表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/24

食いしんぼ大公妃、喧嘩を止めに入る

 温かい。マリーズが目を覚ますと目の前にラファエルの姿があった。

「きゃーーーーーー!」

 思わず叫んだマリーズの声に外に控えていたメグが扉を開けカレンとロリアンも入って来る。護衛騎士も続いて入ってきた。

 そしてそこには完全にラファエルの抱き枕にされたマリーズの姿があった。

「マリーズ様どうかされましたか?」

 メグが聞いてきた。何故こんなことになっているかわからないが、護衛騎士がいるから誤魔化さなければならない。

「む、虫が飛んできたから驚いてしまって。もう大丈夫どこかに行ったわ」

「そうですか。それは驚かれたでしょう」

 メグの言葉で護衛騎士が部屋を出て行った。

「ねえ、全く動けないんだけど」

 マリーズが情けない声を出す。しかもあんなに悲鳴を上げたのに起きる気配がない。

「仕方ありませんね。カレン手伝って」

 メグとカレンがラファエルの腕を持ち上げる。すると何とか隙間ができてマリーズは解放された。

「それにしても起きませんね。いつ来られたんですか?」

 カレンがすやすやと眠るラファエルを横目にマリーズの朝の支度を始める。

「それがわからないの。私の寝た後に来られたのは間違いなくて。私寝てたから全然気づかなかったわ。でも、途中で温かくなったなあとは何となく感じたのよ。だからその時かもしれないわ」

「これはもう、存分に護衛騎士たちがあちこちで話すでしょう。連日ですからね」

 マリーズは噛まれた痕を撫でさすった。まだまだ消える気配はない。

「どうしようかしら?昨日、朝食を一緒にと言われているんだけど」

 マリーズの支度は終わってしまった。だが一緒に食べる予定のラファエルが起きないのでは食べることもできない。

「ラファエル様、朝ですよ。起きてください」

 マリーズはラファエルの肩を揺すってみた。すると手が伸びてきてその腕の中にまた戻ってしまった。

「ラファエル様、ちょっと」

「マリーズ、もう少し眠らせてくれ。あと五分で良いから」

 ぐいぐいと腕が絡まってきてマリーズの首筋の匂いを嗅いでくる。

「きゃ!もう、ラファエル様、起きてくださいよ!」

 マリーズはラファエルの胸をドンドンと叩いた。

 するとふっと目が開いたと同時にラファアエルがばっと起き上がった。

「すまない」

 そういって下を向くラファエルは片手で口元を覆っているが顔が赤いのがはっきりわかる。

「着替えて来るから先に食堂に行っていてくれ」

 ラファエルが立ち上がり部屋を出て行く。

 マリーズはベッドから下りるとメグたちの前で膝を付いた。

「ビックリしたあ。恥ずかしくて恥ずかしくて。もうラファエル様どうされたのかしら?」

 メグがマリーズの手を取りギュッと握りしめる。

「マリーズ様のお側は寝心地がいいのでしょう。良いことではありませんか」

 確かに恥ずかしいが嬉しくもある。目覚めた時思わず悲鳴を上げたが、よく考えれば、昨日は不可抗力で一緒に寝ただけで、今日はラファエル自らやってきてマリーズのベッドに入ったということだ。

「少しは受け入れてもらえたのかしら?」

「少しどころではないでしょう。もう少し眠らせてくれ~って抱きついてたじゃありませんか」

 カレンがラファエルの真似をしている。

 その横でロリアンは真っ赤だ。

「ロリアン。お年頃かもしれないけど、侍女を目指すからにはこういったことにも慣れないとね」

「は、はい。何だかでもあまりにも聞いていたのと違って甘い雰囲気で見ていて恥ずかしくて」

 ロリアンがもじもじしている。

「さあ、じゃあメグはマリーズ様につくから、私とロリアンはこの話をしながら厨房まで行きましょう。噂に尾ひれがつくように小さいけれど聞き取れるような声の大きさを心掛けるのよ」

 さあさあ行きましょうとカレンがロリアンを連れ出ていった。

「これも作戦のうちってわけね。ロリアンが変な風に育たないと良いけど」

「大丈夫ですよ。

 昨日も使用人用の食堂でお皿を下げていたらメイドたちに囲まれて質問されてましてね、真っ赤になりながら『ご一緒に過ごされたようです。素敵な夜だったんじゃないでしょうか』と小さな声ながらはっきりと言ってましたから。

