんでした。

 その頃言われたのは公爵家の娘としてしっかり学ぶようにということだけです。

 だから余計に衝撃を受けました。聞いたこともない言葉が混ざりながら、とにかく何かたくさん怒られていることに。

 そして自宅から出ることなく過ごすようになり、見かねた母が刺繍の先生をつけてくれました。最初は少し離れたところからその先生が私の部屋の花瓶の花を刺繍しているのを見ていました。

 その先生は毎日来てくださって、私が見ている少し離れたところで刺繍をし続けてくれました。私はそうしているうちにその美しさや先生の巧みな指使いに惹かれ、自分もあんな刺繍をしてみたいと思い、それから教えてもらうようになりました。

 先生は部屋の中から私を連れ出し、まず庭に出て刺繍を一緒にし、それに慣れたら公園に、その次は植物園へと、どこに行っても刺繍を一緒にしてくれました。

 美術館にも連れて行ってくれました。さすがに刺繍はしませんが。そうやって私は少しずつ外に出ることができるようになりました。

 外にはこんなに美しい場所がたくさんあるのだと先生は教えてくれたのです。

 先生に褒められると嬉しくて先生が帰った後も刺繍をしました。美しい自然を糸を使って表現する楽しみを知り色々なものを刺繍しました。

 先生は私の人生の恩師なんです。12歳までは勉強以外は刺繍ばかりしている子どもでした」

  そこでマリーズは一度言葉を切った。

「ジュリーナ様は刺繍はお好きですか?」

 マリーズが問う。

「・・・・・あまり好きじゃないわ」

「それなら刺繍じゃないことを得意なものにすればいいのではありませんか?

 私はちなみに楽器は全くできません。6歳の時に始めてピアノもハープも家庭教師が投げ出すほど上達しませんでしたから一年も経たずに辞めた記憶があります。

 得意不得意はあるものです。好きなものに熱中したら良いと私は思います。

 苦手なものを克服する必要がある時も出てきますが、刺繍は克服してまで上達する必要はないと思いますよ」

 そう言ってマリーズはたたんだハンカチをテーブルに置いた。そして再度気を取り直してジュリーナへ髪飾りの入った箱を差し出した。

 それを受け取ったジュリーナは箱を開け綺麗とつぶやいて見入っている。

「マリーズの母君は伯爵家の出身でその姉君はジゼット妃なのに何故それで酷いことを言われるんだい?」

 アレクサンドルが聞いてくる。

「爵位が一番大事だという人が一定数はいますから。公爵家の父の妻になるには伯爵家では爵位が低いと言うのです。外に出るようになってからもよくそれで酷い言葉を言われました。

 けれど、母の実家の祖父母も叔父も従兄弟も可愛がってくれましたし、母は爵位が全てではないから気にすることはないと言っていました。言いたい人間には言わせておけば良いと」

 そこでエリアーヌがマリーズを睨む。

「そんな殊勝なことを言って信じると思うのかしら?

 我儘で傲慢な令嬢。使用人に対しても酷く当たり辞める人が多い。

 更に、大公家の人間の赤い目は怖い。蛇のようだ。そんな目の令嬢は嫁の貰い手がない、などと酷い言葉を言っているのはあなたでしょ!

 ジュリーナがどれだけ傷ついたと思うの!」

 ついに来たか。ラファエルよりずっと手強い。それにやはり昔のことがあり、女性から強く言われるとどうしても委縮しそうになるのをマリーズは必死で堪えた。

 だがここからがマリーズの本当の戦いなのだ。

 

 学園に入学した時も酷い噂で悩まされた。マルグリットという友達ができた時、母に報告したら言われたのだ。

 問題が起き苦しい状況になったら諦めず、あなたはあなたらしい戦い方を考えなさい。そして最大の防御は攻撃だと。そしてその攻撃は笑顔だと。けれど、その笑顔を使うのは最後だとも。

