ほったらかした大公、己の行動に頭を抱える
温かい。柔らかい。久しぶりによく寝た。ラファエルはその柔らかいものに頬ずりした。
ん?昨夜どうした?頭が回り始めて目を開けて驚いた。
「わーーーーっ!!」
ラファエルの目の前にマリーズがいて飛び起きるとベッドを後ずさった。
その声で目覚めたのかマリーズが目を開いた。とろんとした目がなんとも言えない甘さを醸し出している。
マリーズは恥ずかしそうに起き上がると夜着の合わせ目を直し頭を下げた。
「おはようございます。ラファエル様」
「あ、ああおはよう」
ラファエルはマリーズの首筋を凝視した。
「心配なさらないでください。昨夜は何もありませんよ。途中で眠ってしまわれたので起こそうと思ったのですが、疲れてらしたのか起きてくださらず、私の服を握ったままお離しになられないのでこういった形になっただけです」
マリーズの話をそのまま信じても良いのか?あの首筋の噛み痕は自分が付けたに違いない。昨夜はなかったのだから。
「信じてない顔ですね。でも本当なのに」
小首を傾げるのは止めろ。あとその座り方。膝が見えている。
目のやり場に困ったラファエルはベッドから降りると自室にとりあえず戻ることにした。だがこのままにするのはさすがに申し訳ない。
マリーズの言葉を信じるなら、ラファエルはマリーズに迷惑をかけたことになる。
「昼食を一緒に摂ろう。食堂で待っている」
それだけいうと室内の扉から颯爽と自分の部屋へと戻ろうとした。が扉が開かない。ガチャガチャしているとフレデリックが向こう側から開けてくれた。
「おはようございます。いい朝でございますね」
ラファエルはフレデリックを睨む。
「フレデリックが仕組んだのか?」
「何をおっしゃいます。少々お酒を飲み過ぎになられたのでしょう。マリーズ様と話されている間にマリーズ様の膝に倒れるように眠り込んだのはラファエル様です。
何度も起こそうとしましたが全く起きませんし、マリーズ様のお洋服を握って離そうとなさいませんのでマリーズ様のベッドにお運びしただけです」
しれっと言うフレデリックに腹が立つ。
「マリーズは夜着に着替えていた。それなら結局服を離したということだろう?
マリーズをオレの部屋に寝かせれば良かったはずだ」
「そうおっしゃいますが、マリーズ様が離れてからずっと何かを探すように手が動いてらしたので、マリーズ様にそのままそこで眠っていただくようお願いしました」
自分の落ち度だ。マリーズと話していると酒が美味しく感じた。怒りがあるはずなのに、何故かそれが時折緩み力が抜けるのだ。
そのため溜まっていた疲れもあって眠ってしまったのだろう。
マリーズの隣で目が覚めたのには心臓が止まるかと思った。
「まあいい。とにかく仕事をする」
つい出てしまった昼食の約束を守るべく仕事を終わらせなければならない。
ラファエルは着替えると執務室へと向かった。
はあ。ラファエルは気を抜くと直ぐ頭に浮かぶ今朝の光景に頭を悩ませていた。
仕事に集中しなければと思えば思う程ちらつくマリーズの姿にお茶を飲んで気を紛らわそうと立ち上がった。
「そんなに落ち着かないなんて珍しいね。昨夜何かあった?」
アーロンだ。ちらりと見ると両手を上げる。
「僕も噛みつかれそうだよ」
「ア、アーロン!」
「もう噂になってるよ。とうとう大公が大公妃と夜を共にしたってね。
ほとんどの使用人たちが大喜びしてる。可愛いお子様が生まれるまでそうかからないかもしれないねーってさ。
好かれてるねー。マリーズ様。で、どうなの?本当のところ」
アーロンが聞いてくる。
「あんな噛み痕があるんだから何もないってことはないでしょ?カワイイ奥さんに独占欲丸出しじゃん」
「アーロン。下世話だ」
マリユスが不快そうにしている。
「マリユスだって良かったって言ってただろ?何が下世話だよ」
「喜ぶのとおまえの聞き方が下世話なのを一緒にするな」
はあ、とまたラファエルは頭を抱えた。
「何も無い。酒を飲みながら話していたら寝落ちした。彼女の隣で。
オレが起きなかった上に、彼女の服を握って離さないからフレデリックがオレと彼女を彼女のベッドまで運ぶよう指示を出してそのまま寝ただけだ」
「えー!そんなもったいない!据え膳の前に寝落ちって何だよ。でも噛み痕があるんだから何もしてないってことは」
「していない。というか、記憶がない。だが付けたのはオレで間違いはない」
「ふーん、そこは断言するんだね。っていうか、クールなおまえはどこに消えた?」
クール、そんなつもりはないが今日も昨日も変わらない性格のはずだ。
それにしたくはないが断言するしかない。
夢を見た記憶があるのだ。
柔らかくていい香りがするものを抱きしめて寝ていたら、よりいい香りがするところを見つけてそこに噛みついた。
甘い香りが強くなったからそこを舐めてまた噛んだ。そうしたら安心してその後は夢も見ずに寝たのだ。
そんな恥ずかしい記憶言える訳が無い。
「まあ、寝落ちする前は無かったたんだからオレしかいないだろ」
「まあねえ。そんな手の込んだことをマリーズ様が捏造する必要はないからね。
フレデリックもマリーズ様が寝る直前まで部屋にいたらしいし」
「もっと起こしてくれれば良かったのに」
「なっさけないこと言うなよ。それで、目が覚めて大声で叫んだんだって?