 実は本人もちょっと楽しんでいるようですよ。そういうお年頃でもあるんです」

 メグが笑っている。そういうお年頃かあ。難しいわね。人を育てるのは。

 マリーズは気持ちを改めると食堂へと向かった。


 そしてその日の午前。大公領の城下にあるカフェで三人の人間が会っていた。

「報告をしてちょうだい」

 そう言ったのは富裕層の娘らしい服を着た女性だ。声をかけられたもう一人の女性は町娘のようで震えている。

「この一か月くらいの間、ちゃんと頼んだことしてたわよね?今どうなっているの?」

 更なる問いに女性は恐る恐る口を開いた。

「始めの頃は大公妃は、」

「その言葉は聞きたくないわ!」

「はい、すみません。マリーズ様は大公様と寝室を別にし仮面夫婦だと言われていたのですが・・・」

「ですが?なによ、何かあったの!?」

「一昨日の夜と昨日の夜はお二人でマリーズ様の寝室でお過ごしになられたと城内では噂になっています。マリーズ様付の侍女もそれを認めています」

 一気に言って女性は肩をすぼませた。

「嘘よ!そんなはずないわ!ラファエル様は私を待ってくださっているのよ!」

「く、首筋に噛み痕があるのを見ました。二か所ほどありました」

 富裕層の娘はギリギリと歯を食いしばっている。

「許せないわ。どんな手を使ったのよ。あなたはちゃんと言った通りしてたわよね?」

「はい、もちろんです。結婚式の後も引き続き我儘らしいとか身分で差別すると色々な場所で言っておりました。ですが、」

「ですが?またですが?言い訳は聞きたくないわよ!」

「いえ、ちゃんと私は言っているのですが、それ以上にマリーズ様に好感を持つ使用人が増えて行くスピードが早くて正直追いつきません。

 私の後輩も二人抜けて、マリーズ様が作られた料理担当班に異動しました。

 今ではマリーズ様を信望する使用人の方が圧倒的に多い状態なんです」

 言われた相手はイライラしているようだ。

「おめおめと後輩二人もあの女のところに引き抜かれるなんて、あなた何してたの?

 何のためにこの二年、お金を渡してたと思っているの?あなたの言った通りに考える使用人を作るためでしょ?

 全然できてないじゃない!!」

「いえ、最近までは上手く行っていたのです。信じてください。

 ですが実際にお輿入れなさってからのマリーズ様が聞いていたのと違うという使用人が出始めて、それから一気に転換したのです」

「一か月もしないうちに壊れる物を作ったあなたが悪いんでしょうが!役立たずね!」

「まあいいわ。別の方法もあるから」

「そっちは?」

 次に問われたのは若い男性だ。その男性も冷や汗を浮かべている。

「城下ももちろん噂を流し続けていたのですが、」

「またですが?なわけ?」

「いや、あの、最近マリーズ様が視察をされたり買い物をされたりして、その店の者たちがマリーズ様に好印象を持たれたようで、噂は噂でしかなかったと来る客や同業者に言っているようで、芳しくない状況になっています」

「それであなたは店まで持たせたのに何をしていたの?」

「ちゃんとうちの店に来た時に我儘を言っていたと言ったりしましたよ」

「来たの?」

「いいえ、来ません」

「店に行ったのを見られていなければ言われても実感が湧かないでしょうが!」

「そ、それと、城下の店で二軒、『大公妃お墨付き』という看板を出している店がありまして」

「何よそれ」

「どうやら、一軒目は食堂だったそうですが、マリーズ様が来店されて、そのお店を気に入ったと言ったら女将がだったらそう書いてくれと頼んだようでして。そ、それでマリーズ様が快諾されましてですね、」