 戦い方は相手を傷つけるようなやり方でやり返すものであってはならない。それでは相手と変わらないから。筆頭公爵家の娘としてどうしたら良いか考えなさいとも。

 どうすればこの状況を回避できるか。問題を一つ一つ解決し消していく。

 友達のいなかったマリーズに一人友達ができた。まずここで一つ問題が解決した。一人ではなくなったのだ。

 それを活かしてこれまで学んだことを合わせて考えなさいと。

 だからマリーズは考えた。まずはマリーズらしく家にいるようにいつも通りに振る舞う。しかし公爵家の名に恥じぬ振る舞いでなければならい。

 社交界では相手に嫌味や傷つけることを言うことで勝ったと思う人もいるが、それは決して勝ちではないとマリーズはもう知っていた。

 だからマリーズはただマルグリットと楽しく話し、学問に剣術にと一生懸命取り組んだ。それがマリーズの攻撃の仕方だった。

 上級生に呼び止められ酷い言葉を言われても相手はしない。急ぎの用がありますのでと言って淑女の礼をしてその場を去る。

 これは逃げたのではない。公爵家の娘として完璧な淑女として振る舞って見せることで相手に戦意をなくさせるのだ。

 そして噂はあくまでも噂であって、実際に実物を見て噂とは違うと感じればおのずと消えていくのだ。

 いくら社交界が、貴族の世界が噂好きだとしても、実質を伴わない噂は長続きしない。だから消えたり出たりを繰り返し最後には消えたのだ。

 学園で生活するマリーズを見たり話したりすると、噂など当てにはならないと少し考えれば大概が気づく。そしてそれが逆に広まるのだ。

 優秀な成績を収め、完璧な淑女として振る舞う。

 笑顔で話し、困っていれば助け、落ち込んていれば慰める。これはいつも家で使用人にしていたことだ。それを学園でもしただけ。

 そういった事を積み重ねていった。

 そしてマリーズがこの戦いで完全に勝利を手にしたと感じたのは2年生の秋だった。既にホランは卒業していたが、ホランと親しい後輩たちがまだ懲りもせずにマリーズを呼び止めたりしていた。

 だが、2年生の秋に剣術の講習を受けている学園生で模擬大会が行われた。

 真剣は使わない。でも模擬刀でもなく、刃こぼれした剣をそれぞれ用意する。

 マリーズは勝ち進み決勝でマルグリットと戦い、結果負けはしたが、会場は2人を称える大きな拍手に包まれた。

 その時にマリーズは勝ったと思い満面の笑顔で見ている人たちに手を振った。

 今回も同じ様に噂と戦わなければならない。しかも短い時間で確実に勝たなければならない。

 ラファエルは噂を聞く前に会ったことがあったからすぐに疑念を持った。しかし年の離れた妹が泣いていれば噂に心が傾いてしまった。それでもマリーズと話しマリーズを信じ、事実を調べて噂に囚われていた自分を恥じ、謝罪した。

 一度あまりにも謝罪を繰り返すのでこれ以上このことで謝罪の言葉を言ったら離婚すると言ったら言うのを止めた。一生ラファエルは心の中で謝罪を続けるかもしれないが。

 マリーズとラファエルの夫婦の形はこれから作っていくのだ。焦る必要はない。

 アレクサンドルも会ったことがあったから疑念を持ちながらも噂を信じる妻と娘に何もしなかった。会えばわかるだろうとでも思っていたのかもしれない。

 だがマリーズは徹底的に戦うと決めたのだ。もう噂に惑わされた人たちに苦しめられるのは嫌だと。きちんと間違いを正し、新しい関係を構築してここで楽しく生きるために。


「その話はローランサン大公領に来てから知りました。

 私はそのようなことを言ったことは一度もありませんし、思ったこともありません」

「嘘おっしゃい!そう言っていたと言っているのは一人や二人じゃないのよ!」

「そ、そうよ。ホランお姉様が言っていたわ!」

 ホランお姉様か。やはりと言うしかない。ホランはここへ来て直接その話をして、信じ込ませたのだろう。

 王都で長く暮した人間と領地でいつも暮している人間との違いを利用して。

「何度問われましても、私はそのようなことは一度も言っておりませんし、思ったこともありません。

 その話には続きがありますよね?私がラファエル様と顔合わせの時に怖いと思って家に帰って泣いていたと。結婚したくないと言っていたと。

 もし私が泣いてこの婚約は嫌だと言ったら、父は陛下に白紙にするよう歎願したはずです。王命で決められたとはいえ、無理強いしてまで結婚させようとなさる陛下ではありませんから。

 側近の父が言えば、他の候補を探したはずです。それに母の姉はジゼット妃です。伯母は私を可愛がってくれているのでそちらからも歎願されたことでしょう。

 ジュリーナ様のおばあ様は王女でしたね。そしてエリアーヌ様は隣の領地の侯爵家の出身ですよね?陛下には王女はいらっしゃいませんが、他に候補がいないわけではありません。