巡回していた騎士が駆けつけたらマリーズ様の部屋の前で侍女ちゃんたちが何でもないから近づくなと言ったらしいよ」
「いるとは思わないだろ?」
「それで、慌てて中から自分の部屋に戻って執務室に向かったと。
誤魔化したいなら自分のベッドのシーツを乱しておくとか考えなかったの?そうしておけば少しは誤魔化せたのにねえ。
掃除に入ったメイドたちが乱れのないおまえのベッドを見て確信したってさ。もう凄い噂になってる」
「確かに凄いな。
僅かな間に信奉者を増やしたマリーズ様が本当の大公妃になって欲しいという使用人たちがかなり増えていたからな」
「いや、あれはかなり増えたというか、ほぼそうだろ?
あんな噂より実物だよな、やっぱり。
そもそも気品が違う。さすが筆頭公爵家の令嬢だよ。全ての仕草においてそんじょそこらのご令嬢とは違うのがわかる。
それでいて気さくで話しやすい上、親しみやすい。別け隔てなく声をかけ、ちょっと掃除をしただけで感謝の言葉を言われる。
おまえなんて何にも言わないもんな。
そりゃ好かれるよ。
侍女ちゃんたちも美人揃い。揃って歩く姿はもはや見物人が出るくらいだ」
わかってる、わかってるんだ。本当は。
結婚式の時からおかしいと思ったのだ。聞いていたのと違うと。
真っ直ぐにラファエルを見て頬を赤らめる姿にこっちが赤面するかと思ったほどだ。
だけど城内でも城下でも噂される話に全てが嘘だとも思えなかった。
2年前初めて知った時に湧いた怒りのやりどころがない。だから初夜にあんなことを言ったのだ。
とにかく様子見して今後の対策を考えることにしたのだ。
だがどうだ?昨夜の自分、今朝の自分。
年下の妻にやられっぱなしなのは自分だけ。マリーズがラファエルのことをどう思っているのかわからない。
あんなことをしたラファエルを嫌な夫だと思っていないか?
いや、そもそも彼女に怒っていたのは自分だ。
いずれどこかに落としどころをもっていかないとならない。だが今直ぐできるか?
母や妹が彼女を認めるか?