「で、そんな店ができたと」

「はい。今では大行列です」

「あなたはそれを黙って見ていたの?」

「その店はそもそも人気があったんですよ。それがより知れ渡ったというだけでして」

「それでもあの女の発言力があるってことになるじゃない!もう一軒は?」

「それはうちの近くの焼き菓子店です」

「はあ?それで?」

「うちの方が若干人気店だったのですが、今では向こうの方が人気店です・・・」

「バカなの?なんなのあなたたち!悪評はまだ流せるでしょ?やりなさい!」

 二人が顔を見合わせている。

「城内はもう無理かと。逆に私が疑われかねない状況です。実際に昨日も言ったら、そんなことをまだ言っているのはあんただけと同僚に言われました」

「あなたはどうするの?」

 男は震えそうになる体をより縮めながら言った。

「ぼ、僕はもう少し頑張ってみます」

「そう、とにかく、まだあなたたちにはしてもらうことが出てくるだろうから待っていなさい。私が大公妃になるのをね」


 マリーズは朝食の時に美味しい焼き菓子屋の話をラファエルにしたら食べてみたいというので城下に買いに行くことにした。もちろんユーリの店である。

 馬車は家紋付き。相変わらずカレンとロリアンは城内で噂をばら撒いているようで姿が見えないのでメグと護衛にゴードンがついて昼食後出かけた。

「はあ、楽しみだわ」

「午前のうちに使いをやりまして、ドライフルーツのパウンドケーキを二本用意させています」

「さすがメグね。気が利くわ。ラファエル様が気に入ってくださるといいんだけど」

 マリーズは流れる街並みを見ながら心は焼き菓子をラファエルと食べる夕食後に飛ばしていた。

 馬車止に着くと三人でユーリの店へと向かう。すると近づくに連れて人垣ができ何だか騒ぎが起きているようだ。

 マリーズはその中にユーリの声が聞こえた気がして人垣に向かって走った。

「返してよ!それはうちのよ!」

「こんな偽物出して恥ずかしくないのか!!」

「偽物じゃないわ!マリーズ様が書いてくださったのよ!返して!」

「あんな我儘公爵令嬢がこんなもの書くわけないだろ!それとも金でも積んだか?」

 男がマリーズがユーリに書いた板を高く持ち上げてユーリの手が届かないようにしている。

 マリーズが割って入ろうとするのをメグが止めた。

「今ではありません」

 マリーズを隠すようにメグが前に立つ。

「マリーズ様がうちのお菓子をとても気に入ってくれたのよ!」

「そっちの店よりうちの方が客が多くて人気店だったんだ!こんな偽物を飾ってまで人の客を取りたいのか!」

「何よ!うちの方が美味しいわ!あんたの店は高そうな箱に入っているから値段より高そうに見えて手土産に買っていく人が多いだけじゃない!

 味はうちの方が断然美味しいわ!」

「失礼な女だな!こんな娘のいる店の商品が美味いわけないだろ!」

「そんこと言うならあんただって同じじゃない!女性にこんなことをする菓子職人が作ったものなんて食べられたものじゃないわ!」

「ユーリ止めなさい!」

 ユーリの母親が叫んでいる。人垣で近づけないようだ。

 男は地面に板を叩きつけると足で踏んだ。そして靴底で何度も踏みにじる。ペンキで書いた文字が段々汚れていく。

「何てことするのよ!!」

 ユーリは男の足元に座り込むと板を取ろうと引っ張った。それをさせまいと男がユーリを足で払いユーリの体が地面に倒れこんだ。

「見てられないわ!」

 マリーズがメグの後ろから飛び出すと今度はメグは止めなかった。

「ユーリ!!」

 倒れこんだユーリに駆け寄るとマリーズは助け起こした。

「マリーズ様!」

 そう言ってユーリはマリーズの胸で泣き始めた。

 辺りが静まり返る。まさか大公妃がこの場にいるとはと誰もが思いマリーズに視線が集まる。

 その側には侍女服を着たメグと護衛騎士の制服のゴードンがいることで間違いなく大公妃だと次はざわめきが広がって行った。

「マリーズ様からいただいた看板が、看板が・・・」

「大丈夫よ。また書いてあげるから。あなたのご両親の作るお菓子は美味しいわ。

 私が選んだから美味しいんじゃなくて、選ぶ前から美味しかったのよ。

 だから正真正銘の大公妃お墨付きよ」

 マリーズはユーリの背中を撫でながら男を見上げる。

「あなた女性にこんなことをして許されるとでも?しかもこの板は焼き釜に焼き菓子を入れる時に使う板よ。あなたも菓子職人なら知っているわよね?