 だからそうなっていないということは、私は顔合わせの後泣いたりしていないということです」

「それでも、こんなに噂になっているのよ!」

「はい。大公領だけですけどね」

「え?」

「その他の領地や王都でのことはご存じありませんよね?お義父様もお義母様もジュリーナ様も、ラファエル様ですら、滅多に王都に来られませんから。

 ジュリーナ様は大公領から出たこともないと聞いています。

 他では全く噂になっておりません」

「でも王都から来た人が言っていたのよ!城下でも王都から来た人から聞いたと言っていたわ!」

「ですが、今、本当に王都ではこのような噂は流れておりません。ですから、私はここに来るまで大公領でこのような噂が流れていることを知りませんでした。他領も同じでしょう。

 もちろんこの話に関して全く知らなかったわけではありませんが」

「やっぱり身に覚えがあるんでしょ!」

「エリアーヌ落ち着かないか!」

「王都から離れるとこういったことが起こると学園の講義で習いました。

 王都から離れた場所に住む国民が王都や国の情報を知る手段は、王城の広報から発表されたものを各領で張り出したり伝えたりするのがまず第一です。

 その他は王都でしか出版されていない新聞を誰かが各地に持ち帰ることでその地の人が知り、それが噂となり広まることになります。

 それから王都から来た人から聞く。伝聞するのは商人が一番多いと聞いています。逆に王都にいたら、他の領地から来た商人からその領地の話を聞いて知ることが多いのです。

 王都から離れれば離れるほど王都の噂は好まれます。

 実際に、行ったことがない人がほとんどだから王都の話は好まれると公爵家に来た商人も言っていました。知ることができないからこそ少しでも知りたい。人として当然の探究心です。

 また王都にあるタウンハウスを拠点に生活をしている貴族は情報に敏感です。如何に正確に良い情報を手に入れるかが社交界では重要になってくるからです。

 でも逆もあるんです。如何に嘘の噂を自分が有利になるように広めるか。如何にしてそれで味方を増やすか。

 そういったことに長けた人を私は知っています。

 皆さんがよくご存じなホランさんです」

 息を呑む音が聞こえた。

「ホランお姉様が嘘を吐いたというの!?」

「そうです。正に大公領、大公家という特殊な状況を利用したのです。

 先ほども言いましたよね?滅多に大公家の人が王都に来ることはないと。タウンハウスがありながら。

 それは何故か?大公家の皆さんはよくお分かりだと思います。

 大公領が3カ国と国境を接しているからです。

 以前、平和な時代にも関わらず、ザッパータ国が当時の王家の所領ローランサン領に侵略しました。

 平和な時代だったので、国境が接しているけれど念の為の兵士と役人が領地を守り動かしていて、今の大公という絶対的な地位を持つ人がおらず、統制が取れず始めは苦戦したと書物には記されています。

 しかし近隣の領地から助けの兵士が来て、数日後には王都から王国軍を率いた当時の王弟、のちの大公が援軍として来たため形勢が逆転し勝利を収め、ザッパータ国を掌握しブランディー王国の領土となりました。

 そして二度とこういうことが起こらないようにと、油断しない為に大公領としてこの地が作られたのです。

 初代大公はまず今の大公城をザッパータ国の領土であった場所に建てました。ザッパータ国の民がこれからブランディー王国の民として生きるために不安にならないよう、ちゃんと見て聞く為に。

 そしていざという時に備えて、ありとあらゆる植物を育てるために領地改革をしました。

 幸いザッパータ国の領土とローランサン領を合わせたら広い上に、気温や地質が場所によって違うので予定より早く領地改革ができたそうですね。

 まず小麦を作る農地。小麦が不作の時の為の蕎麦の実。高原地帯は野菜。南地方は果物。そして木綿、養鶏。塩分を含んだ温泉が出る地域ではそれを利用して塩も作れるようにしました。

 しかしそこで初代大公は気づくのです。鉱山もたくさんありこれでは独立国としても成り立ってしまうと。しかしそんなつもりは毛頭ないので兄である国王陛下に忠誠を誓うために、歴代大公の妻は国王陛下に選んでもらう。国を守るための武器や防具は国に欲しいものを申請し準備してもらいそれを購入する。