自分だって全て認めたわけではない。昨日の話では嘘はないと感じた。だが証拠はほしい。
「マリユス。王都まで行って、彼女の噂を集めてきてくれ」
「あれ?集めてもらったんじゃなかった?」
「煩い。自分の信用できる人間に調べてもらいたい。マリーズにも言われた。真実を見定めなければならない」
「貸馬を使ってもよろしいですか?」
貸馬とは貸馬商会が名前のまま馬を貸す商売のことで、同じ商会の貸馬ならどこで乗り換えても構わない。元の場所に戻す必要がないので急ぐ時に便利なのだ。ただお金はそこそこかかる。
「構わない。急いで調べてくれ。学園生や、公爵家の使用人について本当かどうか。それ以外もあれば尚良い」
「わかりました。代わりの護衛が来たら直ぐに向かいます」
マリユスが外にいるメイドに声をかけるとしばらくしてマリユスの部下が来た。
マリユスは交代すると直ぐに発つべく去っていった。
噂の真偽はどうか?たぶん、ラファエルが感じた通りの答えを持ってマリユスは帰ってくるはずだ。
これで一歩前進したとラファエルは仕事に頭を切り替えた。
昼食をマリーズと食べなければならないからだ。
それを楽しみに感じている自分と少し前までの自分の差に驚きながらも悪くはないと感じていた。
朝、ラファエルの大声もとい悲鳴で目が覚めたマリーズは、とりあえず朝の挨拶をした。
その後ラファエルが出ていき代わりに入ってきたメグたちに朝の準備を手伝ってもらった。
首筋を隠したいというマリーズに対して、隠さないというカレンと、少し見えるようにしようというメグで相談して首にスカーフを緩めに巻かれることになった。
揺れるので見る角度によっては噛み痕が見えてしまう。恥ずかしいというマリーズに二人は隠すのは絶対にないと言い切った。
まず部屋に入ってきてすぐにメグは掃除メイドより先にシーツを剥がし通りがかりのメイドに渡していた。
これはチャンスなのだと。
マリーズにラファエルの手がついた。それは本当の意味で夫婦になったことを示す。
本当はまだだがそうやって噂に乗せれば、嘘の噂を流した人間が炙り出されてくる。
今は城内はマリーズに好意的な人間が圧倒的に多い。それが噂に拍車をかける。
マリーズがラファエルに愛されていると。
嘘は嫌だと言うマリーズに、嘘を本当にする為にすることだとメグが言った。
あっちは汚い手を使っている。それならこちらも使えるカードは切っていくと。
「マリーズ様。私を恨んでも構いません。優しく真面目なマリーズ様はラファエル様への気遣いでお心を痛めるかもしれません。
それでも私はこの方法を止めるつもりはありません。
マリーズ様が昨夜おっしゃったラファエル様への純粋な思いを私のやり方を使えば汚すことになりかねませんが、私はマリーズ様を陥れた人間を許すことはできません。
マリーズ様が嫌がる方法を使ってでも報いを受けさせたいのです。
どうかしばらく辛抱してください」
メグが床に膝をつき頭もつけている。マリーズはメグに駆け寄った。
「メグ!頭を上げて!」
するとカレンも同じ様に頭を床につけた。
「マリーズ様。マリーズ様はこの2年苦しまれたはずです。
ラファエル様からのお手紙を読むお顔が曇られることが段々増えてらっしゃいましたよね?
それが嫁いでまで付いてくるなど許すことはできません。私もメグと同じ考えです」
「2人とも。もう、わかったからお願いだから頭をあげて。2人を恨んだり嫌いになったりなんてしないわ。
だっていつも側にいてくれてるもの。私のことを考えてくれているのはよくわかってる。
私も勝負時ってことよね?
私だって黙ってるわけないわ。ちゃんとわかってる。正攻法だけではダメだって。
だから一緒にやろう。メグもカレンも一緒に考えて。他にできることを」
「「かしこまりました」」
「ありがとう」
ロリアンはじっと3人の姿を目に焼き付けた。侍女とは主に仕えるだけではない。主の為になることを先んじてするのも侍女の役目。
早くその高みに行きたいと思った。
昼食の時間、食堂で待っているとラファエルが入ってきた。マリーズは立ち上がり挨拶をする。
「いちいち立たなくて良い。今度から座って待てば良い」
どこか素っ気ない声でラファエルが言うがその耳は赤い。それは次もあるということだ。
「わかりました。今度から座ってお待ちします」
マリーズが笑顔で答えるとそれで良いとラファエルが返してくれた。
「マリユスが王都まで行った。昨夜のマリーズの話の通り、信用できる人間に調べに行かせた。
どんな情報を持ってくるか、マリーズが真実か噂が真実か判断する」
本当はもう自分でわかっているがケジメとしてそう告げる。
「ありがとうございます」
「ああ」