 あなたは自分の商売道具と同じものを足で踏んだのよ。誰の物でもしていいことではないわ。菓子職人として失格よ」

「あ、あんたが我儘公爵令嬢か!あんたが来てからいい迷惑だ!大公様も迷惑しているに決まっているさ!」

「私は大公妃よ。間違えないで。それであなたに迷惑を私がかけたのかしら?」

「こんな偽物の板が出回ってるせいで出してない店は客が来ないって聞いているぞ!」

「それは本物よ。おかしいわね?私は偽物が出回っているなんて聞いたことがないわ。それに私が書いたのは二軒。客が来ないという店がそんなに出てくるわけないでしょ?」

「あ、あんたは身分で差別して使用人にも辛く当たっていると聞いているぞ!」

「さっきからあなたは聞いた話ばかりね。私は身分で差別しているように見えるかしら?」

 人垣から声が聞こえ始める。

「偽物が出回っているなんて話聞かないよな」

「聞いたことないな」

「しかも選ばれたのは庶民が行く店だから身分がどうとか言われてもサッパリだな」

 ユーリが男の足元から板を奪い取り抱きしめる。

「小麦の香の娘が可哀想だなあ」

「ああ。良い看板娘なのにあんなこと言われてさ」

 マリーズは立ち上がると男を見据えた。

「あなたの店はどこ?」

 男が答える前に人垣から声が聞こえた。

「そこのバルベ侯爵領からきた焼き菓子屋さ」

 マリーズは振り返る。あの店か。マリーズが以前避けた店だ。

「あなたも菓子職人ならお菓子の味で勝負しなさい。こんな卑劣なことをしないで。あなたのお菓子が美味しければ必然と客足は戻るはずよ。

 何故こんな暴挙に出たの?いつも通りにしていても売れていたのでしょ?」

 マリーズが男に不思議だという顔をする。男は唇を噛みしめ下を向いていたと思うと背を向けて店へ戻ろうとした。

「待って。言うことがあるわよね?」

 男が振り返る。

「悪かった」

 そう一言言うと去って行った。

「ユーリ、無理をしてはいけないわ。怪我をしたらどうするの。あなたの店ならこんなの何回でも書き直してあげるのに」

「そんなわけにまいりません。二番目に選ばれた栄誉です。大切なんです」

「でもこれではもう使えないわね。新しいのある?」

「はい!持ってきます!」

 ユーリが立ち上がり走って店へと向かう。マリーズは相変わらず人垣に囲まれたままだ。だがマリーズはそんなこと気にならない。地面に座り込むとユーリをじっと待った。

 そこへユーリが先日と同じように道具を持って来る。

 マリーズはそれに『大公妃お墨付き』と丁寧に書いた。

「ワッ」

 と周りから歓声が上がった。マリーズが書いた字は人を魅了するのだ。

 ユーリはそれを実感し大切に持つとマリーズに感謝の言葉を述べた。

「さあ、今からお店に行こうとしていたの。一緒に戻りましょう」

 マリーズはユーリに声をかけると店へと歩き出した。人垣がサッと割れる。マリーズは気にも留めずにユーリの店へと姿を消した。


「マリーズ様すみませんでした。うちの子が」

「驚いたわよ。ユーリが男の人と喧嘩しているんだもの」

「本当に気ばかり強くて、困ったものです」

「だってあの人がやってきて店の前からマリーズ様の看板を持ち去ろうとしたからそれを追ったのよ」

 ユーリはまだ怒り足りないとばかりに文句を言っている。

「とにかく、気を付けるのよ。もっと酷いことをする人もいるんだから」

 そこへユーリの父が出てきた。

「間に合って良かったです。ちょうどご注文の品が焼き上がりました」

 そう言って出てきたのはもちろんドライフルーツがたっぷり入ったパウンドケーキ2本だ。

「急にごめんなさいね。ラファエル様が食べてみたいとおっしゃったから」

「え!大公様がですか!!」

「ええ。私がとても美味しい焼き菓子のお店を見つけたと話したら食べてみたいと」

「こんな光栄なことはありません。うちは庶民がメインの店ですから大公様が召し上がるなど恐れ多い」

「ラファエル様は良い方よ。恐れ多いだなんて言わないで。ふふ。楽しみだっておっしゃってたわ」

 ラファエルへの献上品だというユーリたちにそれではもう買いに来れなくなるからと説き伏せてお金を払うとマリーズは先程の男の店へと顔を出した。