 そうすれば大公領にはどんな装備品があるか国が知ることができますからね。

 更に鶏以外の畜産業はしない。これらが歴代大公が受け継いできたことです。

 そして近隣の領主と交流をする。もちろん万が一の時のためです。

 そして、油断していたから起こったことだからもう油断しない為に、余程のことがない限り、大公は大公領から出ない。

 有事が起これば全て大公領で抑え込む。それ以上国内に敵を侵入させない。

 こういった経緯で、大公領は特殊な領地になりました」

 そこでマリーズは一息ついた。

「よく知っているね」

 アレクサンドルが言ってくる。

「大公家に嫁ぐことが決まってから、大公家と大公領についてたくさん勉強しましたから。

 大公領は領地も広くいくつも鉱山があり、そして領地の中でも特に城下に当たる地域はとても賑わっています。大公家と領民が時間をかけて様々な店を作ったり商売を考えたりして作り上げたのです。

 鉱山で収入源が多いので、領立の専門学院もたくさんあって学ぶために王都や他領に行く必要はありません。

 ほぼ大公領だけで生活ができるようになり、領民は大公領で生涯を終える人がほとんどです。

 その為、王都のことを知っている者は少なく、王都から来た人から聞く話が大好きな領民が多い土地柄になったのです。

 それがこの領地の弊害になることもあるとは初代大公も気付かなかったのでしょう。

 たった1人の王都から来た、という人の話を面白く聞き、真面目な気質な人が多いためそれを素直に信じてしまう。そしてそれが広まるのです。

 以前こういったことがあったのをご存じですか?

 50年ほど前に流行病が王都で発生し、それを予防するためにはヨモギの葉を毎日かじると良い、という噂を王都から来た商人から聞き領地中に広まりました。

 ヨモギはどこにでも生えています。ですから領民はみんなそれをしたそうです。それは王都で始め流行った予防法で実際の効果はありません。

 ですから流行病の発生源の王都ではすぐに消えた噂でしたが、大公領では長い間信じられていたそうです。これも大公領の歴史書から知りました」

「驚くほど本当に詳しいね」

「何度も言いますが、大公はいざという時の為に領地を離れられないから滅多に王都に行かない。その家族も行く必要がないくらいなんでも手に入るから行かない。領民も同じです。

 領地から出る必要がないのです。外から必要なものは商人が持ってきてくれますからね。

 だから入ってくる噂に敏感になり、好奇心に駆られもっと知りたいと外から来る人の話を聞くのです。そしてその話に惑わされやすく、信じやすい領民性ができてしまった。

 講義で習ったのは、国内における情報の伝わり方やそれによって起こりえる事象です。

 隣の領地のホランさんもこの講義を受けて大公領の置かれた状況に気づきそれを利用したのでしょう。ホランさんは2年前に領地に拠点を移すまで王都で暮らしていましたからね」

「本当に嘘なの?ホランお姉様が嘘を吐いたの?」

「そうです」

「何故そんなことする必要があるの?」

「それは私の落ち度だね。甘く考えていた」

 アレクサンドルが話し始めた。

「ラファエルが幼い頃バルべ侯爵から何度も婚約の話を持ちかけられたんだ。向こうも大公妃は陛下が選ぶ事を知っているのに陛下に頼んで欲しいとまで言われた。

 その度に自分から何も言わない。陛下がお決めになると返事をした。それでしばらくして収まったため安心していたんだ。

 ラファエルの婚約が決まり王都に行った時に再度言われたが、もう王命で婚約者は決まったと言ったから諦めたと思っていた。

 バルべ侯爵は諦めてなかったんだな。選ばれた公爵家の令嬢に瑕疵があれば自分のところに回ってくると思ったんだろう。

 もっとはっきり断れば良かったし、噂が流れた時に真偽を確かめれば良かった。

 今になっては言い訳にしかならないが、その時はもう婚約も決まっていたし、もうとっくの昔の話で諦めていると思っていた。

 それにマリーズ本人に会えば嘘だとわかると思っていたんだが、ここまで2人とも信じきっていたとは思わなかった。

 申し訳ない。私が愚かであった。その為に苦しませてしまったね」

「本当に嘘なの?ヘビみたいっていうのは?」

「私は実物のヘビを見たことはありません。図鑑に書かれていたのは黒のペンで書かれていて、色々な種類のヘビがいて、鱗の色も目の色も種類によって違うんです。

 大公領の付近では赤い目のヘビが生息しているそうですね。大公城の図書室で調べました。温暖な地域に生息している種類とも書かれていましたね。バルべ侯爵領にも赤い目のヘビが出るのでしょう」

「本当に嘘なの?私ずっと騙されていたの?」

「そういうことなりますね。大公領と接している領地はバルベ侯爵領とエリアーヌ様の御実家ボルガーデン侯爵領です。ボルガーデン侯爵領は絹の一大産地ですよね?