相変わらずマリーズの前には山のように料理が並んでいる。これはサンドイッチといったはずと思いラファエルは聞いてみた。
「そうです。他国の料理で、公爵家の料理長が旅をした時に作り方を教わってきたそうです。
私が勉強しながら食べられるようにと、思い出して作ってくれて、私が気に入ったと言ったらいつも作ってくれるようになりました」
「勉強している時も食べているのか?」
「いや、一応言っておきますが、食べながら勉強したいのではなくて、食べることが好きな私が食べる時間より勉強を優先する時期があったんです。
それを心配した料理長が勉強しながら食べられるようにということですよ」
「すまない、誤解した」
「いえ、大丈夫です。他にも色々あるんですよ。料理長考案の食べながら勉強する料理が」
「うちの料理担当もそうやって育つと良いな。少し給金を上げるようにフレデリックに言っておく」
思いもしない言葉にマリーズは言葉を詰まらせた。感謝はしてもらったが、料理担当にも気をかけてくれるとは。
「ありがとうございます!みんな喜びます!是非そのうち厨房に見に行ってあげてください!」
「わかった。考えておこう」
昼食の時間は和やかに進み終わりの時間を迎えた。
「今夜は仕事が詰まっていて一緒に摂れないが明日の朝は一緒に食べよう」
そう言ってラファエルは去っていった。
マリーズは明日の朝が楽しみだと思いながら厨房に行き皿洗いをしまくった。動きたい気分だったのだ。
料理担当班がマリーズの手を離れるまでもう少し。本当はもうマリーズの手はいらないけどみんなが温かく迎えてくれる。
その気持ちが嬉しくてマリーズは指先を真っ赤にしながら洗ったのだった。
その夜。マリーズは湯浴みをし昨日は2人だったベッドに一人で入り、昨日のことが夢のようだと思いながら眠りについたのだった。
そしてその数刻後、ラファエルは一人、部屋で頭を抱えていた。
自分のベッドで寝ようと思ったがどうしても入る気になれない。
昨夜の甘くて柔らかい感触が頭にこびりついて離れないのだ。
もう城中で噂になっているのだから一緒に寝てもよくないか?
オレは何を考えているんだ。いやいや、結果がハッキリするまではダメだ。
でもあの扉の向こうに行きたい気持ちが湧き出てくる。
それくらい昨夜は気持ちよく眠れたのだ。
ゾワッと夢で感じた肌を噛む感触が蘇る。
誓ってそんな性癖はないはずだ。
これでも若い頃はアーロンに誘われ数回そういう店に身分を隠して行ったのだ。
実際してみて、こんな感じかと思ったくらいだった。もちろん噛んだことなどない。自分はそういう面では淡白なんだろうと思っていた。
しかしマリーズに対してはどこか違う。
今も抱きしめたい衝動と葛藤している。自分はどうかしているとラファエルは思った。
こんな性格の人間ではなかったはずだ。
常に冷静に物事を捉え、的確に指示を出し、客観的に考えることもできる。
王都の学園に行かなかったのも、大公領で直接学ぶことがたくさんできるからだ。わざわざ一応あるタウンハウスで暮らしながら人脈を作る必要もない。
大公領は他の爵位と違って、嫌でも向こうからやってくる。それを如何に拒んで必要な人脈だけ持っておくかの判断をするのだ。
大公として侮られてはならない。強く厳しくあらねばならない。
しかしマリーズを前にするといつの間にか変わってしまう。
なんなんだ、これは?
そっとマリーズの寝室と繋がる扉のドアノブを握った。開かなければそれで良い。
カチャリ。
「開いた!」
思わず声を出してしまいその声にラファエル自身が驚いた。そっと中に入ると薄明かりの中マリーズが横たわっているのが見えた。近付くと規則正しい寝息が聞こえる。
ラファエルはフラフラと心の赴くままに横に入るとそっとマリーズを抱きしめた。
やはり柔らかくていい香りがする。首筋に顔を埋めその香りを堪能する。
そこでラファエルはハッとした。これでは夜這いと変わらない。いや、変質者か?
だがベッドから出ようと思っても出られない。何の引力なんだと思うくらい離れがたい。
思わずギュッと抱きしめたらマリーズの目が開いた。
「ラファエル様だ。嬉しい」
マリーズはそう言ってラファエルの背中に腕を回してきた。
マリーズの小さな桃色の唇がラファエルの首元に寄せられる。
触れるだけの感触がより生々しくてラファエルは困惑した。
「ふふ。またラファエル様と一緒に眠れるわ」
そう言って頬を首筋に擦り付けてくる。
なんなんだよこの生き物は。
そう思いながらも体が離れてくれなくて、柔らかな体に四肢を巻き付けその腕の中に閉じ込めるとやっと安堵した。
オレも一緒に眠りたかった。そう伝えれば何と答えてくれただろうか?
しかし、ラファエルは実際に口にせず、マリーズは眠りに落ちていた。