「何しに来たんだ?」

「あなた、本当はあんなことしたくなかったんじゃない?やり慣れてない感じがしたもの」

「な、何を」

「怒りなれている人ってわかるのよ。表情とか口調とか、色々とね。あなたはどれも一生懸命演技しているように見えたわ。

 あんなことしないといけなかった理由があるの?」

「いや、別に、ただ、客を取られて」

「ユーリに確認したわ。取られたっていってもそんなに減っているはずはないって言ってた。 

 確かにユーリの店のお客さんは増えたけどこの店の客が減ってどうしようもないって程ではないって」

 男が下を向いている。

「やらされたのね。それか、私の悪評を立てるように言われたか」

 マリーズが言うと男はハッとして顔をあげた。

「あんた、なんで」

「何で知っているかって?あなたに指示している人がやりそうなことだからよ」

「くっ」

「何か弱みを握られているの?」

「別に。声をかけられたんですよ。店を持たせてあげるって。といっても大公領でしたが」

「始めからあなたにこういったことをやらせる為に店を持たせたのね。お菓子一ついただける?」

 マリーズが言うと男はショーケースからフィナンシェを出した。マリーズはそれを食べてみる。

「美味しいわね。ちょっとバターの風味が強いけどミルクティーに合いそう」

「ありがとうございます」

「あの人から逃げなさい。あなたはこんな風に利用される人生を送るべきじゃないわ」

「でも店を持たせてもらいました」

「それで借金があるの?」

「それはありません。言う通りにマリーズ様の悪評を城下で流すという条件だけです」

「だったらいいじゃない。ご家族は?」

「母が大公領で店を出す時に一緒に来ました。他はいません。今は雑貨店で働いています」

「そう。だったらバルベ侯爵領に未練はある?」

「・・・・・・・ないと思います」

 マリーズは頷いた。今までは客足が落ちてなかったとしてもこの騒動で落ちる可能性が高い。このままここで店を開いていても赤字になる一方だろう。

「もし住むところにこだわりがなくて店を持ちたいなら、ジョフロワ公爵家が持っている領地のどこかで店を出さない?」

「え!!」

「あなたの腕を無くすのは惜しいわ。美味しいお菓子だったもの。けれどここにいてはきっともう商売はできないわ。

 だから、私の実家の領地で場所を探すからそこで新たに始めなさい」

「マリーズ様・・・・」

 マリーズはにっこり笑った。

「これはあなたを助ける為だけではないのよ。私の為でもあるの。あなたが新しい道を選んだら、私の悪い噂を流す人がいなくなるもの。お互い様なのよ」

「まだ一人いるんです!大公城のメイドに」

「え!」

「そのメイドはお金をもらっていると言っていました。ですが、城内が今は悪い噂より良い話ばかりになって身動きが取れないと」

 メグが紙を差し出した。そこに男はそのメイドの名前を書く。

「このことはこっちで対応するから、あなたはどうする?」

「僕は師匠の元で働いていて店を持ちたいと思っていたところに声をかけられたんです。ある条件を飲めば店を持たせてやると。

 それでマリーズ様にこんな酷いことをしました。それが当たり前だと思っていたのです。

 本当の事だから噂として流しても良いと。大公様の為にもなるからって言われたんです。

 でも間違ってました。彼女を傷つけました。後から謝ってきます」

「じゃあやり直すのね?」

「はい!」

 男の目が先ほどと打って変わって輝いている。やはりやりたくないことをやるのは苦痛なのだ。

 自分のためにと思いながらも、心のどこかで良心が痛むから本気でやれなかった。

 残っていた良心で彼は自分を救うのだ。

「あなた名前は?」

「ロレッソです」

「ロレッソ。今回のことでここでの商売は難しいと思うの。この数日の間に店を閉めてお母様と一緒に一度王都のジョフロワ公爵家に行きなさい。

 あなたたちが着く前に実家に連絡をしておくわ」

「マリーズ様。僕はマリーズ様の悪い噂をたくさんこの2年流し続けました。

 申し訳ありませんでした」

 ロレッソが頭を下げる。