 この両家と親交があればいざという時に助けがあることと、大公領では手に入れられない肉類や絹が簡単に手に入る。そしてたくさんの鉱物資源で収入も多いので、買いに行かなくてもあちこちから売りに来てくれる。

 だから新しい取引先を考える必要もないし、わざわざ王都まで行って買い求めるものもないのです。

 過去にはバルベ侯爵家から大公妃が選ばれました。前大公妃はボルガーデン侯爵家から選ばれたエリアーヌ様です。

 大公領は急成長しとても発展していますが、国全体から見れば領地としては歴史はまだまだ浅いのです。

 だから今回陛下は最側近であると同時に由緒ある古くからの名家、筆頭公爵家の我が家から選んだというだけです。別に大公領のそのまた向こうの侯爵家でも構わないけれど、陛下のお気持ちとして選ばれたのが私だっただけです。

 それに不満を持ったホランさんが大公領と大公家に私の悪評を流したのです。人を使ったり、ジュリーナ様に対しての様に直接ホランさんが伝えたりして。

 こういった、噂に惑わされる領地は他にもあるんですよ。王都から遠ければ遠い程。情報を知る手段が限られていますから。

 ただ大公領が更に特殊なのは、領主が滅多に王都に行かないところです。領民が噂に惑わせられても、王都から領地に戻ってきた領主が否定すれば消えるのがほとんどなんですよ。

 それが大公領にはない。自ら調べない限り」

「そうだね。私もラファエルもそれをしなかった。噂が出た時に一番にしなければならなかったのに。

 本当に申し訳ない。私も大公領の特殊な状況を言われるまで気付かなかった。情けないものだ」

「でもマリーズさんのその話が本当であるということもどうやって信じたら良いの?」

 そこでフレデリックが新聞を渡した。少し古いもののようだ。

「私はこの婚約が決まった時に王都にいる友人にジョフロワ公爵家について知りたいと連絡を取りました。そしてジョフロワ公爵家について書かれた新聞が出たら送ってほしいと。

 それらはこの四年でジョフロワ公爵家について書かれた記事が載った新聞です。

 マリーズ様のお兄様の婚約者が決まった記事、ご結婚された記事。お父様が陛下と一緒に他国の王族と会談した記事はいくつもあります。

 マリーズ様の記事は三つ。まずは、先程話されていた二年生の秋に剣術大会で準優勝だったこと。これはメインが優勝されたメルディレン侯爵のご令嬢ですが。ご令嬢が優勝したのは初めてな上、対戦相手もご令嬢だったことが書かれています。

 それからその年の春、王妃殿下主催の刺繍大会でマリーズ様が優勝されたこと。景品として純金の針をもらったことが書かれています。

 そして、三年生の秋、剣術大会で準優勝だったこと。二年連続同じ顔触れ、しかも両方ご令嬢というので大変盛り上がった大会となり、国王陛下と王妃殿下も来臨されていたと書かれています。

 それ以外のものはありません。それから我儘であるとか、傲慢であるとか、悪い話の書かれた手紙が来たことは一度もありません」

 三人が新聞を見ている。まさかフレデリックがそのために一緒に来たとは思っていなかった。

 フレデリックがいなければもっと言葉を尽くさなければならなかっただろう。

 新聞にはマルグリットと並んでマリーズが記念の盾を持っている挿絵が描かれている。他にも刺繍大会で純金の針が入った箱を手にしているマリーズが女性に抱きつかれている挿絵がある。抱きついているのは義姉だ。

「でもこんな話は入って来なかったわ」

「お兄様のご婚約の話は城下では噂されてましたよ。とうとう筆頭公爵家の嫡男が婚約者を決めたという話でお相手の方のことなども。

 お父様のことは国の広報が出す情報として出された情報紙に書かれておりましたのをご覧になられたはずです。

 ただマリーズ様についてはたまたま時期が合わなかったのか、その記事が出た頃に王都から大公領に来る商人がいなかったのでしょう。運の悪いことに。

 私はこのことを知りながら敢えてご報告をしませんでした。私は王都の執事育成専門学院に通うために大公領から出て、しっかり学んで戻ってきて今までお仕えしてまいりました。

 そして今回の件で大公領に問題点があると気づきました。ですが、私から報告して知るよりも実感してお気づきにならなければこの問題点の重大さを知ることは不可能ではないかと判断しました。

 今後大公領がより安定して機能する為にはマリーズ様には大変申し訳なくご苦労をおかけしましたが、身を以てこの危機感と不安定感を知っていただきたかったのです。

 出過ぎた真似をいたしました。またジュリーナ様にも申し訳ないことをしてしまいました。苦しんでらっしゃるのは分かっていましたが、今の世代で気づかなければこの先ずっとこれが続くことになると思ったのです」

「フレデリックが謝る必要はない。全て私たちが悪いのだ。国を守る為にしているつもりでいたがただそれだけで、領内で問題点が出ていることに気づけなかった」

「マリーズ様はじゃあ私のことをどう思っているの?」

 ジュリーナが不安そうにしている。2年も信じていたことが全て嘘で騙されていたと知り、己の在り方に不安になるのは当然だ。

「私は仲良くしたいと思っております。できればマリーお姉様と呼んでいただけると嬉しいわ」

 最後は優しく話しかけた。

「ごめんなさい。ごめんなさい。酷いことをいっぱい言ったわ」

 ジュリーナは泣きだした。その頬にマリーズが先程作ったハンカチを当て涙を拭く。

「わかってくれたらそれで良いのよ。私たちの関係はこれからなの」

「うわーん!」 

 そう号泣しながらジュリーナはマリーズに抱きついた。

「マリーズさん。私も何と言ってお詫びしたら良いのか。失礼な態度をとったわ。酷いこともたくさん言ったし。どれだけ謝っても謝り切れないわ。私も愚かだった。

 娘時代も既に婚約が決まっていたから、社交が面倒で王都の学園に行くより領地で家庭教師から学ぶ方を選んだのよ。大公領についても近くにいた方が学べると思って。愚かな判断だったわ」

「その通りです。はっきり言いますよ、私は。これくらいじゃないと筆頭公爵家の娘は務まらないのです。といっても自信を持てたのは本当に最近ですけどね。

 自信がない分を詰め込んだ知識と努力で埋めたんです。大公妃になるにはそれ相応の知識やそれを活かせる行動力がないとダメだと思ったので。

 ラファエル様にも何回も言ったのですが、嫌だったら嫌だと言えば大公妃にならない方法を取ったのです。それをできるくらいの力が公爵家にはありますから。

 ですが私はそれをしなかった。覚悟して大公妃になることを選んだのです。王命だからってだけじゃありませんよ。自分が成長する為でもあります。家族に甘えて育てられた私が大公妃となり、国の要所を治める大公を支える存在になる。

 貴族は領民を、国王は国民を守る為に存在していると父から言われました。そしてジョフロワ公爵家は領地ももちろん、陛下と共に国民を守る為の行動をしなければならないと。

 だから私はこの結婚を受け入れたのです。

 後はラファエル様なら信用できると顔合わせの時に思ったからですかね。

 ここに来た時はまたかと思いました。すぐにホランさんの顔が浮かびましたよ。学園と大公領では規模が違いますけどね。

 だから正直初めはとても怖かったです。ですが戦うと決め、少しずつ調べていくうちに大公領の問題点を見つけたんです」

 エリアーヌがポカンと口を開けている。こんな小柄で年下の大公領に来たばかりの娘が自分たちの置かれた現状を本人以上に把握していたのだからそれは驚くだろう。でもマリーズは母に言われた通り、マリーズのやり方で戦ったのだ。様々な方法で。