「これからはもうそんなことを指示する人と関係を絶って、美味しいお菓子を作ることに専念して、お母様に心配かけないように」

「はい!」

「よし!詳しいことは後から連絡させるから、ちゃんと逃げなさい」

「かしこまりました!」

 マリーズはロレッソの店を後にした。

「メグ。お義姉様に連絡しておいてくれる?」

「すぐに手配します」

 メグはそれだけで言いたいことを汲んでくれる。

 父と兄は政務で忙しいため領地のことは母と義姉がやっている。その義姉はマリーズをとても可愛がってくれている。

 そして、こんなやり方を許すような人ではない。ロレッソのことを一番任せられるのが義姉なのだ。

「マリーズ様が助けなければならなかったですかね?」

 ゴードンが不思議そうに聞いてくる。

「あら、言ったじゃない。ロレッソが大公領からいなくなれば当分私の悪い噂を流す人がいなくなるわ。

 だから助けるってのもあるのよ。これは戦いなの。また新たに人が送られてくるかもしれないけど、その前に私が大公妃としての地盤を固める。

 誰にも何も言わせないくらいにね」

 そういうもんですかねー、とゴードンはまだ言っている。

 3人は注目を浴びながら城下を歩く。

 次なる災いを何とかしなければならない。

 マリーズは馬車に乗り込むとメグに相談した。


 マリーズの目の前に一人のメイドが座っている。

「どうして呼ばれたかわかる?」

 メイドは震えているようだ。

「わ、わかりません。私はただのメイドです。大公妃様にお声かけされるようなことは何もありません」

「一人の女性に大公城で私の悪評を流すよう2年程前に指示されたんじゃない?」

「えっ!」

 何故知っているのかという顔だ。

「私にも情報網があるのよ。あなたが同僚や後輩、更に兵士や庭師にまでそう言っているって聞いているわ」

「みんなが言っていたはずです。私だけではありません」

「そうね。確かに私がここに来た時はみんなが言っていたわ。でも今も言っているのはあなただけ。違う?」

「あなたからその話ばかりされて困っていると相談がきていますよ」

 メグが言うとひっと驚いている。

 こんな時のメグの声は冷え冷えしていて真冬の外に放り出されたように感じるだろう。

「もう、大公城であなたの話を信じる人はいないと思う。

 それは私が好感を持たれていると自惚れているわけではなくて、

 何度も同じこと、それも悪口を聞かせられると人はうんざりするのよ。

 しかも自分はそう思っていないとなると特にね」

 メイドはガタガタと歯の根が合わないようだ。

「何故指示に従ったの?お金に困っているの?」

 マリーズが問いかけるとメイドは重い口を開いた。

「大公城のメイドの仕事は領内で人気があります。兵士や文官、護衛騎士まで様々な男性に出会えるからです。

 一種の花嫁修業と嫁ぎ先探しとして働きたい女性が多いのです。私もそうでした」

 それはそうだろう。どこの領地でもタウンハウスでもそうなのだ。

 特に大公城は国内で有数の広さを誇る城だ。

 護衛騎士は名前の通り、大公家の護衛と大公城の警備をする。

 一方兵士は国境にあるためいざという時のための存在として日々鍛錬をし、また年交代制で領内の警備隊も兼ねている。

 警備隊とは領内の警備、軽い揉め事から事件事故の捜査までする。

 この城でそんな彼らに気軽に出会えるのが城内の使用人専用食堂だ。

 使用人から兵士まで、あらゆる所属の人間が集まってくる。そんな中で好みの男性を探すのはメイドの特権だ。

「それでメイドになったのはわかったけど、どうして指示に従うことになったの?」

 メイドは逃げ場はもうないというのに口を閉ざす。

「人質でも取られているの?」

 そう言ったマリーズにメイドはクスッと笑った。

「大公妃様はお優しいんですね。人気が出るのもわかりますよ。

 でも私には人質なんていません。

 ある休みの日に城下の宝飾店の前で店頭に展示されていた宝石を見ていました。

 こういったものを一度で良いから手にしたい。頑張って貯めれば小さいものなら買えるだろうが、そこまでしたいわけでもない。

 そう思って見ていたら声をかけられたんです。ちょっとした仕事をすれば今見ている宝石がすぐに買えるほどのお金が貯まるわよって。