「本当に申し訳なかったわ。どう償えば・・・・・」

 エリアーヌがつぶやく。

「償いなんていりません。私にお義母様と呼ぶ権利をください。そしてたまに一緒に食事をしたり買い物をしたりしてください。私はなかなか王都の母には会えませんから」

 エリアーヌがとうとう涙を流し嗚咽し始めた。自分の間違いに気づいてくれた。これからそれを改めてくれたらいいのだ。

 やり直せるならやり直す。マリーズの考えが全て正しいわけではないだろう。ただこれがマリーズの戦い方なのだ。

 直接攻撃はしない。問題を一つ一つ解決し、マリーズのことを知ってもらう。そして間違っていると思えば事実と知識で正す。

 きっとマリーズから知らされたことで衝撃を受けただろうし、アレクサンドルも自分が愚かだと言っていた。

 マリーズは全てを受けとめ、そうやってここで生きて行く道を作ることにしたのだ。

 コンコンコンとノックの音がした。

「ホラン様がお見えです。お通ししてもよろしいでしょうか?」

 侍女が問いかける。

 マリーズは間に合ったと思った。

 マリーズに返事が来るまで5日かかった。そのことでマリーズは予想したのだ。ホランを呼んでいるのではないかと。

 だから当日になって先触れを出し予定の二時間前にやってきたのだ。

 この二時間で三人の認識を変えさせると。

 そして予想通りホランがやってきた。

 マリーズは勝利を確信した。

「ごきげんよう。お招きいただき光栄です」

 ホランが入ってきたが誰もホランを見られない。

 だからマリーズが言ったのだ。

「ようこそホランさん。お久しぶりです」

 マリーズは満面の笑みを浮かべた。


「ジュリーナが泣いているじゃない!マリーズさんはまた酷いことを言ったの?酷いわ!」

 ホランには目の前の光景がそう見えているのか。

「ホランさんはこの2年ずっと領地にいらっしゃったのですか?」

「ええ。領地が好きなの。それに隣の大公領は素晴らしいわ!王都に行かなくても何でも揃っていてとても便利なの」

 褒めて取り入っているつもりなのだろう。

「一度も王都に行かれなかったのですか?」

「ええ。その必要性を感じなかったもの」

「学園時代のご友人と連絡を取ったりはされていないのですか?」

「それはしているわ。たまに手紙のやり取りを」

「そうですか。ホランさんと仲の良かったご友人たちは、今私の義姉のサロンに毎回通ってますよ。ご存知でしたか?」

「え?」

「摘みたてハーブティーを楽しむサロンなんですけど、王都では今とても人気のサロンなんです。私も嫁ぐ前に参加してお会いしましたよ。とてもお優しい方たちですね」

「そ、そんなわけないわ!」

「王都では常に流行が変わり、流行したものの中からわずかなものだけが根づきます。人々はよりよいものを求め、楽しみを見つけます。ホランさんも長く住んでらっしゃったのだからご存知ですよね?」

「え、ええまあ」

「そういうことです」 

 ホランが震えている。ホラン自体が利用した王都から離れた領地特有の現象に嵌まったのだ。送られてくる手紙に書かれていたのは真実だけではなかったはずだ。

 きっと友人に引き続き悪評を流すように言ってあったのだろう。だが王都にいないホランより、王都にいてマリーズの評価が高いのを知ればどちらを信じるか。

 それは明白である。

 きっとホランの住む領地にもマリーズの話は流れて来なかったのだろう。王都から離れているから全ての情報が入ってくるわけではない。

 領地で大公領と大公城に悪評を流すことに専念し、情報を操作し、大公家の人たちに嘘の情報を信じ込ませる。王都ではマリーズの悪評が引き続き広まっていると思って。

 そこへ足音が聞こえ扉が開くとラファエルが立っていた。

 結局来たのか。あれほど言ったのに。一人で解決すると。本当に妻に甘い夫である。

「ラファエル様!お会いしたかったです!ラファエル様ならわかってくださいますよね?」

 急にホランがラファエルに近づこうとした。しかしラファエルはマリーズの側に立ち距離を取る。

「オレはまだまだ未熟だった。マリーズに言われ真実を知り、そして償いの一環として領地に流れてくる情報の真偽を確認する調査班を作った。

 領民を守るためにも必要なことだから。そして開けた大公領として改革を進める。もちろん一番の仕事は有事の際の要所なのは代わりはないが」

「お兄様何をするの?」

「今からでも間に合う。ジュリーナは王都の学園に通え。そして大公領の外のことを学び、将来は自分で判断して良い。

 大公家の娘は大公領の兵士や商家に嫁ぐのが慣例だったが、それはもう止めよう。

 学園で学び、他の家門の人間と交流し、いい出会いがあればそこに嫁いでも良い。もしこの事が知れ渡り見合いの話が来たら、そこから判断してもいい。

 学んだことを持って大公領に戻ってきても良い。好きなことを選べばいいんだ。

 それから大公家の交友する範囲を広げる。短い期間なら、大公領にはオレか父上のどちらかがいる状態でも回るようにして、交友範囲を広げ、もっといざという時に助けてくれる領主を増やす。

 同時に隣国から攻め込まれても良いように」

「お兄様。私、急にそんなこと言われても不安だわ」

「大丈夫よ。タウンハウスに使用人とだけ暮らすのが寂しければ、ジョフロワ公爵家から通えば良いわ。部屋はたくさんあるし。

 もうすぐ兄夫婦には子どもが生まれるからきっとにぎやかよ」

「そうだな。転換期だな。もっと良い領地にして後世に渡さないとならんな」

「ちょっと!なんなの?!」

 ホランが焦り始めたようだ。

「ホラン嬢。故意による虚偽の情報の流布、というのを知っているか?」

「な、何を突然」

「この国の法律だ。小さな範囲で軽い嘘なら見逃されるだろう。うちのお嬢様はピアノが得意だとそれほどでもないのに、使用人たちが良い縁談が来るように流したとしてもいちいちそれを罪に問うことはない。

 だが今回のように、一つの領地丸ごと嘘の噂を2年もの間信じ込ませた君は凄い。それができたのは大公領の問題点を大公家が気付けていなかったのもあるが。

 だからこの問題点の報告と改善策の相談を陛下に書簡で送った。大公家の弱点と恥部を晒すことになるがこれが現実だから。

 それと同時に君と君の父親がやったことも報告した」

「え、」

「今頃君の父親のバルべ侯爵は陛下に呼ばれて王城にいる。オレの元にも書簡がさっき届いた。

 バルべ侯爵家は転領することになった。王家の所領のうちの一つに転領し、今のバルべ侯爵領は王家の所領になる。

 王家がより直接、大公領に正しい情報を渡してくれることになった」

「そんな!」

「ある領地の畜産農家の牛肉が美味しいと評判になり高値で取引されるようになった。それに嫉妬した近くの畜産農家が、禁止されている植物を餌に混ぜて牛を育てていると嘘の噂を広めた。

 そんなことはしていないと言ったが、使用人が噂が広まりだしてからその植物を燃やしていたと証言したことにより、それから肉は売れなくなり、その畜産農家は牛を全て殺処分をしたあと一家心中した。

 使用人は母親が病気でお金が必要だったために買収されて行ったことだったが、その結果、お世話になった主一家が亡くなったことで罪の意識に囚われて、嘘を吐いたと証言し、噂を広めた畜産農家も廃業した。

 その時にこの法律ができた。嘘の噂や情報で間接的に人は殺せる。こんな悲劇が繰り返されないようにと。500年前の話だ。

 今回ももし大公領に来てマリーズがこの噂で心を痛め自死を選んでしまったあと、このことが発覚したら、この法律が適用され君は殺人罪に問われる。噂の真相を確かめなかった大公家にも何かしらの罰則が与えられただろう。

 ちなみにこの法律が適用されたのはできてから初めてだそうだ。

 だがマリーズがこうやって解決策を探し問題点に気付き、大公家と大公領の為に尽くしてくれたから、大公家はもうすぐ王家の所領になる場所から一番近いところにあるダイヤの鉱山の所有権を国に渡すだけで済んだ。そして君たち親子は転領で済んだんだ」

「嘘よ!大公妃に選ばれるべきは私よ!」

 ホランが叫んでいるがそれは虚しく聞こえる。

「ホランさん。私は筆頭公爵家の娘よ。そして母親はそこに嫁いだ伯爵家の娘。私たちは筆頭公爵家の人間として相応しくあるために学び実行してきたの。私は普通のお嬢様じゃいられなかったのよ」

 マリーズの言葉にうなだれるとホランが去って行った。

「マリーズ。君のおかげで大公領は良い領地になる。感謝する」

「ラファエル様ったら、来てはいけないとお伝えしたはずですよ。決着をつけるのは私ですって」

「いや、でも、ちょうど書簡も届いたし、心配だったし」

 ラファエルがもごもご言っている。そういった不器用な優しさもカワイイ夫なのだ。

「良いんですか?あのダイヤの鉱山は広くて収入源としてもそれなりの比率があったはずですよ?」

「良いんだ。それくらいでマリーズを取り上げられずに済んだんだから。拒めば離婚させられていたかもしれない。それだけは絶対に嫌だった」

「もう、しょうがない人ですね。取り上げられた収入源の分を補うことを次に考えないとですね」

 マリーズは笑ってラファエルの手を握った。

いかがでしたでしょうか?私が実世界でも感じたことが話に含まれています。

次が最終回になります。長い話を最後までお読みいただきありがとうございました。


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