 すぐにその方の話を聞きました。簡単なことでした。大公様の婚約者の悪評を城内で言いふらすだけですもん。

 みんなが私の話を聞いて驚き、心を痛め、大公様を心配しました。

 そしてそれぞれが私がした話をあちこちで勝手にしてくれるので楽な仕事だったなと思ったんですよ。

 状況報告をする度にお金がもらえました。もうとっくにあの時見ていた宝石を買える金額を超えていますよ」

 メイドの目はどこか虚ろだ。

「でも、まだ買ってないのね」

「買おうと思って店に行ったんですけど、入ることができませんでした。

 このお金どうしようって思って」

「買うのを躊躇ったのね。最後に思い留まった」

 メイドは違うと言うように頭を振る。

「そうじゃない!怖かったんですよ!このお金を使えばもうあの女から離れられないんじゃないかって!

 ずっと言うことを聞かないといけないんじゃないかとか、今回は簡単なことだったけど、いつかもっと恐ろしいことをさせられるんじゃないかとか!

 あの女はおかしいです!今日も午前中休みで会ったんです!

 私が失敗したことを凄く怒っていて、でもまださせることがでてくるって。

 私は一体何をさせられるんですか?使い道はあるって!何ですかそれ?

 怖いんですよ!会う度に怖くなっていって、でもお金は受け取っているから逃げられないんです!

 怖いんです!次に指示されたことを失敗したら殺されるんじゃないかとか!捕まるんじゃないかとか!」

 もはや錯乱状態だ。怖い怖いと自分を抱きしめ呟いている。

「マーサといったわね。あなたにはしばらくここを離れてもらうわ」

「え、私解雇されるんですか?」

 縋るような目でマーサが見てくる。

「いいえ。療養が必要だわ。あとあの人と離れる期間を作らないとあなたの精神が壊れるわ」

「そんな、私、辞めたくないんです!幸せな結婚をしたいんです!

 両親はもういません。姉と姉の夫と姪っ子しか私にはいないんです!

 私が幸せにならないと姉を安心させられません!」

「なら何故そんな怪しい話を受けたのですか!」

 メグが叱りつけると怯えたようにマーサはうずくまった。

「メグ」

 マリーズは首を振った。

「あなたのお姉さんに相談して療養しましょう。もしあの人が怖いなら、しばらく大公領から離れて過ごしたらいいのよ。

 いずれ落ち着いたらまたここに戻ってくればいいの。療養休暇があるでしょ?

 あなたが療養しながら過ごす場所を作ってあげるからそこに行ってあの人から離れなさい。

 きっとそれがあなたの将来に繋がるわ」

「マリーズ様」

 マーサが顔を上げた。

「私、どうしたら良いですか?どうしたら逃げられますか?」

 マリーズより年上のはずなのに、まるで幼い子どものような問いかけだ。

「そうね。ちゃんと目の届く場所の方が安心なんだけど、近すぎると見つかる可能性があるわね。

 またお義姉様に頼るしかないかしら。

 療養場所は探しておくからフレデリックに療養休暇の申請をしてきなさい。そしてお姉さんの家に行ってしばらく待っててくれる?

 必ず逃がしてあげるから」

「はい。わかりました」

 そこにカレンとロリアンが戻ってきた。何事?という顔をしている。

「メグ付き添ってあげて」

 メグは仕方ないという顔をしてマーサを立ち上がらせると連れて出て行った。

「あのメイドが何かしたんですか?」

 カレンが聞いてきた。

「そうね。体調を崩したのよ。あの人のせいで」

 それだけでカレンは察したようだ。

 なるほどと言ってから明るく今日の成果を報告し始めた。

 ロリアンは不思議そうにしているが全てを説明する必要はない。

 カレンがロリアンと城内を歩き回って今朝の話をしながら、どこそこにちょっと素敵な人がいたとか、あちらに素敵な人がいたとか、素敵な人に声をかけられたとか、一体何を目的にしていたのか?と思う内容をおもしろおかしくカレンが話すのを聞きながらマリーズは笑った。

 心の底で二人の人生を狂わせた人間を絶対に許さないと誓いながら。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